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2006/11/30

リトビネンコ事件:主要登場人物をまとめてみる

元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐、アレクサンドル・リトビネンコ氏の変死事件はあまりにも衝撃的だったが、その後の事件調査の展開も実に複雑で、情報が錯綜しており、今後の展開も全く予測がつかない。

リトビネンコ氏周辺の人々は、プーチン露大統領を暗殺犯として批判しているが、死に至る過程がこれほど派手に報道された事件を指して暗殺というには少々違和感があると言わざるをえない。それに比べると、今年10月7日に自宅前で射殺体として発見されたロシア女性ジャーナリスト・ポリトコフスカヤさんの事件はまさしく『暗殺』だった。この二つの事件を同列に並べようとするPR企業側の努力と、それに素直に従うメディア報道の単調さには目を見張るものがあるが、二つの事件の背後にある犯行動機はかなり性質が異なるように思われるし、手法も全く異なり、事件の影響力もまるで違っている。(今回の事件では、ロシアの資源マフィア筋が“商品”を使って仇敵に復讐したようにも見える。)

二つの殺人事件の大きな共通点は、どちらもプーチン大統領にとって大変気まずいタイミングで発生したということだ。女性ジャーナリストの射殺体が発見されて2日後、プーチンはEU指導者との非公式ミーティングに出席しなければならなかった。そして今度は、フィンランド首都ヘルシンキで開催されたEU指導者会議に出席している最中に、リトビネンコ氏の死が世界中で報道されている。冷酷非道な独裁者プーチンにとって、政敵を暗殺するなど朝飯前だろうが、合衆国の天然残虐二世大統領と違って、秘密工作だらけのKGBを駆け上ってきたプーチンには頭脳があるはずだ。FSB要員の亡命と反抗を本当に恐れているなら、黙って亡命者達の資金源を絶つのがより合理的且つ効果的ではないか。

今やロンドンは放射性物質への恐怖で大騒ぎになっている。航空機もホテルもお店も街角でも毒物捜索の最中である。爆弾テロ事件以来、スコットランドヤード側の捜査体制も強化されているので、実行犯の特定は可能だろう。さらに世界中の大手メディアが、プーチンの出身組織がいかに冷酷無比な殺人集団であったかをわかりやすく特集してくれている。このもようを連日テレビで観ながら、果たしてあの陰気なプーチンが手を叩いて喜んでいるだろうか?

・・・とりあえず、現在までの報道を元に、以下に主要な登場人物についてまとめてみた。どの人物も、実に興味深い経歴の持ち主ばかりだが、米軍侵攻後のイラクで活躍したPR企業が、今回の事件でも活躍している件はもっと注目されてもいいだろう。他にもSISMI、ユコス石油、ブッシュ家等、見慣れた名称があちこちに見え隠れするが、これらはもちろん偶然の産物である。

ところで、今回の事件に使われたとされるポロニウム210は、製造・入手きわめて困難と当初報道されていたが、サンフランシスコ・クロニクル紙の報道によれば、ネット通販で誰でも購入可能ということだ。極めて少量のポロニウム210なら、ケース付きで1個69ドル、宅配便で配達OK!詳しくはユナイテッド・ニュークリア・サイエンティック・サプライ社へどうぞ。


