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2009/06/05

戦争社会アメリカ:州兵の再雇用問題

今回は、イラク、アフガニスタンなど海外戦地から帰還した州兵たちの社会復帰問題を扱った著作『As You Were: To War and Back with the Black Hawk Battalion of the Virginia National Guard』の抜粋が掲載されたワシントンポスト紙記事を以下に翻訳。

2009年5月時点で、米国の失業率は9.2%になるという。

戻るための闘い

イラクでヘリを飛ばすために教職を辞したクレイグ・ルイスは、生命以外にもリスクを負っていた

by クリスチャン・ダベンポート:ワシントンポスト紙2009年5月24日

クレイグ・ルイスは長い間職場を離れていたので、フルバンナ郡高校の受付にやって来た時、受付の女性は訝しげに顔を上げた。

「何か御用ですか?」彼女は尋ねた。

うつろな表情で少しの間相手を観察してから、突然、何かに気づいたように目をまるくした。

「あなた、帰ってきたのね!」溢れんばかりの笑顔で彼女は言った。

「帰還しました。」そう言うルイスの髪は、陸軍規定の五分刈りのままだった。

笑顔を作ってはみたものの、このレンガ作りの低いビルに戻ってくるのは奇妙な感覚だった。バージニア州シャーロッツビル郊外、この田舎町で育ったルイスは、今では大昔に思えるほどだが、1997年にフルバンナ郡高校を卒業し、後に野球を教えるために母校で雇われた。しかし、この校舎の廊下に彼が姿を見せなくなってからすでに2年以上が経過していた。ルイスは、バージニア州陸軍州兵部隊中尉として、飛行学校行きを命じられ、後にブラックホークヘリの操縦士としてイラクに派遣されてから、2年以上が過ぎていた。そして今、故郷に戻ったルイスは、以前の上司であるフルバンナ高校のジェイムズ・バーロウ校長にようやく会う準備ができた。

「校長は空いてますか?」ルイスは秘書に尋ねた。

「ちょっとお待ちを」秘書は応えた。

ルイスは、彼の市民生活への復帰を記録するために同行した記者の横で、神経質に足を入れ替えた。職場を離れた経緯を思うと、復職を申し出るのは気楽なことではなかった。


2005年に、陸軍州兵部隊でルイスの航空学校行きが決まった当初、フルバンナ高校の学期を終えてからアラバマ州フォート・ラッカー基地に行くものと思っていた。しかし突然、スケジュールは変更された。州兵第二大隊第224航空連隊の司令官は、1週間以内にフォート・ラッカー基地に出頭するようルイスに命令した。

命令に驚いたルイスは、まず学期を修了させて欲しいと願い出た。そうしなければ、バーロウ校長に後を任せることになり、生徒たちが動揺してしまう。しかし、選択肢はなかった。それが州兵というものなのだ。普段は市民で、別の日には兵士になる。

「悪い話で申し訳ないんですが・・・」2005年1月のある朝、ルイスは校長に渋々告げる羽目になった。「航空学校行きのスケジュールが早まりまして・・・私の最後の勤務は水曜日になりそうなんです。」

ルイスの記憶によれば、バーロウ校長は、信じられないといった様子だった。

「今週水曜日だって?今日から2日後じゃないか。冗談はよしてくれよ。」

そして、2007年5月のその日、ルイスは、アメリカの長期に及ぶイラク戦争から新たに生み出された退役軍人の一人になっていた。ルイスと、彼の部隊にいた350人がバージニア州に帰還してすでに3ヶ月が過ぎていたが、その多くが戦争で中断されていた市民生活を取り戻そうとしていた。離婚と戦う者、子供たちとの関係を修復するのに苦労している者。ルイスもまた、戦争から帰還した州兵にとって一般化した問題に立ち向かっていた。それは仕事を見つけることである。

イラクから帰還したら、なるべく早くバーロウ校長に会うべきだったことはわかっていた。しかしルイスには、すぐに教職に戻る準備ができていなかったし、実のところ、復職したいかどうかすら確信がもてなかった。戦地でヘリを操縦する過酷さを経験した後では、先生という職業がそれほど野心的には思えなかった。それでも仕事が必要で、他に何をしたらいいかわからなかった。加えて、繰り返し人から言われてきたのは、元の職場に戻る資格があるということだった。連邦法では、予備兵が配備される際には、たとえ5年間仕事を離れることになっても、雇用主は働き口を保障しなければならない。しかし、雇用主は常に規則に応じるわけではない。

フルバンナ高校の校長は、公立学校の管理者及び教師として長年過ごしてきており、無愛想で、融通の利かない人物だった。校長の机には、問題を起こした生徒がここに連れてこられた際に、よく目に付く位置に小道具の骨壺が置いてあって、太い文字でこう書かれていた:「問題児の灰。」

ルイスをオフィスに迎えながら、バーロウ校長は友好的ながら事務的に接した。ルイスが状況を説明し始めると-「帰還したのでまたここで働きたいんですが・・・」-バーロウ校長は熱心に聞き入りつつも職業的な超然たる態度で、その顔からは感情が抜けていた。

