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2004/07/26

2003年11月、東京・蒲田にボビー・フィッシャーを探して・・・

今月半ばに、「チェス元王者を収容 成田で入管難民法違反容疑」というニュースが配信され、海外でもちょっとした話題になったが、この件の背景となる事情をうまく説明したと思われる記事を昨年読んでいた記憶があったので、探し出して全文翻訳し以下に掲載。

フィッシャー氏の政治的(?)発言には何ら興味を惹かれないが、FBIがフィッシャー氏を告発する理由には全く呆れてしまう。経済制裁の相手国にチェス対局に出かけて賞金を持ち帰るチェス名人は、「悪の枢軸国」からコッソリ大金を受け取る国防長官副大統領よりも罪が重いというのか?

「窮地に陥ったチェス名人(Checkmate for grandmaster)」

シドニー・モーニング・ヘラルド紙2003/11/27

ボビー・フィッシャーは、そのアメリカ合衆国に対する攻撃と反ユダヤ主義的発言により、社会の除け者にされてしまった。シェーン・グリーン記者は、世界一のチェス名人と言われる男を見つけ出し、なぜ彼がそんな賭けに出てしまったのかを探った。

東京の中心から西に8つ駅を過ぎれば、スーツ族が活動するビジネスエリアから遠く離れた労働者の町、蒲田へとたどり着く。駅を出て、靴磨きが商売を伺う前を通り過ぎ、スーパー前に陳列されたプラスティック雑貨に引き寄せられる買物客の流れに身を任せる。

そこからちょっと歩くと、ようやく目的地に着いた。日本チェス協会の本拠地は、住居を兼ねたオフィスの立ち並ぶ地域にある。建物の2階に上がり、220号室と記されたグレーのドアを目指す。ノックをして待っていると、中年の男性が廊下の突き当たりで携帯電話に怒鳴っていて、その声が古ぼけたリノリウム材に反響している。

チェス協会にはふさわしくない場所のように見えるが、特別な捜索活動に従事する者にとっては、珍しいことに出会うのは慣れている。史上最も偉大なプレイヤーと称されることもあるアメリカのチェス名人、ボビー・フィッシャーを探しに来たのだ。

話によれば、60才のフィッシャーは日本に住んでいて、チェス協会に連絡先を教えているということだった。ドア越しに応えた協会の若い事務員は、丁寧に名刺を受け取り、ボビー・フィッシャーとの対面について責任者に連絡をとる約束をしてくれた。

しかし、もしフィッシャーがドアから姿を現して、話をしたとしても、チェスの話に及ぶことはほとんど期待できないだろう。最近では、フィッシャーは、もうひとつのゲーム---妄想、敵意、反ユダヤ主義と評される類のゲームを闘っている。合衆国当局から追われて、フィッシャーは隠遁者となっていた。

「隠遁者」とは正確な表現ではないかもしれない。彼のために時間を割いてくれるラジオ局があればどこでも、自身の持ち味である辛らつな言葉で世間に登場するからだ。1999年から、アイスランド、ハンガリー、フィリピンのラジオ局による一連のインタビューで、フィッシャーは自身のテーマをしゃべりまくった---「アメリカ合衆国は“おぞましき”ユダヤ人たちによって支配されており、自分は世界中のユダヤ民族から迫害を受けている」

フィッシャーはまた、カリフォルニアにある貯蔵庫に収蔵していた合法的な個人財産が騙し取られ、違法に売り払われたと主張している。

世界のほとんどの地域で、彼の憎悪に満ちた主張は無視されていた。しかしそれも2001年9月11日までだった。同時多発テロが発生して数時間後、興奮したフィッシャーはフィリピンの バギオにあるラジオ・ボンポ局に急行した。

「素晴らしいニュースだ」フィッシャーは言った。「奴等のクソッタレな頭を蹴り飛ばす時だ。アメリカの息の根を止める時だ。」「(テロ行為を)私は賞賛する。アメリカとイスラエルは何年にもわたりパレスティナ人を虐殺してきたのに、誰も気にもしなかったんだ。そのツケがアメリカにやってきたんだ。クソッタレのアメリカに。アメリカが全滅するのを見てみたいもんだ」

