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カテゴリー別過去記事:未解決事件


2008/12/23

2004年度大統領選挙における電子投票システム不正への関与が疑われた重要証人が事故死

マイケル・コネル氏

事故死した共和党系選挙ITコンサルタントのマイケル・コネル氏(享年45)。


ジョージ・ブッシュ大統領再選キャンペーンと、ジョン・マケインの2008年度大統領選挙キャンペーンでITコンサルタントを務め、“ブッシュの頭脳”カール・ローブのIT教祖と讃えられたコンピューター技術者マイケル・コネル氏が、19日に飛行機事故で死亡したと地元メディアが伝えている。

オハイオ州のアクロン・ビーコン紙によると、12月19日午後6時頃、コネル氏自ら操縦する自家用飛行機が、オハイオ州アクロン・カントン空港に隣接する住宅に墜落・炎上し、コネル氏本人の死亡が確認されたとのこと。事故原因は目下調査中とされる中、関係者からは謀殺の声も上がっている。デモクラシー・ナウもこの件で特集を放送している

マイケル・コネル氏は、2004年度大統領選挙で、大混乱となったオハイオ州の電子投票機を巡り、民主党ケリー候補への投票をブッシュ側へ変換する細工を行ったとの疑いをもたれ、2008年に地元市民団体から訴えられていた。今年10月には同裁判で証人として出廷し、選挙不正の嫌疑を否定したばかり。訴訟を提起したクリフォード・アーンベック弁護士は、重要証人であるコネル氏の身辺に危惧を感じ、今年7月に司法省に証人保護申請をしていた。

地元テレビ局の報道によれば、亡くなったマイケル・コネル氏は、最近では親しい友人たちから、破壊工作の恐れがあるので飛行機の操縦を控えるよう忠告されており、過去2ヶ月間で2度、航空機の不具合で飛行をキャンセルしていたという。2004年度大統領選挙時の不正問題を追及してきた関係者たちは、コネル氏の件に謀殺の疑いもあるとして、当局による事故原因調査の展開を注視している。

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2008/08/02

米炭素菌事件:FBIが特定した容疑者が逮捕直前に自殺?

米ロサンゼルス・タイムズ紙の8月1日付スクープ報道によれば、9/11同時多発テロ直後に発生した炭素菌事件で、FBIが訴追する予定だった重要容疑者が、7月29日に死亡したという。

死亡したのは、アメリカにおける生物兵器防衛研究の第一人者として知られ、メリーランド州フォートデトリックの陸軍感染症医学研究所に勤務していた科学者、ブルース・E・アイビンス氏(Bruce E. Ivins、62歳)。同僚によれば、アイビンス氏はタイレノール(鎮痛薬)とコデインを大量に服用したらしく、入院したメリーランド州のフレデリック記念病院で死亡したという。兄弟らの話によれば、アイビンス氏は自殺を図ったとのこと。今のところ司法省・FBI共に事件報道に関するコメントは発表していない。

2008/05/25

オバマ暗殺を扇動するヒラリー

5月26日に追記しました
Hillary

2008年5月23日、サウスダコタ州アーガスリーダー紙編集部のインタビューで、敗色濃厚にも関わらず選挙活動を続ける理由について問われたヒラリー・クリントン上院議員は言った:

「1992年の時は、6月半ばのカリフォルニア州予備選に勝利するまで、私の夫は党推薦を獲得できなかったんですよ。ボビー・ケネディがカリフォルニア州で6月に暗殺されたのは誰でも憶えてますよ。」


つまり、ヒラリーの脳内プランによれば、ライバルのバラク・オバマ候補は、党の推薦を受ける前に、無残にも暗殺されるというわけだ。

ヒラリーのイカれた発言にバラク・オバマも仰天しているだろうが、一番驚いているのは、暗殺されたボビー・ケネディの子孫たちだろう。ボビー・ケネディの子供のうち、ロバート・ケネディ・ジュニア弁護士、姉のキャサリン・ケネディ、妹のケリー・ケネディの3人は、ヒラリー・クリントンを推薦しているのだ。(JFKの娘キャロライン、JFKの弟ロバート・ケネディ上院議員とその息子パトリック・ケネディ下院議員はオバマを推薦している)

