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2005/03/08

「戦傷がアメリカン・ドリームに影を落とす」

(西海岸のローカル紙)The Union Democrat紙2005/03/03付け記事より。以下に全文翻訳して掲載。

米退役軍人局は、湾岸戦争症候群に苦しむ退役軍人約20万人の障害年金請求を拒否しつづけている。さらに、ブッシュ政権は財政赤字解消(というよりイラク占領費用捻出のため)退役軍人向けサービスをどんどん縮小しており、2003年度には退役軍人向け医療予算を30億ドルも削減している


戦傷がアメリカン・ドリームに影を落とす(American Dream clouded by war illness)

by エイミー・リンドブロム:The Union Democrat紙2005/03/03付け記事


ビルとアンナ・デルーエン夫妻の息子は、目だった戦傷を負うことなく、湾岸戦争からコロンビア(サウスカロライナ州)に帰還した。

骨折もなく、銃創もなかった。容姿も以前と変わらぬままだった。

しかし、ビル・デルーエン三世は傷を負っていた。

1989年、幸福で健康な27歳のビルは、陸軍に入隊した。

1991年、戦場から帰還したビルは、重い頭痛と、慢性的な下痢、原因不明の熱に悩まされていた。彼はうつ状態になり、信じられないほど疲労しており、悪夢のせいで夜寝付くことが出来ない。ひとたび眠れば、シーツは汗でずぶぬれになった。

退役軍人局の精神科医は、デルーエンの症状をPTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断した。ビルは、サダム・フセインの共和国防衛隊を攻撃するために編成された陸軍の秘密部隊に所属していたことから、デルーエンの両親は、息子が枯葉剤や神経ガスを浴びたと信じている。

陸軍を退役して13年経過した今、ビル・デルーエンは懲役16年の刑に服している。2001年、彼は覚せい剤を販売していた容疑で有罪を宣告された。両親の話では、ビルは長年の痛みを抑えるために覚せい剤を使用していたという。

このまま何事もなければ、42歳のビル・デルーエンは2013年に出所することになる。

デルーエンの両親は、すでに夫妻ともに70代中盤だが、50歳になった息子が家に戻るまで生きていたいと願っている。

夫妻は、現在のイラク戦争から帰還する兵士達の両親のために、自身の経験が活かされることを期待している。夫妻のアドバイスは警戒を促している:「見えない病気に注視しなさい」

「気をつけて。隠れた兆候を見逃さないで。帰還した兵士達は酷い状態になっているものなんです」アンナ・デルーエンは涙ながらに語った。

デルーエン夫妻はアメリカ人であることに大変な誇りをもっており、1950年代以来の頑固な共和党員である。ベッドルームの壁には、フレームに入ったロナルド・レーガンの肖像とともに、制服を着た息子の写真が飾られている。

ロシア軍とドイツ軍が激突していた頃のハンガリーから、10代のアンナ・デルーエンは母親と一緒に祖国を脱出した。

「ここに居られることは本当に素晴らしいことだし、夫にとっても息子にとっても、アメリカ人であることはとても素晴らしいことです」アンナ・デルーエンは言う。「もしもハンガリーに留まっていたら、こんな素敵な人生を送ることが出来なかったでしょう。あそこでは今でも人々が苦闘しています」

しかし、アメリカへの愛にも関わらず、デルーエン家は半ば政府に裏切られたように感じている。夫妻の話では、湾岸戦争で化学兵器に侵された退役軍人達に、合衆国政府は十分な支援をしていないという。

「私達の息子は、退役軍人局から、汚れたぼろ切れのように棄てられているんです」アンナは言った。


戦傷者(War wounds)
ビル・デルーエンがソノラに戻った時、彼の腕には大きな赤い湿疹ができていた。夜にはゴールド・スプリングスにある両親の家の玄関に到着したが、悪夢と断続的な頭痛に襲われ寝付くことが出来ず、しばしば救急治療室に担ぎ込まれることもあったという。

ビルは際限のない下痢に苦しみ、痩せていった。不眠と原因不明の倦怠感から、彼は日中に眠るようになった。簡単な事も思い出せなくなり、全身が痛むようになった、と父親は語った。

デルーエン夫妻は何かがおかしいと感じた。息子はそのような病気に罹ったことがなかったので、夫妻は怖くなった。

「息子はもがいていました。私達も四苦八苦していました」アンナ・デルーエンは言った。

ビルとアンナ・デルーエンは、息子を医者や精神科医に診せ、原因を解明できると期待した。ベイ・エリア病院に向かう途中、病気で息子の内臓が破裂寸前になり、オークデイルまでしか到達できなかった。

