2005年10月12日、インド・パキスタンで発生した大地震の被災状況を視察に出かけたライス米国務長官は、そのままアフガニスタンにも足を伸ばした。彼女がカルザイ大統領との共同記者会見に臨むと、タリバン系武装勢力はアフガニスタン政府軍兵士6人と医者を含む民間人5人を殺害して、米国からの客人を歓迎してみせた。するとライスは、同国の現状について会見でこう評した:
「(アフガニスタンは)民主主義の前進により、世界を奮起させています。」ライスは皮肉を言っているのだろうか?以下にアフガニスタンの近況を示す資料を引用してみよう。
国連の報告によるアフガニスタンの治安状況(色の濃い場所が治安の悪い場所を表す。上が2003年6月、下が2004年10月。2005年現在の状況は前年に近似とのこと:source:Afghanistan: Four Years After the Invasion)画像クリックで拡大表示します。
治安状況
| 70,000人 | 米政府のアフガニスタン政府軍訓練兵員目標 |
| 31,000人 | 2005年6月までに訓練が完了したアフガニスタン政府軍兵士数 |
| 8,000人 | 訓練中に行方不明になったアフガニスタン政府軍兵士数 |
| 18,000人 | アフガニスタン駐留米軍兵士の人数 |
| 147,000人 | イラク駐留米軍兵士の人数 |
| 10億ドル | アフガニスタン駐留米軍の月間費用 |
| 60億ドル | イラク駐留米軍の月間費用 |
| 4人 | 2001年10月から2002年12月の間に殺されたNGO職員の人数 |
| 24人 | 2004年度に殺されたNGO職員の人数 |
| 1,200人 | 2005年4月以降のタリバン復活による武力衝突で死亡した人数 |
| 1,800人 | 私兵を率いる地方軍閥の部族長の人数 |
アフガニスタン駐留米軍の戦死・負傷者人数の変遷
| 55人 | 2001年10月から2002年12月までの米軍戦死者数 |
| 86人 | 2005年1月から2005年10月までの米軍戦死者数 |
| 107人 | 2001年10月から2002年12月までの米軍負傷者数 |
| 166人 | 2005年1月から2005年10月までの米軍負傷者数 |
(以上統計のsource:Afghanistan by the Numbers/Center for American Progress2005年10月5日付け記事)
米軍による軍事侵攻からすでに4年。上記の統計資料にもあるように、アフガニスタン国内の戦乱は収まる気配がない。4年前に殲滅したはずのタリバン系武装勢力も復活し、同国内に駐留する英米軍兵士を震え上がらせている。
兵力不足に悩む英米軍はNATOに助けを求めたが、ドイツ、フランス、スペインから成る「古いヨーロッパ」NATO軍は、ラムズフェルド米国防長官の協力願いを当初は拒否した。しかし、後にカルザイ大統領との交渉により、米軍から独立した指揮系統での兵員増強に合意している。
さらにカルザイ大統領は、隣国パキスタンへの対応を巡り冷え始めた米国との関係を象徴するかのように、軍備増強面でロシアの協力を仰いでいる。(ライスが急遽アフガン入りした理由はこれだろうか?)
アフガニスタン再介入の機会を得たロシア側は、イランを巡るライス米国務長官からの協力申し出を拒否し、「体制が落ち着いたら米軍は駐留する理由がなくなる」と言っている。「アメリカはアフガンからさっさと出て行け」というわけだ。まるで20年ほど時間が逆戻りしたような雰囲気である。そういえば、今年8月に行われたトロントスター紙の取材の際、アフガニスタン駐留カナダ軍少将は、アフガニスタンでの治安活動について「20年は続くだろう」と遠い目をしていた。
一方で、アフガニスタンで米国特有の「民主主義」が実現した実例もある。例えば、ブッシュ政権が中東向け政府広報を強化するために、ブッシュ家お抱えのプロパガンダ専門家カレン・ヒューズを米国務次官に就任させると、タリバン側の指導者ムラー・モハンマド・オマルも新たに3人の広報担当官を指名し、メディア対策を強化している。(着任早々張り切って中東各国に宣伝に出かけたヒューズ国務次官は、サウジ、トルコ、エジプト等訪問先で、キリスト教原理主義者としての個人的信条を披露しており、地に堕ちた米国のイメージをさらに泥沼に沈めようとしている。)
先ごろ開催されたアフガニスタン州議会選挙では、米大統領選挙と同じような不正が発覚し、国連・アフガン合同選挙管理委員会は、不正に関わった職員50人ほどをただちに解雇した。一方、2000年度合衆国大統領選挙で、フロリダ州のアフリカ系アメリカ人住民の投票権を不当に大量剥奪し、自ら支持するブッシュ陣営に勝利をもたらしたフロリダ州選挙責任者キャサリン・ハリス州務長官は、何の罪にも問われることなく同州の下院議員(共和党)に出世し、次回2006年度には上院選挙に出馬するという。
つまりこういうことだ。中東に『民主主義商品』を押し売りし過ぎて、アメリカでは石油と同じくらい民主主義が入手困難になったわけである。