後に校長が語ったところでは、ルイスに会ったのは驚きで、あまりに長く消息を聞かなかったので、他の仕事に移ったのだと思い込んでいたという。もしもルイスが職場復帰を真剣に考えていたなら、なぜ連絡を欠かしたり、予約もせず、予告もなく突然現れたりしたのか?それでも、ルイスを最初に雇ったのはバーロウ校長だったので、「彼の面倒を見たかった。ここでの働きは良かったからね。」

29歳のルイスは、航空学校に行く前は特別教育を担当していた。しかし、彼はバーロウ校長に、帰還したら体育教師をやりたいと話した。

「力になりたいのだが」校長は言う。「しかし、今は教員職の空きがないんだ。」体育教師の一人が今期で引退するかもしれないので、そうすれば空きができるという。「頭にいれておこう。でも約束はできない」さらに校長は、どうやら予備兵の雇用保障制度の適用範囲には気づかないようで、ルイスは1年以上も不在だったので、学校側としては復職させる義務はないとも説明した。

ほんの一瞬、ルイスの額に険悪な皺が刻まれ始めた。イラクで銃弾の下をくぐりながら1年過ごしてきたのに、仕事も確保してくれないっていうのか?しかし、彼は神経を抑えて、校長と話し合い、表情を柔和にして付き合いやすい笑顔を浮かべた。この場を丸く収めるのに最善を尽くそう、とルイスは決心した。自分の戦地派遣だけで問題はたくさんだった。

「何か仕事の空きがあったら知らせてください。」バーロウ校長と握手し、時間を取ってくれたことに感謝しつつ、ルイスは言った。

ルイスは、まだ5月だと自分に言い聞かせた。新学期が始まる8月までは、まだたくさん時間がある。法律は自分の味方だと確信していたし、そうあるべきだった。廊下を歩いていると、以前教え子だった生徒が彼を見つけて走り寄ってきた。

「ルイス先生、戻ったのね!」彼女は言った。

そう、ルイスは戻ってきた。ここに居られるのか定かではなかったが、それでもこの場所にも、高校最後の年のリズムにも、とても馴染んでいた。金曜日の夜の野球、卒業パーティ、最終試験、卒業。それら全てが、毎年しっかりと繰り返されるのだ。

教え子だった生徒が次の授業へと姿を消すと、今では単なる客になってしまったルイスは、午後の日差しの下に歩き出し、次はどうしようか思い巡らすのだった。


州内の緊急時には州知事の指揮下に、戦争時には大統領の指揮下に入る州兵は、全米でおよそ50万人ほど控えており、市民生活上想像しうるあらゆる職種に就いている。教師、長距離ドライバー、警察官、救急医療士、弁護士、食堂のコック、機械工に精神保健専門家などだ。過去には、アメリカの軍事力における彼ら非常勤兵士の役割は、特に重視されたり関心を集めたりすることもなかった。2001年9月11日のテロ攻撃で、そうした状況は劇的に変わった。

かつて州兵が、おおまかな訓練を受けた二軍選手として、洪水発生時に砂袋を積む以上の役割がないと見られていたとしたら、アフガニスタンとイラクの戦争は市民兵というものを再定義したといえる。民間生活を送っていた数万人もの州兵が招集され、海外の戦地に派遣された後に元の社会に戻される事態はこれまでなかった。大勢の人々が、家族と断絶し、民間人としての職歴を圧迫するこの厄介な過程を、2度や3度も繰り返されている。

配備が繰り返されるうちに、州兵は最前線兵力として現役の軍人と同等の任務遂行が期待されるようになった。2005年のある時点では、イラク駐留米陸軍兵力の半数が州兵で占められていたこともあった。

大型基地に所属し、戦後も同僚の軍人に囲まれながら人生に取り組める現役陸軍兵士と違って、市民兵は戦地派遣が終了した直後からすぐに、元の暮らしに戻ることになる。多くの者が、元の生活を再開させ社会に復帰しようと奮闘している。市民生活は軍隊生活とは全く無縁であり、元の社会は彼らが戦った戦争とかけ離れているためだ。元の職業に戻るのが困難な者も多い。

9/11テロ直後、連邦政府の任務のため、第二次大戦以来かつてない人数の州兵が招集され始めると、雇用主らは旗を振りながら部下の予備兵たちを戦地に送った。何か問題が起きるときは、大半は雇用主が『兵役雇用・再雇用権利法(USERRA)』について知らない事が原因であった。同法では、従業員数を問わず、予備兵の雇用が保護されることになっている。

しかし、軍人の雇用問題に関する国防総省窓口への問い合わせは、2005年度の5,300件から昨年度は1万3,000件に倍増している。関係者はこの増加の主因として、より多くの軍人が窓口の存在や自分自身の権利を意識するようになったことを挙げている。しかし、未解決事例として労働省に回されたり、果ては民事訴訟に発展する事例も増加しており、昨年度には765例に達している。

そのおかげで、マシュー・タリー氏のビジネスはずっと好景気だ。彼はニューヨークとワシントンにオフィスを構える弁護士で、軍人の再雇用問題を専門としており、元の職場に戻るために法廷で争うことになった数十人の州兵や予備兵の代理人を務めている。

