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12/25/2006

ボブ・ハーバート:『アメリカの傷口』

「私は皆さんが思っているよりもずっと良く眠っているんですよ。」
(I'm sleeping a lot better than people would assume.)

ジョージ・W・ブッシュ大統領、2006年12月14日に行われたインタビューで発言(source

Promises Betrayed

ボブ・ハーバート最新コラム集『Promises Betrayed: Waking Up from the American Dream

今回はニューヨークタイムズ紙の人気コラムニスト、ボブ・ハーバートの最新コラムを翻訳して掲載。

今回のコラムで指摘されているとおり、ハリケーン・カトリーナ被災地の復興は停滞している。その一方で、イラク戦争で米国政府はこれまでに3,500億ドル(約41兆5,992億5,000万円)を支出しており、アフガニスタン戦争その他テロ戦争費用を合計すると、米国の戦争関連支出は5,000億ドル(約59兆4,275億円)を超えているという。さらに先週、米国防総省はイラク・アフガニスタン戦争追加予算として997億ドル(約11兆8,498億4,400万円)を要求している

2003年5月に「イラクでは主要な戦闘は終了した」と宣言したジョージ・W・ブッシュ大統領は、2006年12月になると「我が国は勝っても負けてもいない」と勝利宣言を事実上取り消し、イラク駐留米軍の増強を訴え始めた。現在ホワイトハウスのウェブサイトに掲載されているあの悪名高き『トップガン大統領』演説ビデオをみると、いつのまにか『任務完了』の横断幕がフレームアウトされている。『任務完了(Mission Accomplished)』の文字は当時の公式写真にも見当たらない。)

今年の中間選挙で敗北し、政府職員の顔色が気になり始めたブッシュは、米軍兵士を含めた公務員の昇給を求める大統領命令に先日素早く署名した。この法律によって、2008年1月から米連邦政府職員は(兵士も含め)平均で2.2%昇給される。なお、この昇給命令には、米国議員全員及びディック・チェイニー副大統領の昇給(1.7%増)も含まれているという

アメリカの傷口(America’s Open Wound)

by ボブ・ハーバート:ニューヨークタイムズ紙2006年12月21日付けコラム

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「メリー・クリスマス」ルイジアナ州ニューオリンズ市9区南端部、ハリケーン・カトリーナ大災害の被災地の様子。(写真クリックで拡大)

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(Photograph provided by David Metraux: from www.davidmetraux.com


不気味だ。辺りは静まり返っている。雑踏もない。日が暮れていく。

私の足元にある5つの石段は、かつてベランダか、あるいは玄関へと続いていたことだろう。もはや確かめることもできない。住居は完全に無くなっている。残されたのは5つの石だけで、その一つには住所が記してある。レイネス通り1630番地。石段は、まるでミニマリストの芸術作品のように、雑草と瓦礫が残るちっぽけな区画の前に佇んでいる。その隣では家屋が、沈没する船のように完全にひっくり返っている。

ルイジアナ州ニューオリンズ市9区南端部へようこそ。ここではとても休日気分にはなれないだろう。どの方角を見ても、見渡す限り、荒廃が拡がっている。

他の区画では、朽ち果てた家屋の瓦礫が積まれた光景を前に、中年男性が涙目で立っていた。汚れた白い野球帽を被り、子供のように泣いている。近づいて質問を試みたが、拒否された。

ニューオリンズについて皆さんが何を耳にしていようとも、現実ははるかに酷い。まるで大きく広がった傷口のように、かつて偉大だったこのアメリカの地方都市は、ハリケーン・カトリーナ上陸時の壊滅的な洪水災害から1年以上経過した今でも、大部分が廃墟であり、地元住民の多くは苦痛に身を震わせている。

市中の大部分は、何マイルにも渡り、放棄されている。住民だった人々は親戚らと同居するか、FEMAが用意した仮設住宅に身を寄せるか、テキサス、ミシシッピ、ジョージアやその周辺へ移動した(永久に戻らない人たちもいる)。そのままホームレスとなった人たちもいる。

「人に尋ねられたら、ゴーストタウンと答えますよ」ウェイトレスのシェイラ・イーサリッジは言う。彼女の自宅は全壊し、3人の子供はアトランタ近辺の親戚宅に預けてある。「日が暮れると本当に不気味になるわ。レストランの奥で寝泊りさせてもらってるけど、本当のこと言うと、客があんまりいないの。近所があのとおりですもの。どこも空き家。みんな出てったんです。」