インタビューのニュースは世界中を駆け巡り、必然的ながら反響がやってきた。昨年(2002年)2月、「公共の場での嘆かわしい発言」を理由に、アメリカ合衆国チェス連盟はフィッシャーを除名した。

ラジオ・ボンポ局のパブロ・マルカド氏にとって、問題となった番組はフィッシャーと彼にとって13回目のインタビューであり、それが最後であった。マルカド氏は、フィリピンチェス名人のユージン・トーレ氏からフィッシャーを紹介されていた。フィッシャーがフィリピンに来るときは、夕食を供にした。

「彼は非常に強い個性の持ち主だと思う」マルカド氏はそう言うと、フィッシャーの発言についての道徳的判断については言及を避けた。「フィッシャーは話しやすい人物だが、それは彼が信頼する相手に限ってのことだ。その頃の彼は私を信頼してくれた。彼は気安い男で、独自の観点を持っている。もちろん声も大きいよ。アメリカ人だからな」

かつて、フィッシャーはアメリカンヒーローだった。彼が頭角を現したのは1956年、最年少の13歳で全米チェス王者になった頃からだ。キャリアの頂点は1972年にアイスランドで開催された世界大会で、ソ連のボリス・スパスキーと対局した時だ。その対局はやがて冷戦の象徴となった。フィッシャーは勝利し、国家の英雄となったのである。

その後、フィッシャーはトーナメント出場をしなくなった。その理由については様々な憶測を呼んでいるが、フィッシャー対スパスキー対局のテレビ放映を企画したシェルビー・ライマン氏は、アトランティック・マンスリー紙の記事で語っている:「負けず嫌いなのと、伝説を壊すことが、フィッシャーが二度と対局しない理由の大部分を占めていた」

フィッシャーが再び注目されたのは、1992年、以前とはかなり異なった状況においてだった。ユーゴスラビアで、彼はスパスキーと再度対局したが、それは、当時の合衆国大統領だったブッシュ父の通商禁止令に背く活動だった。フィッシャーは対局に勝利したが、FBIによって告訴される立場に陥ってしまったのである。大統領令に背いた場合の罰則は、10年以上の禁固刑になる。

その時からフィッシャーは亡命者となり、ハンガリー、ホンコン、(妻子が居るとされる)フィリピンに住んでいると伝えられていた。そして今は日本である。なぜ日本なのか?

パブロ・マルカド氏はフィッシャーに理由を聞いたという。「日本は大丈夫だ。日本政府は彼を困らせるようなことはしない」マルカド氏は言った。「(フィッシャーの話では)日本の当局者は他国ほど厳格じゃないということだ」

日本の政府当局者の対応は、無関心といった類のものだ。米国政府からフィッシャーに関して指令があるかどうかについて、警察庁はコメントを避けている。日本の政府当局者の1人は言う。「米国政府に問い合わせるべきだと思いますよ」

東京にある合衆国大使館も、沈黙したままだ。広報官は言う。「進行中の件についてはコメントできない」

最近、フィッシャーに関する記事が日本の新聞に掲載された。1月に、朝日新聞が報じたところによれば、昨年(2002年)12月に、フィッシャーは日本チェス協会に赴き、壁に飾られたチェス対局の絵に目を留めた。「私の対局だ」協会の事務員に告げると、フィッシャーは絵に署名した。後日、その絵は壁から降ろされ、ハリー・ポッターのポスターに交換されたという。

朝日新聞の記事によれば、フィッシャーは「2メートルはあろうかという体で、威嚇的な雰囲気だった。気難しく、怒りっぽい。彼について話す友人もなく、ミステリアスな存在となっている。日本のチェス関係者は彼に関心がない」とのことだ。

しかし、日本チェス協会は、連絡窓口となることで、フィッシャーをサポートしているようだ。「協会はコメントしません。彼はジャーナリストとの接触を嫌っています」同協会の渡井美代子会長代行は言った。

チェスのコミュニティでは、フィッシャーの評価をめぐり挑発的な分裂が生じている。チェスの天才フィッシャーは、「嫌われ者」フィッシャーとは別と見なすべきか?