「9/11以降、問題となったのは知識の欠如でした。今、私どもが直面しているのは、記録的な数の軍人再雇用訴訟を抱えているんですが、雇用主が言うのは“ああ、法律は知ってますよ。でもあなたの場合、3度目の戦地派遣ですからね、職場よりも軍隊のほうを選択したのは明らかでしょう。”というものです。」

今年初旬、米連邦地裁で、マサチューセッツ州空軍予備兵のマイケル・セリッチオが、最大で150万ドルに届く賠償を勝ち取った。セリッチオの申し立てによれば、彼は2年間の戦地派遣から帰還した後で、フィナンシャルアドバイザーの仕事に戻ることを、雇用主のワコビア保険が拒否したとのことだった。軍人再雇用訴訟としては史上最高の賠償額とみられているこの判決について、“帰還した予備兵を保護する法律が存在することを企業側に知らしめ、法に従うことを促す警告となるべきだ”とセリッチオは言った。

しかし、タリー弁護士は、景気の悪化によって事態がますます深刻になったと考えている。あらゆる規模の企業が従業員を削減するなかで、多くの雇用主は、戦地派遣が繰り返されることで起きる混乱に我慢できなくなっている。あまりに突然すぎる離職の知らせを受けて、臨時の人員を獲得するために奔走する雇用主も多い。とりわけ小規模企業にとっては、無期限に雇用の空きを確保するのは負担が大きすぎる。

ルイスの突然の離職でフルバンナ高校の教職部に空いた席は、特別教育に適任の人材ですでに埋まっていた。それでも、バーロウ校長が後に述べたように、「常勤教師を失うのはいつでも大変なんです。」

航空学校に出頭するほんの3日前に離職を申し出る教師であれば、なおさらだった。


陸軍は操縦士を慎重に選別する。クレイグ・ルイスが飛行に適任であるかどうか確認するために、医者は彼を実験室のネズミ同様につつき回した。医者はルイスの視力と奥行知覚を検査した。瞳孔を膨張させ、まるでSF映画のように感じられるまで眼球にライトを照射した。心臓の健康度を測るため心電図検査を行い、血液を採取し、尿検査をし、反射神経を試し、どれくらい飲酒するのか尋問し、もしも虚偽申告が判明したら10万ドルの罰金と禁固刑だと脅した。

ブリッジウォーター大学でスポーツと衛生教育を専攻し、大学のフットボールではフルバックを受け持っていたルイスは、在学中の2002年に州兵部隊に入隊した。ベンチプレスでは425ポンド(約192キロ)を持ち上げるが、父親はルイスが軍隊に向いているかどうか確信がなかった。しかし9/11直後の愛国熱に駆られたルイスは、入隊を切望した。また、飛行訓練を特に切望したのは、それが彼の目にはエリートに見え、すぐに名声と尊敬を獲得できると思ったからだ。

「バージニア州にはブラックホークを飛ばす航空部隊があるんですよ」航空学校について尋ねたルイスに、州兵徴募担当者は答えた。2005年、月に一回週末に軍服を着て3年間、フォート・ラッカー基地の人員空きを待ち続けたルイスは、ついに野心を適えることになった。航空学校に到着する以前、ルイスが飛行機を操縦したのはわずか2回きりだった。一度はオクラホマ州での基礎訓練、2度目はラスベガスで独身さよならパーティの時だった。すぐさま悟ったことがひとつあった。他の同僚と違って、ルイスには操縦の才能がなかったのだ。

「全くお手上げでした。」ルイスは言った。しかし、才能や本能に欠けるものの、ルイスは努力でそれを補った。授業やインストラクターの指導がないときは、マニュアルを隈無く読み込んだ。机にマニュアルを拡げたまま眠りこけたことも数え切れないほどあったが、朝5時半に目覚めるとさらに読み進めた。

授業では、ルイスの日夜の努力が実り、平均で96点を獲得した。しかし実技となると、ルイスは凍り付き、普段は穏和なインストラクターを激怒させた。

「一体何やってんだ?!おまえはマヌケか!」ヘリのブレードが回転する音に引けを取らない音響でインストラクターは叫んだ。「何度同じことをやったらわかるんだ!」

インストラクターはヘリを上昇させて、ルイスに操縦を任せると、数秒もたたずにヘリは激しく揺れはじめ、機体は危険な角度に傾き、インストラクターは慌てて操縦桿を握り、「大丈夫だ!」と怒鳴り、苦もなく姿勢を制御した。「どれくらい簡単か見てみろ!」

ルイスには不可能に思えた。協調させる制御機器が3セットあった。ひとつが狂うと、他も完全に調子が外れる。1機600万ドルのブラックホークを操縦するのはジャグリングに似ていたが、両手両足を使わねばならない。ルイスが驚かされたのは、操縦に細心の注意を要することだった。羽根が軽く触れる程度の違いで、機体は不安定になる。

ルイスがもっとも苦手としたのは、ヘリを移動するときではなく、空中で静止することだった。全ての操縦士が、検定を通過するために習得する必要がある技術で、実地試験飛行ともいう。どんなに一生懸命でも、どんなにインストラクターが怒鳴っても、金属の塊を空中にとどめることはできなかった。