ニューオリンズ復興への取り組みはイラク戦争同様である。

2005年9月中旬、市の一部が未だ水没し、第82空挺師団が市中をパトロールする中、歴史に残るジャクソン広場において、ブッシュ大統領はドラマティックに姿を見せた。大統領は、全国放送された演説の中で、湾岸地区の再興のためにあらゆる手を尽くすだけでなく、深刻で根深い貧困の過酷な問題に取り組むと約束した。

「そうした貧困は人種差別の歴史に根ざしており、数世代に渡りアメリカから機会を奪ってきた。力強い行動によりこの貧困に立ち向かうのが我々の務めだ。」大統領は言った。

さて、それから1年以上が経過し、ニューオリンズの現在の人口は災害前の半分にも満たない。連邦政府は復興予算に数十億ドルを割り当てたが、予算のほとんどは無駄使いされ、あるいは官僚主義の下で絶望的に滞っている。援助を必要とする被災者-家を失い、嵐に気力を奪われた貧しい被災者達が再出発に必要とする支援はほとんど行き渡っていない。

市中にある病院や学校の多くは閉鎖されている。一部は今後も再開されないだろう。公共交通機関もほとんど動いていない。政治家達はカトリーナ災害後に驚くほど主導権を発揮したが、仰々しい復興計画は次から次へと行き詰まっている。

洪水の恐ろしい経験とその後遺症は、市内各所にある多くの建物に残された水面跡と同じように、住民達の心に傷を残した。私を乗せたタクシー運転手は、洪水で水面が上昇する頃に、或る肥りすぎの女性が枕を抱えていた事を話しながら、言葉を詰まらせた。彼女は枕が浮き輪代わりになると思っていたのだ。

「彼女も溺れて死んじまったよ」運転手は言った。

精神上の問題も山積だが、それに対応する精神衛生の専門家は極端に不足している。住民は深刻な不安や鬱、統合失調症や他の精神障害にさいなまれている。医師たちが私に話してくれたところでは、精神に障害を負った多くの患者達が、所定の治療を受けずに1年以上も行方不明だという。

市内に住む貧しい住民の多くが、連邦政府とアメリカから見棄てられ、大統領が約束を破ったと感じている。「ものすごく酷い目にあってるんです」デロレス・グードと名乗る女性が言う。彼女はスーパードームの外に立ち、通行人にベビーシッターの仕事がないかどうか尋ねている。「去年、私達はいつもテレビに出ていました。今では、また元の無名の人間に戻ってしまったんです。」
(以上)

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12/19/2006

一方ウォールストリート以外のアメリカでは・・・

ニューヨーク市民、食事も買えない貧困層は15%

Economic Apartheid in America

『Economic Apartheid in America: A Primer on Economic Inequality & Insecurity』(2005年改訂新装版)

ウォールストリートがボーナスで沸きかえっていることは報道でよく理解できた。では、それ以外のニューヨークはどんな調子なのかといえば、あまり知りたくないニュースがチラホラみられる。

AP通信11月21日付報道によれば、ニューヨーク市民の内15.4%は食費にも困る貧困層で、2006年末までにその数はさらに11%増加すると予測されている。ニューヨーク市住民810万人のうち、フードスタンプ(低所得者向け食糧供給制度)受給者はおよそ110万人にのぼるという。(市民団体『ニューヨーク市飢餓対策連合(New York City Coalition Against Hunger)』が発表した調査による)

「怠け者だから貧困に陥るのだ!むやみに支援策を拡大すべきでない」と米保守層は主張しがちだが、近年急増する貧困層とは、怠けているどころか必死に働いて家族を食わせている人たち(ワーキング・プア)である。ニューヨークの例でいえば、ニューヨーク市の公共業務に就いている労働者のうち約8,000人(市職員の3%)は、あまりにも低賃金なので家族を食わせるためにフードスタンプに依存しているということだ。NYデイリーニュース紙報道

もちろん、貧困増加はニューヨークだけの現象ではない。アメリカ内国歳入局が先ごろ発表した統計によれば、およそ6,000万人のアメリカ国民が1日7ドル(約827円)以下の収入で暮らしているという。一方で、ウォールストリートのCEO達は50億円のボーナスを受け取り、石油メジャーCEOの退職金は400億円を軽く超えるのである。

