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2005/11/21

反戦団体を率いるコロラド州兵

AP通信2005年11月10日付け記事を以下に全訳して掲載。

志願して戦場に行った人が反戦を唱えるという皮肉と、親のコネで兵役を逃れた最高司令官が、貧乏な国民を欺いて戦地に送り込み、「勝利するまで戦争を継続させろ」と命令する皮肉。他国を侵略する権利と、反戦を主張する権利のために、戦争が必要だったと信じている皮肉。自ら迷い込んだ世界からの出口戦略を探して、私達は永遠にもがき続けるのだろうか。

反戦団体を率いるコロラド州兵(Colorado Soldier Founds Anti-War Group)

AP通信2005年11月10日(Common Dreams転載

ケリー・ドハティ

2005年3月19日、ノースカロライナ州フェーエットビルで3000人以上が参加したイラク占領2周年反戦行進に参加した際のケリー・ドハティ軍曹 (Photo by Jeff Paterson)


2003年、戦争の正当性を疑問にもちながら、ケリー・ドハティ軍曹はイラクに行った。

2004年に帰還し、戦争の不当性を確信した彼女は、反戦イラク帰還兵の会(Iraq Veterans Against the War:IVAW)の発起人の1人として名乗りを挙げた。

「裏切り者呼ばわりされることもあります。非国民と言われることもありますよ」27歳のドハティは自身の反戦活動について話した。「私達が活動する理由は、アメリカを深く憂慮しているからなんです。」

「心からアメリカに感謝していますが、我が国は非常に悪い行いをすることもあるのです。」

コロラド州兵第220憲兵部隊所属のドハティは、イラクのナザリア付近に10ヶ月間駐留した。戦闘に遭遇することもあったが、自分の銃を使うことはなかった。

無実のイラク市民数千人が殺され、水道や電気、下水設備を復興するというアメリカの約束が破られていくのを見るうち、米軍は撤退すべきであると確信したと彼女は言う。

イラク市民の表情も、ドハティの疑問を深めるきっかけとなった。

「はじめのうちは、市民も笑顔で手を振っていました。しかし、駐留して10ヶ月が経過した頃には、背中を向けられ、無愛想な態度をされるようになりました。」彼女は言う。

2004年2月に帰還すると、8年間所属した州兵部隊を名誉除隊し、新たな活動に乗り出すことになった。

生活や収入源の確保を保留し、大学や高校、地域コミュニティで戦争体験を話すために国内を旅している。

「イラク戦争は国防のためではないのです。これは侵略戦争なのです。」そういうドハティは、反戦活動では何の収入も得ていない。

デンバーのレジス大学で最近行われた反戦教育ツアー(the Wheels of Justice Tour)において、ドハティが話したところでは、彼女の部隊では、食料等の補給品を満載したトラックが故障すると、貧窮したイラク人が水や食料、車輌部品を奪っていくのを防ぐために、トラックごと焼き払うことがしばしばあったという。

「部隊の多くはイラク国民を救うために働くよう求められていたのに、唯一できたことといえば、子供にキャンディを配ることぐらいでした。」暖かな秋の午後、彼女の話を聞く為に集まった6人のレジス大学学生を前に、彼女は話した。「キャンディーなんて要らないんです。市民が必要としているのはきれいな水と安全なのです。」

ドハティの最悪の経験のひとつは、軍の契約した民間補給トラックの車列が、田舎道を猛スピードで走り、子供を含めたイラク市民たちを轢いても停止しないよう命令された件だった。

「国を護ってなどいなかったのです。私が護っていたのは、基地に向かうハリバートンのトラックだけでした。」彼女は言った。

ドハティの話では、彼女の所属した憲兵部隊は、田舎の事故現場で調査官達の警護をしていたという。そうした事故には、軍の車列が少年をひき殺した事件も含まれていた。

「遺族は現場に居たんです。年老いた親類は膝をついて地面に泣き崩れました。彼等にはどうすることもできなかったんです」彼女は話した。

ドハティは、アメリカ軍兵士が、発電所の再建や水道設備、学校の建設に関われると期待していたという。しかし、実際に彼女が目撃した建設現場は、米軍基地の現場だけだった。

「私の見る限り、私達の存在は混沌と暴力を増加させているだけでした。」彼女は言う。「米軍が駐留する価値について、日増しに私は自信を失くしていたのです。」

イラク復興活動は、イラク特別監察官の最新報告でも課題のひとつになっている。300億ドルの復興予算について問題を指摘しながらも、同報告では、「危険に満ちた環境、不安定な政治状況、紛争地帯で作業する際の過酷な現実」と最近のニューヨークタイムズ紙日曜版が評する状況にも関わらず、復興計画の一部について『確実な前進』がみられるとしている。