実地試験飛行が迫ったが、ルイスは合格できるはずもないと思っていた。彼の想像どおり、ヘリはまもなく制御を失い、ただちに失敗した。「ヘリがおまえを飛ばしちまうぞ」司令官は忠告した。

ルイスは間違いなく学校から追い出されると思った。彼を除いて全ての同僚が実地試験飛行に合格していた。だが、司令官はルイスの履歴と授業での優秀な成績を見て、警告と共に特別時間を与えた。「この機体を操縦できなきゃ、用無しだな。」

ゆっくりと、ルイスの技術は改善し、二度目の実地試験飛行に合格した。次の試験-飛行場のまわりを単独飛行する-も合格した。しかし当初合格に苦労したので、同期では最後の合格者だった。それがどういうことかルイスにはわかった。イジめられる立場だ。

数日後、ルイスはインストラクターから、オレンジとブラックで塗られた小さすぎるフライトスーツ一式と共に迎えられた。水泳用のゴーグルと子供用の水かきまで着せられた。そして、ヘリコプターに似せて作られた自転車をプレゼントされた。ローターブレードに、テールに、離着陸用そりまで備えてあった。ルイスが基地の中庭をその自転車で走り回る間、同僚たちは水風船を投げつけたり、消防ホースで水浸しにするのだった。

航空学校を卒業できる見込みに安心しきっていたルイスは、恥辱を感じることもなかった。それどころか、同僚が激励のために放つ消防ホースの水に倒されないように、自転車で無事基地を走り遂げた。


遠くで鳴っていた奇妙な警笛がだんだん近づいてきた。しかし、ルイスはイラクでの経験があまりに浅かったので、検査中の透過フィルターから顔を上げることもなかった。視野の片隅で、教官が地面に伏せていた。

「伏せろ!」教官が叫んだ。

迫撃砲が数百ヤード先に着弾し、巨大な音が地面を揺らし、砂埃の波紋が舞い上がった。砲弾の破片と瓦礫が、あやうく伏せたルイスの上を飛び去った。

後になって、シェーン・レイパーツ3等准尉は愕然とした。砲撃されてるのに、地面に伏せることも知らないとはどういう兵士だ?「レッスンその1!笛の鳴るような音が聞こえたら伏せること。」レイパーツは言った。

レイパーツは迫撃砲攻撃を招いたわけではないが、近くに着弾したのを嬉しくも思った。ルイスに狼狽してほしかったのだ。操縦士は怯えながら飛ぶのに慣れる必要があった。銃弾がかすめる音、エンジン停止、燃料漏れ、エンジンから煙、操縦できなくなった副操縦士。これらのそれぞれ、もしくは全てのシナリオが、イラクでは起きる可能性がはっきりとあった。レイパーツの仕事は、ルイスがそれら全ての状況を切り抜けられるように鍛えることだった。

ルイスがイラクに到着して1週間が経過していたが、陸軍が彼を戦地で飛行させることは狂気の沙汰と思っていた。民間人から兵士への進化、高校教師から戦時の操縦士になる過程はあまりにも早く、神経に堪えたので、彼の心のどこかでそれが現実に起きたとは信じられずにいた。

2006年春に航空学校を卒業して数週間後、フォート・ラッカー基地所属の頃、すでにイラクのアル・アサド航空基地に先だって派遣されていた部隊と合流するよう命令された。旅立つ直前、ルイスはフルバンナ高校に立ち寄り、幸運を祈る同僚や教え子らに別れを言った。バーロウ校長には会わなかったが、イラクに派遣される旨を記したメモを残した。それきりだった。

上司である校長との緊張した関係は懸念材料だったが、ルイスにはあれこれ思案する時間がなかった。イラク派遣準備のため、第二大隊第224連隊はアリゾナ州の砂漠で2ヶ月間の訓練に入った。ルイスはそれを経験し損ない、しかも教官の監督がない状況で飛行任務をこなさねばならなかった。ドアに狙撃手がいる機体や、砂漠環境で飛行した経験はなかった。砂漠では、ヘリのブレードが巻き上げる砂煙で視界を遮られるために、経験を積んだ操縦士でさえ大惨事に遭うことがある。

経験不足から、ルイスは不安になった。こんなことができるんだろうか?しかし、イラクで飛行できるようにルイスを鍛える役を担ったレイパーツは、訓練飛行のストレスに対処する際のルイスのやり方に、個人的に満足していた。ルイスには動じることのない粘り強さがあり、それにはレイパーツも感服していた。失敗した際にも・・・実際よく失敗したが、ルイスは常に学ぼうとしていた。

「かなりきつくあたったが、彼の反応は上々だった。」レイパーツは日誌に記した。「かなり飛行させたが、上出来だった。気温は華氏120度(摂氏約49度)、機体も俺たちも苦しかった。」

飛行訓練を重ねる度に、ルイスは自信を深めていった。しかし、最初の実戦任務がラマディとファルージャになりそうだとわかってから、再度司令官は頭が狂っていると思った。イラクでもっとも危険な2カ所から実戦に加えるなんて。


