母の日の退役軍人:戦闘ブーツを履く母親たち
by エリ・ペインティドクロウ:CommonDreams2008年5月10日付掲載コラム
20歳で3歳と5歳の子供の母親でいることは楽ではなかった。シングルマザーとして、ゴキブリだらけのアパートで、生活保護を受けながら暮らすのは人生とはいえなかった。規律を学ぶ必要があると思い立った私は、陸軍徴募事務所に行った。新兵訓練で5マイル行進をしながら、21歳の誕生日を迎えた。多くの母親が新兵訓練を卒業していった。私もまた例外ではなかった。
現在の私は、女性たちのネットワーク作りに励んでいる。彼女たちの多くが子持ちで、米軍で服務した経験がある女性たちだ。私達は真実を語り、平和のために声を上げる道を模索している。今年の母の日は、従軍した母親達の、皆さんが普段聞きそうもない話を思い出す機会だ。
1987年、私は正規兵となり、ホンジュラスに派遣された。ひとたび軍服に身を包んだら、兵士として期待されるとおり振舞わねばならない。任務に集中し、考えるのを止める。感情を押し殺すことに慣れる。帰還してから、子供達にはそうした人生の変化について話さなかった。ただ戻って、仕事に行って、子供を食わせるだけ。
1993年、私は新兵訓練軍曹学校に行った。さらに8週間、家を空けた。軍務に服する女性として、感情や不安を抑えなければならなかった。それが子育てに影響を及ぼした。子供達は、かなり早い時期から、軍隊に入るのがどういうものなのかを知ることになった。感情を失い、自分を失い、人とのつながりを失うのだ。軍は訓練でそれら全てを私から奪い、その総仕上げとして私をイラクに派遣した。近ごろでは、良い母やパートナーになろうとも思わないようになった。
私の欝は深刻かもしれない。ベッドから起きられる日もあるが、起きられない日もある。それ以外の日は泣くことしかできない。軍隊では規律に従うよう訓練された。PTSDになると、退役軍人局の査定プロセスは助けを得るにあたって最大の障害物に見えてくる。それで、ほとんどの退役軍人は、助けを求めることを諦めてしまう。
イラクとアフガニスタンから多くの女性が帰還し、自分の身に何が起きているのか理解できないでいる。もう子供の傍にはいられない。怒りと悲しみをコントロールできなくなったので、誰も傍に近寄る事ができないのだ。彼女たちは皆PTSDに苦しんでいるが、気丈に振舞おうとする。弱みを見せたくないからだ。
私が自分の体験を話し始めた時、元海兵隊員の息子は、私が発狂したと考えた。今でも息子は私のことを心配している。私がこのまま喋り続けたら、誰かが殺しに来ると息子は考えている。でも、母親として、そして8歳の孫を抱える祖母として、子孫たちのために道を切り開く義務を感じている。イラクでの経験が私にこの教訓を与えた。
20代の若者が、まるで遊び場から戻って来たみたいに、砂塵と熱に汚れた顔をして、腕章に愛する人の写真を忍ばせ、武器を背負って、高校卒業について話しながら、パトロール任務に就くのを見て、私の心は撃ち砕かれた。
国内でもイラクでも、母親達は子供のために泣いている。母親たちの犠牲は勘定されることがない。私達は治療を受けないままの負傷者で、同時に何かを変えることができる治療者なのだ。私達は命を守る。私たちが命を生み出すのだから。亡くなった母親たちと子供達のために祈りを捧げよう。母の日に亡き人々を想い、自らも思い出そう。互いを癒そう。そして、戦争を止めさせるためにできる事は何もないと、無力感を感じている全ての母親たちへ-真実を知っているのなら、諦めないで。
-エリ・ペインティドクロウはSWANの共同設立者で、カリフォルニア州オークランドのWomen of Color Resource Centerと共に平和活動を行う退役軍人。SWAN(Service Women’s Action Network:女性軍人活動ネットワーク)は、軍務と戦場経験のトラウマを治療するために集まった女性退役軍人ネットワークで、その体験を文書に綴り、兵士から平和活動家への転換を支援している。
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