超格差社会と経済隔離政策

そんなアメリカの超格差時代はいつからはじまったのか?1976年、企業CEOと一般労働者の収入格差は36倍だった。それが1993年度には131倍になり、軍事産業がイラク戦争特需に沸いた2004年度では、企業CEOと一般労働者の収入格差は431倍にもなっている

資産ベースでみると、アメリカでは上位10%の富裕層が国内資産の70%を保有している。フランスでは61%、イギリスでは56%、ドイツでは44%、日本では39%というから、米国の富の集中度は凄まじい。

莫大な資産は努力の結果だろうか?まあ、そうでもない。フォーブス400にランクインする資産家の42%は、ジョージ・ブッシュと同じく、ただ単に親の資産を相続しただけで、相続税の撤廃を主張する以外に努力などしていない。米シンクタンクの研究によれば、アメリカでは、富裕な家庭に育った子供がトップ5%の超金持ちになる確率は、貧困家庭に育った子供よりも22倍高く、下位25%の家庭で生まれた子供が黒人の場合、そのまま貧困層に留まる確率は白人より2倍多い。

貧困層から富裕層になれる確率(社会的流動性)でいえば、デンマーク、ノルウェイ、フィンランド、カナダ、スウェーデン、ドイツ、フランスのほうがアメリカ合衆国よりも機会に恵まれる(「アメリカンドリーム」を実現しやすい)ことが調査で判明している。先進諸国でアメリカよりもチャンスの少ない国はイギリスだけだという。(大英帝国から新大陸を目指した人達の願いはかろうじて適ったわけだ。)

富裕層と貧困層の差が拡大する現代、南米では貧困層への支援を呼びかける指導者達が選挙で選ばれている。しかし米国では、どういうわけか政治家は富裕層向けの減税政策を打ち出し、その財源確保のためにさらなる社会福祉予算削減を求めている。これは格差社会などという生易しいものではなく、経済隔離(Economic Apartheid)社会と呼ぶほうがふさわしい。

合衆国政府見解:“飢餓”じゃないよ、“食糧確保低下”だよ

そんなわけで、アメリカでは、飢餓状態に陥ることもある国内貧困層の存在がずっと富裕層を苛立たせている。しかし、このたび米農務省-日本人には非常に馴染み深くなったあの米農務省は、最近この問題を一気に解決する見事な政策を打ち出した。

米農務省の統計によれば、2005年度、アメリカ国民中3,500万人(12%)は食料を確保できない時期を経験しており、1,100万人は飢餓状態を経験したという。そこで米政府では、従来そうした状態を『飢餓(hunger)』と呼んでいたが、名称上科学的でないと自己批判し、今後は『食糧確保低下(very low food security)』と呼び名を変えることにしたそうである。

これで文字通り、アメリカ国内において「飢餓問題」は解消されたことになる!・・・見かけ上は。

(参照:貧しいアメリカ:約3,700万人が貧困ライン以下、4年連続上昇

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12/18/2006

米証券業界の好景気とゴールドマン・サックス

今年も米証券業界は札束に埋もれて嬉しい悲鳴をあげているらしい。

米投資銀行大手ゴールドマン・サックスの2006年度売り上げ総額は370億6,700万ドル(約4兆3,802億円)、純利益は93億4,000万ドル(約1兆1,037億780万円)で、ウォールストリート史上最高額を記録している

好成績のおかげで、ゴールドマン・サックスのCEOを務めるロイド・C・ブランクファインの今年のボーナス額は5,000万ドル(約59億850万円)を超えるそうだ。この金額に驚くのはまだ早い。なにしろ、彼は証券業界の稼ぎ頭というわけでもないらしく、例えばモーガン・スタンレーCEOのジョン・J・マック、ベア・スターンズ証券CEOのジェームズ・ケイン、メリル・リンチ証券CEOのE・スタンレー・オニールも今年は4,000万ドルから5,000万ドル超のボーナスを受け取るそうである

ウォールストリートの好景気はどれくらい続いているのか?そのボーナス額推移(90年-2005年)を以下にグラフで示してみた。例えば、2005年度にニューヨーク証券業界全体では215億ドル(約2兆5,406億円)がボーナスとして支払われていて、1人あたりの平均ボーナス額は12万5,500ドル(約1,483万円)に達している。
source
ウォールストリートのボーナス額変遷(総額)
ウォールストリートのボーナス額変遷(1人平均額)