「トラックから降りようとしてる奴がいる。AKライフルを持ってるようだ。俺たちを狙って撃っている。」

部隊長の声は規則的で冷静だったのを憶えている。ほんの一瞬、部隊長の言った内容が頭から離れた。そして気づいた。誰かが撃ってくる。機体を水平に保て・・・ルイスは思った。慌てるな。

最初の飛行で、新しく年上の操縦士と同乗した。組んだことのない相手だ。もう一人の操縦士は、万事OKという感じで、落ち着いてシートに座っていた。「何だった?」年上が聞く。3、4秒が過ぎていたが、ルイスには永遠のように感じられた。

「銃撃されている」部隊長がもう一度言った。無頓着な感じだ。どうすりゃそんなに落ち着いていられる?ルイスは思った。

その頃には、すでに機体はマシンガンの射程距離の外に逃れていた。「応戦する意味もないな」年上の操縦士は言う。地上の兵士に武装兵の位置を知らせると、何事もなかったようにたたずんでいた。

そのときになってルイスは、最も基本的な作業にずっと集中していることを実感した。ヘリコプターの編成を保つこと。応戦命令が下りることはなかった。今回の任務では応戦が許可されていない。新人操縦士の出番ではなかった。しかしルイスには、その意味について考慮することもなかった。ラマディ近辺の発着場に着陸しなければならず、そこは遠くから見る限り小さい場所だった。

ルイスは隊長機の後に続き、ヘリをゆっくり地上へ降下させた。特別険しい場所で、砂埃が舞い上がっていたので、着陸エリアに障害物がないよう、部隊長に念を押した。問題ないとのことだったので、ルイスはブラックホークを静かに着陸させた。しかし窓から見てみると、ヘリは着陸パッドに沿って下りたのではなく、周囲に置いた砂袋の上にまたがっていた。前輪が片方に、後輪が別の砂袋の上だ。

「こりゃどうしたんだろ」ルイスは部隊長に言った。「うまくいってると言われたのかと思いましたよ。」

「言ったさ」隊長は言い返した。「おまえが外れたんだ。」

操縦士の一人がデジタルカメラをサッと取り出して、笑いながらシャッターを切った。数日もすると、ルイスのブラックホークが着陸パッドから半分飛び出している写真が、飛行作戦センターの目立つ場所に貼り出されていた。


昼間飛行任務を1ヶ月ほど経験し、レイパーツはルイスに暗視ゴーグルを装着させて夜間飛行訓練を開始してもいい時期だと考えた。暗視ゴーグルでは、奥行知覚が歪曲され、景色は霞んだ緑にぼやけてしまう。昼間は完璧に飛行できても、夜間飛行のためには初歩から訓練する必要のある操縦士が大勢いた。

訓練飛行前に、レイパーツは部隊長の一人を脇に呼び、フットボールの話を始めたらルイスのヘルメット後ろにある暗視ゴーグルのスイッチを切って見えなくさせるよう言った。

数時間の間、レイパーツはルイスに通常の飛行訓練をさせて暗視ゴーグルに慣れさせた。訓練の終わり頃、レイパーツはルイスに、地上10フィート上空で静止するように言った。それから、来シーズンのレッドスキンズの話を始めると、ルイスの視界が真っ暗になった。まるで突然、真っ暗闇の地下倉庫に閉じ込められたようだった。ルイスはこういう事態のために訓練されており、対処法を知っていた。暗視ゴーグルが電池切れになったら、操縦をしっかり安定させながら、できるだけ落ち着いて“ゴーグル故障(goggle failure.)”と報告すること。

しかしルイスは非常に狼狽していて、告知文句が台無しになった。“私が故障です(I'm a failure)”パニックに陥りながら言った。

“私が故障って一体どういう意味だよ?”レイパーツはからかった。ルイスが正確に言えるまで、操縦を交代したり、ゴーグルの電源を戻させようとはしなかった。一方でルイスは、ブラックホークを地表に激突させないように必死で持ちこたえながら、失言を繰り返した。“私が故障です。私が故障です”レイパーツと乗組員は爆笑した。ようやくレイパーツが頷くと、ルイスの視界が戻った。

次の数日間、他の操縦士がルイスを見かける度に、裏声で真似をしてからかった:"私故障です。私故障です。”冷やかしに最初はイライラしたが、やがてルイスは心の奥底で真実に気づいた。言葉は乱れてしまったかもしれないが、飛行技術は大丈夫だった。視界がなくなった間も、ずっとヘリを静止させることができたのだ。


ヘリの操縦同様、ルイスは教師としても才能がなかった。体育教師ならば違ったかもしれないが、代わりに任されたのはフルバンナ高校の特別教育クラスだった。最初の年から苦労していた。数学、歴史、国語など、あらゆる教科を抱えて50分間の授業案を作成するのは楽ではなかった。慣れるのに学期の大部分を費やした。バグダッドでヘリを飛ばすのも恐ろしかったが、春の日差しの下、25人の未熟な高校生を抱えるクラスを管理するほど手ごわいものもなかった。

ルイスにとって過去の職業をふりかえる時間はあまりなかった。イラクの仕事に夢中だった。到着した頃からは想像もできなかったが、今ではバグダッドやファルージャで飛ぶことが、彼にとって第二の天性になっていた。ルイスはうまくこなした。わずか数ヶ月で、迫撃砲攻撃から身を伏せることも知らない新兵は、部隊の有望株になっていた。