湾岸戦争に派遣された兵士達に対する何年もの医療調査の結果、連邦政府はようやく湾岸戦争症候群が実在する問題であると認識することになった。

退役軍人局のアンソニー・プリンシピ長官が昨年11月に公表した報告によれば、デルーエンが罹っているような症状をさらに調査するために、今後の4年間に毎年1,500万ドルの費用が必要になるとのことだった。

しかし1991年の時点で、退役軍人局の精神科医はデルーエンをPTSDと診断したので、政府は彼に追加の医療手当てを給付することを渋っている。

当時の米国政府は、神経ガスとの関連が懸念される湾岸戦争症候群の存在を否定していた。その代わりに、政府当局者は、兵士達の障害について単に心理的なものと主張していた。

帰還から数ヶ月が過ぎても、ビル・デルーエンの症状が好転する様子はなかった。彼は仕事に就くことができず、痛みが酷いことから普段の生活にも支障をきたしていたと父親は語った。

ビルはソノラを出て、陸軍入隊前に知り合った女性と一緒になるためストックトンに向かった。

アン・デルーエンの話によれば、彼女と友人達は覚せい剤の常用者だったという。

覚せい剤で痛みを紛らわせることを知ったビル・デルーエンは、途端に重度の薬物依存に陥った。


犯罪(Criminal trouble)
ビル・デルーエンとガールフレンドは、ドラッグを買うために金を盗むようになっていた。彼等は、羊牧場の別荘に忍び込んだ際、保安官代理人達に拘束された。

1993年、4件の第一級住居侵入窃盗の罪で、デルーエンは有罪を宣告された。カリフォルニア州におけるスリーストライク法で、ワンストライクにあたる。カラベラス郡判事は、デルーエンを刑務所に収監する代わりに、薬物依存症の治療のために南カリフォルニアのリハビリ施設に送還することにした。

1年の内に、デルーエンは釈放された。しかし、無職の上、頭痛や他の痛みに苦しみ、再び問題を起こすことになる。

2001年、彼はトゥオルミ郡保安官事務所の情報提供者にドラッグを販売した。販売目的でドラッグを所持した容疑で、彼は有罪となった。

1993年の有罪判決と、ストライク法の影響により、判事から16年の懲役刑を宣告された時、デルーエンは事情を知らなかったという。

判決記録によれば、デルーエンは後に、刑務所内で精神科治療を受けられず、明瞭な思考ができないまま罪を認めてしまったと話している。

1994年から施行されたカリフォルニア州のスリーストライク法に、デルーエン家は賛成票を投じていた。それから、昨年、第66提案に賛成を投じた。非暴力犯罪で収監されている囚人をスリーストライク法の例外とする同法案は、否決された。

「息子は過ちを犯しました。彼も私達もそれは理解します」アンナ・デルーエンは言う。「5年の刑期なら我慢できますが、16年というのは度が過ぎています。息子が刑務所に行くことになった理由は、犯罪というよりも病気のためなのです」

デルーエン夫妻は、息子が出所した時の医療援助と生活費を捻出するために、退役軍人局相手に追加の障害年金を要求するべく、新たに弁護士を雇いいれた。

しかし、デルーエンの有罪記録により、ラ・ホーラ郡退役軍人向け弁護グループのマーク・リップマン氏はクライアントの依頼を完全には楽観視できない。

「政府は、国民を入隊させる時には軍部に最大限の賛美を惜しまないが、戻ってきた退役軍人には誠に不親切なのです」リップマンは言った。


忠誠を忘れない(Remaining faithful)
月に一度、天気の良い日には、デルーエン夫妻はスーザンビルのハイデザート州刑務所に5時間かけて出かけ、息子と数時間を過ごすようにしている。それが終わると、5時間運転して自宅に戻るのだ。

刑務所では、ビル・デルーエンはいくらかの精神的支援を得て、頭痛と悪夢に対しても投薬を受けている。

先日、デルーエン夫妻は、事態の改善のために何かできることがあるかどうか、面会の際に息子に聞いてみたところ、息子は泣いた。

「母さん、気分が悪かったり頭が痛いとき、覚せい剤だと具合がいいんだよ」息子が繰り返す言葉を、アンナは話した。

デルーエン夫妻は、今でも信仰を欠かさず、何か息子が救われることが起きるよう祈っている。

退役軍人局に失望したにも関わらず、夫妻は今でも、政府が息子に手を差し伸べてくれると確信しているという。

「息子は祖国のために喜んで身を捧げました。しかし祖国は息子を切り捨てたのです」アンナは言う。「息子が苦しむ姿をみると心が痛みますが、彼は不平を言いません。この国に暮らせることも、アメリカ国民であることも素晴らしいことです。ただ私は、この国の法廷と政府が、息子を救うために変わってくれることを願っているのです」(以上)


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