証券業界で金持ちが増えれば、高級品市場も素早く対応する。遠くのショールームまでお客を歩かせてはいけないという親切心(商魂)から、BMWは2年前からウォールストリートでショールームを運営しているという。

ゴールドマン・サックスの特別なポジション
ウォールストリート全体がそのような超好景気状態にも関わらず、同業者達はゴールドマン・サックスを羨望と妬みの目でみているらしい。ゴールドマン・サックスのアドバンテージは何か?それを教えてくれるのが、AFP通信8月20日付の以下の記事である。同記事の分析によれば、ゴールドマン・サックスと米国政府の間では回転ドアが回りっぱなしということだ。

実際、同社はそうした政府とのコネをクライアント向けにおおいに宣伝している。以下のリストはゴールドマン・サックスの会社案内から引用したものである。

合衆国政府とゴールドマン・サックス(GS)人脈
レーガン政権国務副長官ジョン・ホワイトヘッド(GS元共同会長)
クリントン政権財務長官ロバート・ルービン(GS元共同会長)
ブッシュ・ジュニア政権大統領補佐官(2002年-2005年)スティーブン・フリードマン(GS元共同会長)
首席補佐官(2006年-)ジョシュア・ボルテン(GS元エグゼクティブ・ディレクター)
財務長官(2006年-)ヘンリー・ポールソン(GS元会長兼CEO)
ニューヨーク証券取引所最高経営責任者(2004年-)ジョン・セイン(GS元社長)

これだけもインパクト充分だが、詳細は以下の記事にも書かれている。

ゴールドマンサックスがブッシュ政権を支配?(Has Goldman Sachs Taken Over the Bush Administration?)

AFP通信2006年8月20日付け記事

Has Goldman Sachs Taken Over the Bush Administration?


合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが財務省長官の指名について発表した時、ゴールドマン・サックス社の同僚達はヘンリー・ポールソンが任命されたことをおそらく知っていた。

ブッシュ大統領が「最も尊敬される企業」と評する137年の歴史を誇る投資銀行、ゴールドマン・サックスの重役がブッシュ政権に加わるのは、ポールソンが初めてではない。

実際、ポールソンは、ブッシュの指名に応じた3人のゴールドマン・サックス同窓生の富裕な歩みをなぞっているにすぎない。もっとも、ブッシュ政権の国家経済会議議長を束の間務めたスティーブン・フリードマンは、ウォールストリートに知れ渡ると後にゴールドマン・サックスに戻っているが。

大手銀行を経営するだけではなく、共和党上院議員への数万ドル単位の個人献金が、ポールソンの栄誉を強固にしている。

大企業と政府の「回転ドア」問題はなんら新しいものではないが、ホワイトハウスや他の政府上層部ポストへの浸透度でいえば、ゴールドマン・サックスは今のところ主導的な立場にある。

「理由はどうあれ、ゴールドマン・サックスは政府との間を行き来する人材の割合が著しいように思われる」ホワイトハウスの人事に詳しい元ホワイトハウス広報担当官トレント・ダフィー氏は言う。

「一部の企業は政府職員から歓迎されており、ゴールドマン・サックスが政府に人材を送り込むことに成功している理由はそれかもしれません」ダフィー氏は言った。

ゴールドマン・サックスの高評価も影響しているという声もある。

「ゴールドマンのような企業の重役に上り詰めた人材に関するバイアスはあります。そういう役職の人には財務省のような多くのポジションへの引き合いがあるんです。」独立系企業統治コンサルタント企業、コーポレート・ライブラリー社のアナリスト、ベス・ヤング氏は言う。

ヤング氏によれば、重役が政府から会社に戻ってくる際に、有力な事業契約を溢れるほど抱えてくる可能性が高いので、こうした事態はゴールドマン社の利益となるという。

ゴールドマン社は公的に政府指名を喧伝することはないが、政府ポストを務めた幹部を祝福している。

ゴールドマン社のニューヨーク本社重役室に飾られる数ある油絵の一つには、前副社長でクリントン政権時代に財務省長官を務めたロバート・ルービンの肖像画がある。

しかし、1869年にドイツ移民マーカス・ゴールドマンによってニューヨークの或る地下室に設立された同社から、ブッシュ大統領は一層多くの人材を雇い入れている。

ブッシュ大統領首席補佐官ジョシュ・ボルテン、米商品先物取引委員会委員長ジェフリー・ルーベンも、ゴールドマン社出身である。

人の流れは両方向に続く。米国務副長官を辞任したばかりのロバート・ゼーリック、ブッシュ政権の国家安全保障補佐官を務めたファリア・シルザドの二人は、先日ゴールドマン社が雇い入れている。