周囲の批判に気づいたヒラリーは、慌てて「ケネディ家に無礼であったとすれば後悔している」と、謝罪に似た曖昧な会見を開いた。肝心のオバマ陣営に対する謝罪はナシである。


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2008/05/06

シークレットサービスは大統領を護れるか

“黒人初のシークレットサービス・エージェント”が目撃した疑惑


1959年、イリノイ州の貧しい家庭に生まれたアフリカ系アメリカ人のエイブラハム・ボールデンは、アイゼンハワー大統領によってシークレットサービス・シカゴ支局要員に採用された。1961年、カリスマ的人気を誇る新大統領ジョン・F・ケネディは、ボールデンをホワイトハウス担当要員に起用した。黒人としては初の大統領警護要員の誕生であった。

だが、ホワイトハウス勤務を始めてまもなく、黒人のボールデンが直面したのは、同じシークレットサービス要員である同僚たちの、人種差別に根ざした嫌がらせとあからさまな敵意だった。大統領が南部を訪問する際、彼だけは他のシークレットサービス要員とは別の宿泊設備を利用させられた。

だが何よりもボールデンが懸念したのは、大統領を警護する立場にある同僚たちの、退廃した勤務態度だった。仕事中の飲酒、警護ポジションからの離脱等、そのいいかげんさは目に余るものだった。その怠慢ぶりを上司に報告すると、ボールデンはわずか勤務3ヶ月でホワイトハウス担当を解かれ、再びシカゴ支局に戻された。

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2008/03/31

米炭そ菌事件:FBIが容疑者を特定?

2001年秋、9/11同時多発テロ直後の米国で、生物兵器にも使われる炭そ菌の粉末が入った封書が、米民主党議員のオフィス他数ヶ所に送付され、封書に接触した5人が死亡、さらに十数人が感染した事件について、FBIが容疑者の絞込み段階に入っていることが米メディアで報道され始めている。(source:米フォックスニュース2008年3月28日付時事通信

フォックスニュースの入手した情報によれば、FBIは容疑者を4人に絞り込んでおり、そのうち3人はメリーランド州フォートデトリックにある陸軍感染症医学研究所に出入りする科学者で、1人は前司令官代理、もう1人は炭そ菌の専門家、1人は微生物学者であるという。

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2008/01/12

米マクラッチー紙報道:「北朝鮮のドル紙幣偽造」はガセネタ?!


まさか、そんなことがあるのだろうか??

米国の有力新聞マクラッチー紙が、2008年1月10日付紙面で大変なことを報道している。曰く、米国政府側が主張する「北朝鮮政府が米ドル紙幣を偽造している」という疑惑の情報源はかなり怪しく、噂の超精巧偽札「スーパーノート」は、実際のところ“ホンモノ”じゃないかというのである。同紙はこの報道で、大量の関連記事、資料を掲載して、疑惑を検証している。

マクラッチー紙といえば、例えばイランの核兵器開発疑惑について、米政府の国家諜報評価がそれを否定する1ヶ月前に、「ブッシュ政権の唱えるイラン核兵器開発の根拠は政府内でも疑問視されている」という暴露記事を、政府内部の諜報関係者の証言を元にサラリと報道してみせるなど、米国大手報道企業としては、特に外交政策分野で突っ込んだ報道姿勢を貫いているメディアとして知られている。特に同紙イラク支局はその正確さにおいて評価が高く、同支局女性取材チームは2007年度国際女性メディア基金の『勇気ある報道』賞を受賞している

問題となっているマクラッチー紙の1月10日付け記事:『U.S. counterfeiting charges against N. Korea based on shaky evidence(米国の対北朝鮮紙幣偽造嫌疑は曖昧な証拠に基づく)』を翻訳すると、以下のような感じである:


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2006/11/30

リトビネンコ事件:主要登場人物をまとめてみる

元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐、アレクサンドル・リトビネンコ氏の変死事件はあまりにも衝撃的だったが、その後の事件調査の展開も実に複雑で、情報が錯綜しており、今後の展開も全く予測がつかない。