アレクサンドラ・リトビネンコ
ロシア人の元情報将校。イギリスに亡命中。プーチン政権批判で知られる人物。11月1日、ピカデリーのスシ・バーでイタリア人マリオ・スカラメラ氏と会食し、その後ロンドンのミレニアム・メイフェア・ホテル内バーで知人と茶を飲み雑談をして、その他各所に立ち寄った後で帰宅。夜になると体調不良を訴え、後に入院、「毒を盛られた」と話した。入院後に髪が抜け落ちやせ衰えるなど症状は悪化していき、2006年11月23日午後9時21分にロンドン中央部のロンドン大学付属病院緊急治療室で死亡した。(享年43歳)
経歴:1988年にKGB防諜部に入隊し、後にFSB(ロシア連邦保安局)部長に昇進。1991年頃から組織犯罪対策とテロ対策に専任し、1997年にはFSBの極秘班である組織犯罪対策班に移動。1998年、FSB上司をロシア富豪ベレゾフスキー氏暗殺を企てたと公的に告発し、職権濫用罪で9ヶ月間収監される。釈放後の2000年にイギリスに亡命し英国市民権を得て、家族と共にロンドンに在住していた。2003年に初の著作「Blowing Up Russia」を出版。
英タイムズ紙11月26日報道:「ロシア保安界の専門家、アンドレイ・サルダトフ氏の証言:“リトビネンコは通常のFSB要員ではなかった。彼は組織犯罪対策班に所属した。これは特殊な班で、しばしば犯罪組織とのつながりを批判されている。”」英BBC11月24日報道:「諜報専門家グレンモア・ハーベイ氏は友人リトビネンコ氏についてこう語る-“彼は内部調査班を率いて、ロシア諜報組織内の汚職を捜査していた。その頃から多くの敵を作った”」
死亡前のリトビネンコ氏の暴露した情報には、「アルカイダ副官アイマン・アル・ザワヒリは911テロの1年前にダゲスタンでFSBの訓練を受けていた」「プーチン首相は小児性愛者」という怪情報があり、リトビネンコ氏自身は亡命後にイスラム教徒に改宗したとの情報もある。いずれも真偽のほどは不明。
イスラエル・ハーレツ紙11月25日報道によると、リトビネンコ氏は数ヶ月前にイスラエルに行き、ユコス石油元CEOのレオニード・ネフツリン氏にロシア政府の機密ファイルを手渡したという。ファイルの中身はユコス石油に関するプーチン政権の策謀を示す内容で、すでにスコットランドヤードの手中にあるとのこと。
マリオ・スカラメラ
イタリア人の防衛コンサルタントで、学者。核物質の流通に詳しく、イタリア下院で冷戦時代のKGB工作活動を調査する議会特別調査委員会(ミトロキン委員会)の相談役を務める。リトビネンコ氏とは、ロシアの核物質密輸ネットワークの調査で協力関係にあった。11月1日、ロンドン・ピカデリーのスシ・バー「Itsu」でリトビネンコ氏と会食をした際に、同僚からの警告メールを見せながら、リトビネンコ氏と共に暗殺される危険について話した。スコットランド新聞Scotsman.com11月20日報道:「イタリア国内報道によれば、スカラメラ氏はイタリア情報・軍事保安庁(SISMI)要員で、CIAとコロンビア諜報局のために活動したこともあるという。」)
アンドレイ(セルゲイ)ルゴボイ
元FSB要員で、現在ロシア国内で保安企業を経営している。リトビネンコ氏とはFSB時代に同僚だったが当時は互いを知らず、1996年にボリス・ベレゾフスキー氏の所有するテレビ局ORT社の警備責任者を務めた際に知り合ったという。(ボリス・ベレゾフスキー氏はリトビネンコ氏の雇い主でもある。)英テレグラフ紙11月25日報道によれば、「ルゴボイ氏が暗殺犯であるという中傷の大部分はベレゾフスキー氏の周辺から派生している」
ドミトリ・コフチュン(Dmitry Kovtun)
アンドレイ・ルゴボイ氏のビジネス・パートナー。11月1日、ロンドンのミレニアム・メイフェア・ホテルでルゴボイ氏と共にリトビネンコ氏とお茶を飲んだロシア人。経歴不明。
アレクサンダー・ゴールドファーブ(Alexander Goldfarb)