「ワシントンでの影響力を維持する際二人はおおいに役に立つだろう」南カリフォルニア大学アネンバーグ校で広報活動を専門とするジェリー・スワーリング教授は言う。スワーリング教授はゼネラル・モーターズ社とシスコ・システム社の相談役を務めている。

ゴールドマン社のクライアント企業は政府の内部情報や接近手段を切望していて、「政府の指名を獲得したゴールドマンサックス社の人々はそうしたあらゆる条件を満たすことになる」とスワーリング教授は言った。

匿名を希望する或る証券法専門家は言う。「ゴールドマンでは、出身大学についても非常に注意深く選別しているので、」同社はハーバードやイエールなどのアイビーリーグ出身者を優先させているという。

それにより、政府上層部に友人のいる個人のネットワーク化が可能になっている、と専門家は言う。

ゴールドマン・サックス社広報部の話では、政府職員となる重役は同社の誇りであり、政府職員出身者を歓迎しているという。

「わが社は多くの世界市場が交差する場でビジネスを展開しており、グローバルな視点を持つ人材はおおいに役立つのです」広報担当者は言った。

重役室の壁にはポールソン氏の肖像画を飾る場所がすでに確保されているが、まだ掲示される予定はない。
(以上)

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12/14/2006

真珠湾攻撃65年後の証言:米巡洋艦は見ていた

先日、コロラド州の地元新聞に真珠湾攻撃に関する大変興味深い記事が掲載されたので、以下に全文翻訳して紹介。

同記事の取材先、米海軍退役軍人フェントン氏の証言によれば、真珠湾攻撃直前に、ダグラス・マッカーサー将軍(当時はアメリカ極東軍司令官)は、日本の艦隊が太平洋上を合衆国方面に向かっているという報告を受けていたことになる。

USS Boise, CL-47

米巡洋艦ボイシ(1938年-1946年)

65年が過ぎ、残された疑問(65 years later, his questions linger)

巡洋艦ボイシ乗組員は真珠湾に向かう艦隊を目撃した

by エド・シーラバー記者:コロラド・スプリング・ガゼット紙2006年12月6日記事

Joe Fenton, 82

インタビューに答える82歳のジョー・フェントンさん

毎年この時期になると、ジョー・フェントンは、後に真珠湾攻撃となる破壊行為の予見に思いをめぐらせている。

訓練所を出たばかりの17歳6ヶ月で、フェントンは米海軍巡洋艦ボイシの給油係になった。巡洋艦ボイシは、空港建設資材を輸送するために太平洋経由でフィリピンに向かう5隻の商船を護衛する任務に就いていた。1941年11月28日の夜明け前、巡洋艦の拡声器から乗組員達へ、戦闘体制を告げる命令が鳴り響いた。

慌てて甲板に上ったフェントンは、2ダースほどの国籍不明艦が3マイル先の地平に見え、東に向かっているのを確認した。月明かりに照らされ外形が浮かび上がったその艦隊は、巡洋艦ボイシの存在に気づいていなかった。

多勢に無勢の状況で、無線通話停止命令の下、巡洋艦ボイシは艦隊に発砲することなく、数日間後まで目撃事実を伝えられなかった。

巡洋艦ボイシがマニラに達すると、ボイシの乗組員達はダグラス・マッカーサー将軍の側近達に目撃事実を報告した、とフェントンは語っている。彼の記憶によると、将軍側の返答は「我が軍同様、連中にも海に入る権利はある」というものであった。

12月7日に真珠湾攻撃の知らせが伝えられてから、フェントンと同僚達は、アメリカを第二次世界大戦に巻き込むことになる艦隊を目撃したことを悟った。真珠湾攻撃直後、太平洋の或る島影に身を潜め攻撃命令を待ち待機していた巡洋艦ボイシの中では、艦隊を目撃した時に何かできることがあったのではという話で持ちきりだった。