「フィッシャーがチェスで成し遂げた功績に対しては、今でも賞賛する人は大勢居ます」かつてフィッシャーが記憶に残る対局をしたことがある、ニューヨークのマーシャル・チェス・クラブ会長、ダグラス・ベリッツィ氏は語る。「チェスに関しては、フィッシャーは偉大な対局者でした。彼の対局は世界を感動させたんですから」ベリッツィ氏はフィッシャー氏の暗部についてはコメントを避けた。「不快な事情に関する議論には巻き込まれたくないんです」

フィッシャーの成功を綴った伝記「Bobby Fischer: Profile of a Prodigy」の著者、フランク・ブレイディ氏は、フィッシャーの世界観について残念に思っているという。「反アメリカ的で思いやりに欠けるし、口外に値しない」

ブレイディ氏は、今でもフィッシャーのことを現存する最高のチェス名人であると信じている。「ゲイリー・カスパロフも含めてね」(カスパロフ氏は前世界チャンピオンで、現在でも世界最高にランクされるチェス名人)

「フィッシャーはチェス界のベートーベンか、ミケランジェロだ。彼の対局は永遠に残るだろう」ブレイディ氏は言う。「ボビーは心の狭いひねくれた人物になってしまったといわれるが、私が知っている若い頃の彼はそんな人物ではなかった。とても魅力的で、広い心の持ち主だった。今では全て失くしてしまったが」

フィッシャーは、彼の言うところの「古いチェス」はやらないという。彼によれば「芯まで腐っている」とのことだ。その代わりに彼は、フィッシャー・ランダム・チェスを開発したという。最後列の駒が無作為にシャッフルされている。従来のセオリーは廃棄されており、良いプレイヤーが勝つとは限らない。

フィッシャーは新聞や雑誌インタビューを30年間行っていない。代わりに、人目につかないラジオ局やインターネットに活躍の場を探している。フィッシャーはラジオ放送の最後にWebサイトのアドレスを伝える。サイトは彼自身の作品のようだが、自身を第三者として言及している。内容は、ラジオで行っている非難---それもオンラインで聴くことが可能だ---のインターネット版といったところだ。FBIの告発状他各種書類を掲載している。

インターネットはフィッシャーにとって重要な存在だ。彼に放送時間を与えるラジオ局はだんだん減少しているように見えるからである。近年では、放送は2回きりだった。一つはアイスランドのラジオ局で、最も最近の例では6月、マニラを拠点とするラジオ局の放送だった。

最後のインタビューでも、相変わらずのフィッシャー節に、以前と同じ辛辣な言葉が飛び出した。「アメリカはこれ以上長く存続できないと思う」彼は言う。「米国があまりにも早く崩壊し、過去の遺物へと成り果てるということに皆さんも驚くことになるだろう」

インタビューの終わりに、フィッシャーは聞き手を見つける苦労について打ち明けている。「どこに行ってもうまくいかないんだ」彼は不満を漏らした。「アイスランドでのインタビューの後、世界のどこにも居場所がなくなってしまっている。ただの一箇所もないんだ」

それはおそらく、フィッシャーへの対応をめぐるジレンマの核心をついたものだ。放送時間が過ぎてしまえば、フィッシャーの持ち味である憎悪はどこかへ霧散していくのだろう。

それはまた、フィッシャーを探すうちに膨らんできたジレンマのことでもあった。彼について知れば知るほど、彼を見つけ出したいという気持ちはなくなっていったのだ。


(訳注:原文はチェスの歩(ポーン)をもじった言い回しのようですが、内容がよくわからないので意訳しました。原文:why he turned himself into a pawn)

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