リトビネンコ氏周辺の人々は、プーチン露大統領を暗殺犯として批判しているが、死に至る過程がこれほど派手に報道された事件を指して暗殺というには少々違和感があると言わざるをえない。それに比べると、今年10月7日に自宅前で射殺体として発見されたロシア女性ジャーナリスト・ポリトコフスカヤさんの事件はまさしく『暗殺』だった。この二つの事件を同列に並べようとするPR企業側の努力と、それに素直に従うメディア報道の単調さには目を見張るものがあるが、二つの事件の背後にある犯行動機はかなり性質が異なるように思われるし、手法も全く異なり、事件の影響力もまるで違っている。(今回の事件では、ロシアの資源マフィア筋が“商品”を使って仇敵に復讐したようにも見える。)

二つの殺人事件の大きな共通点は、どちらもプーチン大統領にとって大変気まずいタイミングで発生したということだ。女性ジャーナリストの射殺体が発見されて2日後、プーチンはEU指導者との非公式ミーティングに出席しなければならなかった。そして今度は、フィンランド首都ヘルシンキで開催されたEU指導者会議に出席している最中に、リトビネンコ氏の死が世界中で報道されている。冷酷非道な独裁者プーチンにとって、政敵を暗殺するなど朝飯前だろうが、合衆国の天然残虐二世大統領と違って、秘密工作だらけのKGBを駆け上ってきたプーチンには頭脳があるはずだ。FSB要員の亡命と反抗を本当に恐れているなら、黙って亡命者達の資金源を絶つのがより合理的且つ効果的ではないか。

今やロンドンは放射性物質への恐怖で大騒ぎになっている。航空機もホテルもお店も街角でも毒物捜索の最中である。爆弾テロ事件以来、スコットランドヤード側の捜査体制も強化されているので、実行犯の特定は可能だろう。さらに世界中の大手メディアが、プーチンの出身組織がいかに冷酷無比な殺人集団であったかをわかりやすく特集してくれている。このもようを連日テレビで観ながら、果たしてあの陰気なプーチンが手を叩いて喜んでいるだろうか?

・・・とりあえず、現在までの報道を元に、以下に主要な登場人物についてまとめてみた。どの人物も、実に興味深い経歴の持ち主ばかりだが、米軍侵攻後のイラクで活躍したPR企業が、今回の事件でも活躍している件はもっと注目されてもいいだろう。他にもSISMI、ユコス石油、ブッシュ家等、見慣れた名称があちこちに見え隠れするが、これらはもちろん偶然の産物である。

ところで、今回の事件に使われたとされるポロニウム210は、製造・入手きわめて困難と当初報道されていたが、サンフランシスコ・クロニクル紙の報道によれば、ネット通販で誰でも購入可能ということだ。極めて少量のポロニウム210なら、ケース付きで1個69ドル、宅配便で配達OK!詳しくはユナイテッド・ニュークリア・サイエンティック・サプライ社へどうぞ。


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2006/11/21

英ガーディアン:『CIAはロバート・ケネディを暗殺したのか?』

昨夜、英BBC放送ニューズナイトで、映像ドキュメンタリー作家シェイン・オサリバン氏の取り組んでいるロバート・ケネディ暗殺事件調査レポートが放送された。同レポートでは、事件現場に3人のCIA工作員が居合わせた疑惑を調査し、暗殺の背後にCIAが関与した可能性を示唆している。作品のプロモーションであるとしても大変興味深いので、英ガーディアン紙にオサリバン氏が書いたコラム以下に全文翻訳して掲載する。(ちなみに、最新のケネディ暗殺研究本『Ultimate Sacrifice: John and Robert Kennedy, the Eplan for a Coup in Cuba, and the Murder of JFK』では、ューバに利権のあるマフィア各組織が、カストロ体制転覆を本気で計画していたケネディ兄弟を懸念し、暗殺を主導したという説が展開されている。詳細は同書の公式サイト上で説明されている。)

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2006/03/12

ハーグの不気味な連続死

2006年2月28日、オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷で、被告・ミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領の弁護士は、クリントン元米大統領を証人として出廷させるよう要求し、こう言った:

「元アメリカ合衆国大統領という立場のクリントン氏は、ミロシェビッチ氏の拘束に関わる一連の出来事に関してユニークな知識をお持ちのはずだ。」
弁護士らの話によれば、ミロシェビッチ氏はクリントン元米大統領に証人として出廷を求める手紙を送ったが、クリントン氏から返事は来ていないとのことだった。ハーグの米国大使館からミロシェビッチ氏側には、合衆国元大統領の出廷を拒否するとの回答が2005年末に伝えられていた