時折、教え子だった生徒から陣中見舞いが届くこともあり、そのたびに故郷や元の職業に思いをはせた。クラスの管理を会得すると、教えることが楽しくなってきた。若者の人生に影響力を与えることは満足できるものだった。それが理由で教師の仕事を選択していたのだ。生徒たちと通じていたかった。しかし、今ではそうした気持ちは希薄で、時と共に消えつつあり、正直なところ、困難になっていた。職場を去った状況だけが理由ではなかった。ルイスにはだんだんと自覚できるようになっていた。彼はもうルイス先生ではなかった。今の彼は、ルイス中尉になっていた。

戦地派遣が終了したら、教室に戻るといつも考えていた。しかし、イラクで次第に疑念が生じてきた。ひょっとしたら、新たな仕事に・・・退役軍人に似合う職業に挑戦すべきかもしれない。それでも、故郷で教師の仕事が自分の帰還を待っていることは気分の良いものだった。


2007年2月の雪が降る日、ルイス中尉は、自信と楽観に溢れながら、ニュージャージー州フォートディックス基地に降り立った。イラクで無事に生き延びただけでなく、出世していた。合衆国に帰還したらまもなく、中隊指揮官に昇格することになっていた。数十人の兵士を指揮するだけでなく、数十万ドルもの装備が支給されるのだ。中尉が中隊指揮官を任されるのは異例だが、ルイスの働きに対する評価はそれほど際立っていた。

「ルイス中尉は一緒に働けて嬉しいと思える最も才能ある指導者の一人。彼の昇進とさらなる献身の可能性は無限大である。」人事評価のひとつではこう褒められている。

「ルイス中尉は比類なき技術と円熟ぶりを発揮し、中隊では年上の士官たちを抑えて指揮官に抜擢された。知性があり、慎重で、忍耐強く、厳格な人物である。」別の人事評価でも絶賛されている。

ジェームズ・バーロウ校長との会話で萎えさせられるまで、イラクから帰還したルイスの味わっていた達成感が損なわれることは決して無かった。かつての上司である校長は、教員職の空きに備えてルイスのことを気に留めておくと話したが、ルイスにとってそれは公然たる拒絶にしか見えなかった。ルイスは思い悩んだ。彼にとってフルバンナ高校は安全策であり、確実な職場のはずだった。

心配ご無用、ルイスは自分に言い聞かせた。いい機会だ。もっと別の仕事を探せばいいし、たぶん防衛業界なら、自分の軍隊経験を活かせるだろうし、民間企業でも、優秀なマネージャーとして採用されるに違いない。(操縦士の仕事も考えたが、民間企業でヘリを操縦する気にはならなかった。)大学卒で、操縦士で、将校でイラク戦争退役軍人なのだ。有力企業から誘われるのも時間の問題に過ぎない。

いったん転職先が決まったら、フルバンナ高校から再び呼ばれるかどうか気にする必要もない、とルイスは考えていた。ありがとう、でも遠慮しますよ。高校から教職に戻るよう頼まれたら、そう返答するつもりだった。自らの将来におおいに自信を持っていたルイスは、高校時代の友人と共同で、シャーロッツビルの丘の上に、26万ドルで一軒家を購入した。

新居で落ち着くと、履歴書を刷新し、昇進とイラクでの経歴を付け加えた。:「戦闘任務に備える60名以上の兵士を訓練する責任を負う。イラク自由作戦では50以上の戦闘任務に参加。」

まず手始めに、履歴書を大企業に送った。シアーズ、ロウズ、ウォルマート・・・従業員トレーニングの管理者ポジションを志望していた。その後、思いつく限りの仕事情報サイトに履歴書を送った。monster.com, hotjobs.com、hireahero.orgのような、退役軍人向けのNPO系仕事サイトにも送った。

しかし反応はなかった。数日が過ぎ、数週間が過ぎても、面接の連絡もなければ、“お申し込みありがとうございます。近々ご連絡させていただきます”などの形式的なメール対応すら一件もなかった。まるで、自分の履歴書が企業のブラックホールの中へ消えていったかのようだった。ルイスはバージニア州北部の国防企業群にまで仕事探しを拡大させ、さらに多くの履歴書を送ったが、全て消失したようだった。

6月が過ぎて7月になり、民間企業は夏の休閑期に入ったのだ、と自分に言い聞かせた。ルイスはポジティブになろうとしていた。イラク駐留で稼いだ金があるので、しばらくは大丈夫だ。もう少し履歴書をばらまくだけでいい。しかし、いくら日が過ぎても、電話や電子メールの連絡は来なかった。だんだん自分が存在していないように感じ、もっと悪いことに、自分などたいした存在ではないと思い始めた。イラクに居た頃は、人々の生命はルイス頼みだった。想像しうる最高度のプレッシャー下で発揮する彼の能力が、人の命を左右していた。民間社会で経験する以上のプレッシャーだったに違いなかった。そんなわけで、なぜ誰も自分に連絡してこないのか理解できなかった。