ベレゾフスキー氏の設立した団体の責任者を務めるロシア移民。リトビネンコ氏がロシアで収監された頃に知り合い、リトビネンコ氏をトルコ経由でイギリスに亡命させた人物。リトビネンコ氏入院から死亡後の現在まで、リトビネンコ事件の広報担当窓口を務めている。
ボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)
応用数学博士。ソ連崩壊後、急速に民営化が進んだ90年代ロシアで最初の大富豪にのしあがった人物で、プーチン政権以前にはロシア政界黒幕と言われた人物。最近では、プーチン政権転覆を企てたと告白している。
朝日新聞11月26日報道:「ベレゾフスキー氏はエリツィン前大統領時代に安全保障会議副書記などを務め、政権に強い影響力を持った。だが、プーチン政権下では、国有資産の横領容疑などで訴追を受ける一方、大統領を強権的と批判。03年に英国に政治亡命した。リトビネンコ氏とベレゾフスキー氏は、多数の死者を出した99年のモスクワでのアパート爆破事件を「ロシア連邦保安局の仕業」とそろって主張するなど、密接な関係にあった。」
ベレゾフスキー氏は、合衆国大統領の弟ニール・ブッシュの経営する教材企業イグナイト社に出資者として参加しており、ブッシュ家とは知己があるといわれている。
ティモシー・ベル(ベル卿Lord Bell)
英PR業界最大の大物で、サッチャー政権誕生を支えた広報専門家。英国政界究極のスピン・ドクターと呼ばれる人物。今回の事件で、リトビネンコ氏遺族・ゴールドファーブ氏・ベレゾフスキー氏側のPR戦略を担当しているベル・ポッティンジャー・コミュニケーションズ社(Bell Pottinger Communications)の会長を務めている。リトビネンコ氏の入院後の映像はこのPR企業が配信している。他にも、米軍のイラク侵攻後、イラク民主化キャンペーンを4ヶ月580万ドルで受注し、フセイン体制崩壊後初のイラク国民選挙キャンペーンを担当している
ジョン・ヘンリー博士(John Henry)
容態悪化後のリトビネンコ氏の中毒症状について最初の診断を下した毒物専門家。2004年ウクライナ大統領選挙で、親ロシアのライバル陣営に毒を盛られたと主張するユシチェンコ氏の症状をダイオキシン中毒と診断した件で世界的に知られている。
(補足)ウクライナ大統領選ではユシチェンコ支持派国民によるオレンジ革命が話題になったが、このキャンペーンの背後には米国務省の支援があったといわれる。2004年12月26日にユシチェンコの大統領就任が確実となった次の日、ユシチェンコ陣営の選挙資金担当者が自宅で死体となって発見された。2005年には、当時のCIA長官ポーター・ゴスがユシチェンコ大統領と非公式に面会している
アナトリー・キーロフ(Anatoly V Kirov)
ロンドン駐在のロシア大使館員。死亡直前のリトビネンコ氏が、「私を狙うロシア諜報要員」と名指しで批判した人物。公式には2005年10月末にキーロフ氏はロシアに帰国しているが、リトビネンコ氏は容態悪化直前にもキーロフ氏に監視されていると語っていた。(豪サンデータイムズ紙11月27日報道
パオロ・グッザンティ(Paolo GUZZANTI)
フォルツァ・イタリア党(党首はベルルスコーニ前首相)所属のイタリア国会議員。冷戦時代のKGB工作活動を調査する議会特別調査委員会(ミトロキン委員会)委員長を務めており、委員会にはコンサルタントとしてマリオ・スカラメラも所属している。死亡したリトビネンコ氏には調査協力を依頼した関係で知り合い。
英タイムズ紙11月27日報道:「グッザンティ氏によれば、リトビネンコ氏はFSB時代の上司アンドレイ・トロフィモフ将軍から、“イタリア首相ロマノ・プロディはロシア諜報部員だからイタリアに行くなと警告された”と語ったという。しかし、死後に公開された伊リパブリカ紙のインタビューで、リトビネンコ氏は“プロディ氏の名前など話題にしたことはない”と語っている。」

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