兵士の見込みなし

子供の頃両親の離婚を経験したドハティは、労働者の多く住むキャノン・シティで育った。よく質問をする良い子供だった。

1996年に高校を卒業した時、彼女の頭には二つのことがあった。大学に行きたいが、両親には学費を払う余裕がない。

彼女の義父で、陸軍退役軍人のジム・ブレナーは、奨学金を受けられるとして州兵への入隊を彼女に促した。

実父であるショーン・ドハティは、ベトナム退役軍人で、娘の州兵入隊には反対した。

それにもかかわらず、ドハティは、親友のエリザベス・スプラドリンと共に、プエブロのコロラド州兵部隊に志願した。

月に一度の州兵任務では衛生兵として、コロラドスプリングのコロラド州立大学の授業と掛け持ちした。専攻は生物学で、医療機関で働くのが夢だった。

1999年、ボスニアに派遣される兵士に憲兵として同行するために、彼女はハンガリーに8ヶ月間派遣された。2003年には、再び憲兵として戦場に配備されるべく、2003年1月からイラクの任務についた。

「派遣される前に、911テロとイラクは無関係なので派遣には懐疑的だと、将校の1人と話したんです。その将校も、疑問に思っていると言ってました。」

しかしその夜、将校は部隊に、911テロにイラクは関わっており、合衆国は反撃する必要があると説明した。

「指揮官は兵士達を誤解させたんです。」彼女は言う。

彼女の部隊はまずクウェートに到着したが、イラク側からスカッドミサイルが発射されたという警報で、地下壕で身を縮めていた。

「私達は完全装備でいました。ミサイルには生物化学兵器が搭載されていると言われていたんです」ドハティは言う。

またしても兵士達は誤解させられていたんです、と彼女は言う。後に合衆国政府は、イラクには生物化学兵器は存在せず、大量破壊兵器もなかったと発表することになった。


反戦への道のり

国内の高校を巡りながら、とりわけコロラド州兵部隊の中心地であるコロラド・スプリングスで、ドハティは高校生たちに、州兵志願するよりも、助成金や他の学費補助制度をあたるように指導している。

「軍のスカウト担当官の話は懐疑的に聞く様に指導しています」彼女は言った。「選択肢は他にもあると言い聞かせています。」

環境衛生学で学位を目指すドハティの話では、2004年7月以来、彼女の下に集まる聴衆は少数で、たいていは既に彼女の姿勢に賛成している人々だという。

しかし、ドハティと同僚6人で設立した『反戦イラク帰還兵の会』のメンバーは、現在では300人に増えた。世論調査でも、戦争支持派は激減している。

ブログ界では、戦争支持派の批判の標的として、しばしば自分が槍玉にあがることにドハティは気づいている。彼女に異論を唱えるイラク帰還兵との議論も楽しんでいるという。

「私は兵士達を支持していますし、私の経験と彼等のそれは違うというだけなんです。」彼女は言った。

ドハティは、反戦活動に関して義父とは議論しないが、実父は反戦活動に積極的であるという。

最近では、デンバーの北長老教会で、同会としてはその週の最大動員数である75人以上の聴衆が集まり、ドハティと他の二人のイラク帰還兵の話に耳を傾けた。

「ヨーロッパには世界危険国家ランキングというのがありまして、アメリカはその最高レベルに選ばれたんです。」ドハティは聴衆に向かって言った。

聴衆の1人、25歳のマット・ウォルシュは、市民の犠牲者数が膨大であることや、飲料水と食料の不足で、多くのイラク人が反米に転じている事実について初めて聞いたという。

「イラクに行った人は身近にいませんからね」今年大学を卒業したウォルシュは言う。「僕も入隊志願してイラクに行っていたかもしれない」

ドハティと同僚のイラク帰還兵達に、聴衆は立ち上がり拍手を送った。

「イラクで本当に何が起こったのか、聴衆を見ていて理解できましたよ」ベトナム戦争時代にドイツに駐留した退役軍人、ジョン・アディソンは言った。「兵士達の思いがけない話にも感銘しました。」


誰もが同意するわけではない

体験談の中で、イラク国民、特にイラク人女性達とのわずかな出会いを通して、イラクの人々が善良であると確信したとドハティは言った。

「そうした経験から、兵隊の1人としてではなく、もっと別の能力をもって戦地に居たならば、と思いました。」

教会の執事、ジェフ・チャップマンは、合衆国国旗のネクタイと国旗のピンをジャケットの襟に着けて、ドハティの話を聞いていたが、同意はしていない。

「イラクでテロリストたちと闘わなかったなら、もっと多くの米国民が国内で死んでいると思いますよ」空軍退役軍人のチャップマンは言う。

「しかし、この人たちのやっていることは立派です」彼は言った。「そういうことを自由に話せる権利のために、私も戦ったんですから。」
(以上)

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