従業員トレーニング部門の管理職や国防業界以外にも、仕事探しの領域を拡大する必要があるかもしれない。そう思ったルイスは、医療営業界や、医療保険業界の管理職や、郵便局にまで応募してみた。“メディアセールスコンサルタント”、“顧客オペレーションマネージャー”など、職種がよく理解できないものにまで応募してみた。

友人の一人から、父親が政府の下請け業務のために人材を捜していると言われたが、そうしたコネのある仕事ですら、ルイスの応募に反応はなかった。友人や同僚の兵士たちは、ポジティブにいけと励ましたが、それまでの経験でおおいに意気消沈してきた。

もちろん理論的に言えば、ルイスは無職ではなかった。州兵として1ヶ月に1度、週末の訓練で給与を得ていたし、現役でいるために必要な飛行時間を維持することで、月額1000ドルの収入があった。しかし彼には無職のように感じられた。フルタイムの仕事に就けないことで、預金残高が減り続けることも痛かった。金融企業で会計士を務めるルームメイトが、毎日仕事に出かけていくのを見るのも屈辱に感じられた。夜、友人とバーで飲んでいて、可愛い女性から“それで、仕事は何してるの?”という恐ろしい質問をされないよう願うのも困ったことだった。

プライドを捨てて、学校に戻って、校長にもう一度元の仕事に戻りたいと頼むべきかもしれなかった。どんなポジションでも構いません、と言うべきかもしれない。ひょっとしたら謝罪すべきかもしれない。しかし、再雇用する義務はないと言った校長のことを考えると、怒りを感じた。学校側が再雇用を願い出るべきで、それ以外はありえない。もしも、かつて教師の仕事を辞したことで学校側を困惑させたことに罪悪感を感じたとしたら、今ではそれは怒りに変わった。


地元の仕事情報サイトに青少年カウンセラーの募集が掲載されていても、理想的とはいえなかった。数ヶ月前のルイスなら、決して応募しなかっただろう。なにしろ年収はたったの3万5,000ドル-教師時代とほぼ同じだ。しかし仕事は仕事、しかもこの仕事なら採用確実だった。特別教育教師として経験があったし、大学時代に青少年カウンセラーとして働いたこともあった。

すでに7月後半になっていた。ルイスは必死になっていた。3万ドルの預金からすでに1万ドル使っていた。履歴書を送付すると、数日後に電話で面接に来るよう連絡があった。面接は得意だ。彼には確信があった。面接官たちは、ルイスの経歴と落ち着いた態度に感じ入った。この仕事は俺のもんだ。そう感じることが出来た。いつでも仕事のオファーがあるはずだった。

ところが違った。1日が過ぎ、次の日も過ぎ、ルイスがインターネット仕事情報サイトを見てみると、当の面接先は未だ応募者を求めていた。なんであの仕事に就けなかったのだろう?面接の状況を思い出してみると、州兵の仕事とイラク駐留について質問された時の事が突然頭に浮かんだ。「再び戦地派遣される公算についてはどうですか?」面接官の一人が尋ねた。

ここしばらくはありえない・・・ルイスはそれを分かるように説明しようと試みた・・・帰国したばかりなのだから。しかし、念を押されると、州内の緊急事態発生時には、いつでも招集されることを認めざるをえなかった。州兵はそのために存在するのだ。

その時には、そうした回答が自分の立場を悪くするとは思わなかった。しかし思い返すと、面接の雰囲気が変わったのはその時だったと自覚した。その直後、面接官たちは感謝の言葉を述べ、後日連絡すると言っていた。雇われない理由が州兵という立場にあるとは信じたくなかった。軍務に誇りがあったし、履歴書でもそれを目立たせた。しかし、それは間違いだったかもしれない。州兵として軍務に服するのは障害であって、資産とはならない-少なくとも、予備兵が2度3度と海外派遣に招集される時代ではなおさらだ。同僚の兵士たちに自説を話すと、同じような問題にぶつかったと言う者が複数いた。

そうした話は、退役軍人の間では、“兵役ペナルティー”という名称で知られるが、ルイスにはそれが実際にあると信じられるようになった。4、5年毎に離職するような輩を、果たしてこの不景気に雇い入れる雇用主がいるのだろうか?いつの時代にもある巧妙な差別の手順だとマシュー・タリー弁護士や他の人々は言うが、証明するのは難しい。




エピローグ

8月、2007-2008年学期が始まる2週間前に、ルイスは彼を求めるボイスメールのメッセージを見つけた。学制副責任者からの連絡で、フルバンナ高校はルイスに復職を提示しているとのことだった。元通り職場に復帰して特別教育の教壇に立てるのだ。

ルイスは、信じられないと憤った様子で申し出を聞いていた。今度は元通り働かせてくれるって?新学期が始まるほんの数週間前に?

