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2004/02/25

ジョン・ケリー快進撃の秘密(3)ブッシュ、ハインツ、ケリーの奇妙な絆

WingTVの示唆的なコラムより。

ジョン・ケリーの選挙用PRでは、ジョン・ケリーとテレサ・ハインツは1990年代の環境保護活動を通じて知り合いになったとされている。環境保護!?地球サミット!?この民主党支持者向けのロマンチックな宣伝文句がお好きな方は、この先の文章を読んではいけない
(ハインツ家は環境運動にご熱心のようだが、テレサ・ハインツが委員を務める「環境防衛基金the Heinz Environmental Defense Fund」は奇妙な団体だ。ブッシュ家の親友でエンロンCEOのケン・レイも、かつてこの基金の委員であり、偶然にもエンロンのメインバンク、シティグループはジョン・ケリー支援企業でもある。世界中の天然資源を米政権の外交政策を使って買いまくり、高額に転売することで急成長したエンロンのビジネスモデルは、ハインツの目には「環境保護活動」に映ったのだろうか?)

さて、ケリー公式サイトに掲載されなかった記録によると、テレサの前夫でハインツ財閥の直系相続者、故ジョン・ハインツ三世(共和党・ペンシルバニア州議員)とジョン・ケリーは少なくとも2つの活動を通じて顔見知りである可能性が高い。

ジョン・ケリーとジョン・ハインツ三世の二人は、共にイエール大学出身のスカル&ボーンズ会員で、共に80年代のイラン・コントラ事件の調査に関わっている。そして偶然にも、イラン・コントラ事件の疑惑の渦中にいたのがジョージ・H・W・ブッシュ(ブッシュ父)で、ブッシュ家は三代にわたるイエール大学+スカル&ボーンズの家系である。

ジョン・ハインツ三世は妻のことをケリーに内緒にしていたのだろうか?だとすれば、彼は共和党内の長年の知人であるブッシュ父のことも内緒にしていたに違いない。ブッシュ父とジョン・ハインツ三世の関係が最初にスポットを浴びたのは、80年代の「オクトーバーサプライズ疑惑」の時だ。


オクトーバーサプライズ疑惑とは何か?

1979年11月4日、在イラン(テヘラン)の米国大使館が武装したイラン人学生に占拠され、米国人大使館スタッフ70人が人質となった。1980年4月、米デルタ・フォースによる人質救出作戦は失敗し、2期続投を目指すカーター政権への打撃となる。結局カーターはその年の大統領選挙で新人の共和党大統領候補ロナルド・レーガンに破れた。1981年1月20日(レーガン大統領就任直後)、アルジェリア政府の仲介により、米大使館の人質は444日ぶりに開放された。

この在イラン米大使館人質事件当時に、CIA長官退任後、ロナルド・レーガン政権の副大統領へ転身を企むジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)とレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)は、1980年10月18/19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニ氏他イラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑がある。この交渉の目的は、カーター大統領の在任中(1977〜1981)に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、レーガン大統領就任時に人質解放を実現することで「強いレーガン大統領」を演出することであった。

その極秘交渉のためにパリに赴くブッシュ父が搭乗する特別機に同乗したメンバーに、ジョン・ハインツ三世が含まれており、後のイラン・コントラ事件調査の重要人物、ジョン・タワー(共和党・テキサス州議員)も同乗していたといわれている。

そしてレーガン政権最大の未解決スキャンダル、イラン・コントラ事件において、ジョン・ケリー、ハインツ、タワー議員は重要な役割を果たしている。以下の年表で何が起きたか想像してみてほしい。

1986年4月ジョン・ケリー「テロリズム,麻薬,国際作戦に関する上院小委員会」(ケリー委員会)を主催。後にイラン・コントラ事件、BCCIスキャンダルの調査に発展する。
1986年11月ジョン・ハインツ三世、レーガン大統領の命により,三人の議員からなる大統領審議委員会を主催。イラン・コントラ事件を正式に米国政府内スキャンダルと認定する。
1986年12月ジョン・タワー議員、イラン・コントラ事件を含めたCIAの違法活動の調査のため、大統領特別検討委員会(President's Special Review Board.通称タワー委員会)の委員長に指名される。
1987年1月29日イラン・コントラ事件の重要証人、元CIA長官ウイリアム・ケイシーが証言直前に脳腫瘍で病死
1989年1月20日ジョージ・H・W・ブッシュ、第41代大統領に就任。
1991年4月4日ジョン・ハインツ三世が小型飛行機の事故で死亡
1991年4月5日ジョン・タワー議員、小型飛行機の事故で死亡。ジョン・タワーはタワー委員会主催時に入手した極秘資料を元に、イラン・コントラ事件とオクトーバーサプライズ疑惑の暴露本を執筆中といわれていた。

イラン・コントラ事件をめぐるこれら調査委員会(JFK暗殺で有名なウォーレン委員会メンバーの一部も参加している)は、実行犯達を白日に晒しつつも、レーガン政権内部の黒幕まで到達することなく、むしろ事件の詳細については隠蔽する役割を果たしている。

特にタワー議員の調査報告(タワーレポート)では、疑惑の中心人物、ブッシュ父を賞賛する表現が加えられており、事件調査は明らかに歪曲されていた。(その後タワー議員はブッシュ父の口利きで国防長官のポストを約束されるが、実際にブッシュ父の政権で国防長官に任命されたのはディック・チェイニーだった)

そして2004年。イラン・コントラ事件で疑惑の追及を見事に逃れた人物---ジョージ・H・W・ブッシュ---の息子、ジョージ・W・ブッシュのライバルが、自らイラン・コントラ事件を調査し、共和党を壊滅に追い込むことなく手を引いたジョン・ケリーであり、レーガン政権成立の秘密とイラン・コントラ事件の秘密を握ったまま死んだ人物の未亡人と結婚している。

しかも、これら三人の政治家が揃って同じ秘密結社の会員であるとは、なんとも奇妙な絆ではないか。

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