今となっては当時の会話も記憶の奥に霞んでいる。当時の乗組員のほとんどは亡くなった。しかし、コロラド・スプリングスの水道工事会社の経営から引退したフェントンは、当時の会話を自ら再生している。

「我々はあの時全てを食い止めることができたかもしれないと思うんですよ・・・警報を鳴らしていたとしたら」82歳の老人は先週台所で語った。「いつも考えるんです・・・自分なら攻撃を防げたかもしれない・・・そう思うと本当に悲しくなるんです。」

しかし、そう考えた後でいつも思い至るのは、もし巡洋艦ボイシが、その存在を相手に知らせるような動きをしたならば、すぐさま日本の艦隊に砲撃され、ボイシは歴史のページに沈んだかもしれなかったとの実感だけ、と彼は言う。

「あの時、無線を使っていたら、第二次世界大戦の様相は全く違ったものになったかもしれませんが、その代償に命を失っていたでしょうね。」フェントンは語った。

あの朝の攻撃で失われた米国人2,500人を追悼する全米規模の催しは、今年で65年目を迎える。ハワイに行き、行事に参加する人々もいるが、地域の記念碑に集う人々も多い。

フェントンはコロラド・スプリングスで、当時の新聞の切り抜きや、海軍と後の陸軍での奮闘を示す勲章に囲まれて過ごすことになる。しかし彼の頭には、あの太平洋上で目撃した光景が焼きついている。

そこに居合わせた同僚は誰一人その瞬間を忘れては居ないが、歴史の記録には全く残されていない。乗組員の1人で現在フィラデルフィアに住み、かつて巡洋艦ボイシの同窓会を主催したメルビン・ハワードは、当時船上に居た者は誰でも攻撃命令を待ち待機していたことを思い出した。

「ついに攻撃命令は出されなかったんです」ハワードは言う。「あれで良かったんです。攻撃すれば、すぐに砲撃されて、私達は海の藻屑と消えていたでしょうからね。」

アメリカが参戦してから、巡洋艦ボイシは太平洋とヨーロッパに14回出撃し、ガダルカナル戦や、有名なドゥーリトル空襲前の偵察任務に従事していた。

1942年、巡洋艦ボイシはエスペランス岬沖で27分間に6隻の日本艦を撃沈した際に最大の栄誉を得た。船体の一部を砲弾に打ち抜かれながら、ボイラー給油係から技術者になったフェントンは、冷静だった自分を憶えている。

息子のフェントンをデンバーで育てた母親は、巡洋艦ボイセの掲載された新聞記事の切り抜きを集め、彼が帰還した時にスクラップブックにして渡した。フェントンは従軍中に日記を書いており、最近それを保存のためにタイプライターで打ち直した。

「何が起きているのかわからず、我が国は参戦してもいなかったので、艦隊は皆停止しており、我が艦の砲塔は港側に繋がれていた」1941年11月の光景を彼はそう記している。「もう少し早くトイレに行っておけば良かった。」

その後陸軍に転任し、朝鮮戦争時にアジアで短期間の任務に着いた後、フェントンはコロラド・スプリングスで起業した。フェントン配管&暖房工事社を経営し、1982年に引退。会社を息子に譲った。

会社には時折立ち寄ってコーヒーを飲み、木彫りの彫刻を家族や友人のために製作している。伴侶に2度死別されたこの名誉ある退役軍人は、毎週金曜日夜に退役軍人クラブでガールフレンドと夕食やダンスを楽しんでいる。

しかしながら、1941年暮れの出来事は過去にはなっていない。真珠湾の話題になるたびにあの日の出来事が頭に浮かび、それを考えるたびにまたしてもどうすべきだったか思いを巡らせている。

「あの時、日本の艦隊は我々に敵対的行動をとらなかった。」フェントンは言う。「まるで二人の見知らぬ者同士が夜中にすれ違ったみたいだった。我々は砲撃できなかった。そんなことをしたら、生き残れなかっただろうね。」
(以上)

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12/04/2006

クルーグマン:「経済大波乱の兆し」

今回は、米国を代表する経済学者の1人、ポール・クルーグマンの最新コラムを以下に翻訳。


経済大波乱の兆し(Economic Storm Signals)

by ポール・クルーグマン:NYタイムズ紙2006年12月1日付連載コラム

「予測というものは難しい。未来については尚更だ」ヨギ・ベラならそう言っているはずだ。実際、この言葉は経済学者にとっておおいに頷けるもので、現在の状況について予測することですら大変なことがある。今回はそんな苦労のひとつである。