即座に、どう回答すべきかわかった。お断りします。仕事は是が非でも欲しかったが、かつて自分に酷い対応をした場所へ再び戻るほど絶望的ではなかった。それに、今のルイスには、その申し出は学校側が自己弁護するための土壇場の仕事のように思えた。(ルイスの味方について、後に学制責任者トーマス・W・D・スミスに聞いたところ、仕事の提示は誠意を持って行ったと話した。スミスは、新学期直前に教員の空きがあるのは珍しくないとも説明する。申し出のタイミングについては、ルイスが配備前に告知できなかった件とは無関係であり、“彼の献身に敬意を払い、役に立ちたかった”と語った。)

ルイスは学制副責任者に電話で返答した。ありがたいことですが、もう結構です、そう彼は言った。

その代わり、ルイスは仕事探しを継続したが、以前より好転することはなかった。ついに、12月になって、友人の一人がCACIインターナショナル社の担当者を紹介してくれた。同社はシャーロッツビルに支社を持つ巨大な政府系企業である。担当者は純粋にルイスに関心があるようで、州兵としての経歴も資産になると話した。「問題なくあなたをここに迎えられますよ。」面接時に担当者は告げた。

しかし1月になっても、ルイスには何の連絡もないままだったが、もはや働かずにはいられなかった。帰国して1年近くが過ぎようとしていた。その月、いくらか尊厳を取り戻し、なおかつ軍歴がプラスになる仕事に就いた。実際それは必要条件だった。その仕事とは、ブラックストーンにあるバージニア州兵部隊フォート・ピケット基地内合同作戦センター勤務で、同州の市民兵士部隊の中枢を担う場所だ。仕事の話は同僚の兵士から聞いた。「困ってるんだってな。こっちに来て別の仕事が見つかるまで働くといい。」

ルイスは栄光ある911指令係として勤務を開始した。必要とあらば災害発生時に州兵を招集し、地元緊急本部と調整を行う役だ。給与は良く、年収は5万ドルほど。問題は、そういった緊急事態は滅多になく、やりがいを感じるよりは、ほとんどの時間を退屈に過ごすことだった。届いた報告書を読み、天候を監視するが、たいていはテレビを見たりネットサーフィンをして過ごす。フォート・ピケットで数ヶ月勤務した後、仕事の退屈さからルイスはCACI社の仕事に一層就きたくなった。履歴書を同社人事部に送り、電話でも連絡した。

ようやく、情報アナリストの役職をめぐり面接までこぎ着けた。教員職に比較して2倍の年収になる仕事だ。数週間後、6月初旬の水曜日、人事部から連絡があった。

「あなたにふさわしいと思われる契約条件を用意しましたので、出来るだけ早くこちらで採用したく思います。金曜日か月曜日あたりでいかがですか?」募集担当者は言った。

これこそ、16ヶ月前に帰国して以来、ルイスが待ち続けた瞬間だった。真の仕事の申し出であり、まさしく働きたいと思う仕事で、ありきたりの青年カウンセラーとは大違い。しかし、彼には胃がよじれる感じだった。金曜日と月曜日には行けない。実戦配備の招集があったばかりで、アリゾナ州境を3週間巡回する予定だった。タイミングは最悪で、ルイスはそれを説明しようとした。他の時期ならすぐにでも行ける。「私が戻るまでお待ちいただけないですか?」

「残念ながらダメです。」担当者は丁寧ながら、明らかにがっかりした様子だった。戻ったら連絡するようルイスに言った。「将来別のポジションで空きが出るかもしれません」

ルイスは戻ったら連絡すると約束した。不信な感じのまま電話を切ると、この度起きた事態について整理しようと試みた。これまで、就職の問題で軍務を非難することは努めて避けてきた。だが今回の件では、雇用機会を逃したことは紛れもなく軍務に関係していた。州兵でなければ、金曜日から夢の仕事に就いていたはずだ。

第二大隊第224連隊には愛着があり、飛行任務も中隊指揮も気に入っていた。軍務に就きたかったし、入隊の際に自分が何に関わっていくのか理解していた。しかし今では、その自己犠牲に価値があったのか疑問だった。除隊して民間企業での仕事探しだけに集中していれば、“配備はありますか”という質問に答えなくて済む。招集連絡を受け、辞める直前の告知をする心配をしなくてもよくなる。

除隊までどれくらいの期間が残っている?ちょっと考えただけでがっかりする答えが浮かんだ。4年先だ。


アリゾナ州の任務から戻ってみると、CACI社の募集係から連絡があった。以前ルイスが面接までいった情報アナリストの職がまた空いたという知らせだった。水曜日から勤務できますか?

「任せてください」ルイスは言った。

勤務初日、朝早く起きると、シャワーを浴びて同居人のドアを叩いた。普段なら、シャーロッツビルにある新しい職場までの混雑する道路には怒ったものだが、今日は違っていた。仕事に向かう人々と同じ路上を前進するだけで感激し、新たな雇用主が州兵を問題視しないことに感謝した。

それでも、数週間前に第二大隊第224連隊で流れていた噂については話さずにいた。2009年夏の年次大隊訓練は、雪が積もるカナダの山岳地帯で展開され、操縦士は高地飛行に慣れさせることになっている。

一部で憶測されるように、大隊にとってその訓練が意味することはひとつだ。早ければ2010年にアフガニスタン行きが待っている。


クリスチャン・ダベンポートはワシントンポスト紙で軍事問題を担当している。この記事は6月1日に発売される彼の最新著作『As You Were: To War and Back With the Black Hawk Battalion of the Virginia National Guard』からの抜粋。

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