すでに2006年度も第4四半期を3分の2ほど過ぎており、皆さんは経済学者達が今期の状況についてすでに理解しているとお思いかもしれない。しかし、未来の話は別として、米国経済の現況に関して、専門家の評価はかなり混沌としている。

そこで悪いニュースをひとつ。経済の現況に関してこのような混乱が起きる時は、往々にして経済がひとつの転換点にさしかかっていることを示しており、経済は発展期から停滞期に向かいつつある(あるいはその反対)ということだ。このような転換点に際しては、普段は経済の流れを示す様々な指標があちこちを向いており、楽天派と悲観派の双方にとって、自説を裏付けるデータが見つかることになる。

最後にこうした混乱が起こったのは2001年度で、大半の専門家は合衆国経済が停滞期に滑り落ちていることに気づかなかった。不吉の前兆に思えるなら、その通りだ。不景気の予測に役立つ債券市場は、来年度から深刻な経済停滞期に向かうことを示している。

債券市場の指標について説明する前に、なぜ経済が転換点にきているのか説明しよう。

2003年中盤から2006年中盤にかけて、合衆国の経済成長を主に支えたのは巨大な住宅ブームだった。住宅ブームは直接雇用を創出し、消費者は住宅資産評価の上昇を担保に資金借り入れをして、惜しむことなく支出をしてきた。

その住宅ブームが今では駄目になった。しかし、楽天派と悲観派では、住宅ブームがどれくらい駄目になったのか、そしてそれが経済全体にどれくらい影響を及ぼすかについて意見が分かれている。

楽天派の中には、住宅バブルを暴走させた張本人としばしば批判されることもあるアラン・グリーンスパンがいる。火曜日に、ある会議の席上で、グリーンスパン氏は投資家達を前に「住宅販売数は安定化しているようだけれども」と言いつつ、住宅ブーム停滞の最悪期間は終了したと発言している。

しかしその次の日、政府は10月度の住宅販売数に関する憂鬱な統計を発表し、数ヶ月以前の予測を下方修正した。今週発表される様々な経済統計の全部とは言わないまでも、ほとんどの数値は予測よりもかなり悪化している。

悲観派は、減退した数値によって主張が裏付けられたと感じている。住宅ブームが牽引する景気停滞について予測していたルービニ国際経済研究所のヌリエル・ルービニ氏によれば、経済はすでに失速しているという。ルービニ氏は今期についてゼロ成長を見込んでいる。ドイツ銀行の経済学者達も同じことを言っている。

しかし、それはまだ少数派である。ほとんどの経済専門家は、心配いらないと言っている。では誰を頼るべきか?どうすれば自分が信じたいことを信じるという事態を避けることができるのだろう?

最適な回答としては、金融市場をみることかもしれない。株式市場では駄目だ-周知のとおり、株式市場では経済の方向性を見誤ることになる。債券市場が良い。(直近の5つの不景気のうち、株式市場が予測したのは9つだった、とノーベル経済学賞を受賞したMITの経済学者ポール・サミュエルソン氏が揶揄したのは有名だ)

夏以来、住宅ブーム失速が明らかになってから、長期債の利率は敏速に下がった。今では短期公債にはるか及ばない。投資家が今から長期債を買おうとするのは、つまるところ彼らが金利低下を期待している事実を示している。そうなる時とは、経済が弱体化し、連邦準備銀行が金利切り下げに踏み切る場合だけだ。要するに債権の買い手達は、将来経済が停滞することに賭けているのである。

債権市場が予測する経済停滞は、どれくらい深刻なものになるだろう?極めて深刻だ。金利と不景気の歴史的相関性を元にした統計モデルをみても、我が国が正式に不景気に突入しつつある公算は高い。景気停滞が正式な不景気と評価されないことになっても、失業率は急増することになり、ことによると2対1の比率で、2007年は非常に厳しい年になる公算が高い。

幸い、経済の大波乱が迫っていても、我が国には優れた指導者達がいる。ホワイトハウスは思想的に柔軟な人物によって支配されており、彼は様々な視点を受け入れ、政策とは直感的な根性ではなく慎重な分析によって決定されるべきと理解しているからだ・・・あれ?ちょっと待ってくれよ。
(以上)

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