さらにミロシェビッチ氏側は、コソボ爆撃を実行した元NATO司令官ウェズリー・クラーク氏、ブレア英首相、シュレイダー元独首相の証人出廷を請求していた。裁判官は被告側の要求を全て拒否した。

そして3月、戦犯法廷は思わぬ方向に急転回した。

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2004/12/19

CIAとコカイン密売の関係を暴露したジャーナリストが「自殺」

「いいか、ジョージ。私は捕虜達を捜し続けるが、米国政府が世界中に麻薬を流通させて、違法な武器取引をしているという件をなんとしても暴いてやるぞ。私が捕虜達を助けられないとしたら、わが国の工作員達が堕落しているおかげだ」

("Well George, I go in looking for prisoners, but I spend my time discovering the government has been moving drugs around the world ands is involved in illegal arms deals. I can't get at our prisoners because of the corruption of our own covert people.")

----1987年、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュが、テキサスの大富豪ロス・ペロー氏に、ベトナム戦争捕虜の調査の進行具合を尋ねた際、ロス・ペロー氏が怒って父ブッシュに言い放った言葉(ペロー氏は私費を投じてベトナム戦争捕虜の救出活動をした異色の大統領候補)


2004年12月10日、ジャーナリストのゲイリー・ウェッブ氏が、カリフォルニア州サクラメント郡の自宅で、頭を銃で撃ちぬかれた死体として発見された。サクラメント警察検視官はウェッブ氏の死亡について、拳銃自殺であると断定している。

事件を最初に警察に通報した引越し業者の証言では、ウェッブ氏の自宅玄関ドアには「どうか中に入らないでください。911へ連絡して救急車を呼んでください」と書かれたメモが貼り付けられていたという

ゲイリー・ウェッブ氏(享年49)をジャーナリストとして最も有名にしたのは、『80年代の米国で、ニカラグアの反政府組織コントラが資金調達のため米国内のドラッグ密売ルートを開拓し、CIAはそうしたコントラの犯罪活動(コカイン密売)を極秘裏に支援していた結果、コカインが米国で大流行することになった』という一連の調査報道であった。この衝撃的なレポートは1996年にサンノゼ・マーキュリーニュース紙上で連載され、米国内は騒然となった。

しかし、NYタイムズ、LAタイムズ、ワシントンポスト他アメリカの大手メディアはウェッブ氏の調査報道を「信頼性に欠ける」として一斉攻撃し、米政府もCIAに対する疑惑を否定した。ついには記事を掲載したサンノゼ・マーキュリーニュース紙自らウェッブ氏の報道の信頼性を否定し、ウェッブ氏を追い出しにかかった。

政府・同業者・同僚からの攻撃に逃げ場を失ったゲイリー・ウェッブ氏は調査を中止してサンノゼ紙を辞職、その後主要メディア上での活躍の場を失った。(後にウェッブ氏は一連の調査を書籍「Dark Alliance: The CIA, the Contras and the Crack Cocaine Explosion(影の同盟:CIA、コントラとクラック・コカイン大流行)にまとめあげた。)

ところが、1998年3月に行われた下院情報調査委員会で、CIA監査官フレッド・P・ヒッツ氏は、米国内でドラッグ密売に関わっているコントラメンバーとCIA工作員の関係を証言し、議員達は仰天することになる。さらに委員会で問題となったのは、1982年から1995年の間、CIAと司法省の間で、「お互いの不正を調査しない」密約が交わされていたという事実であった。FBI、CIA他政府機関は、コントラによるアメリカ国内ドラッグ密売ビジネスを黙認していたわけである。(密約の背景には、1981年の大統領令第12333(レーガン大統領発布):ニカラグア・サンディニエスタ政権転覆を目的としたCIA工作活動の承認があった)

つまり、ゲイリー・ウェッブ氏の調査報道は真相に迫っていたのである

80年代、レーガン政権は「ドラッグとの戦争」を宣言し、ドラッグ密売ルート撲滅運動を推進していた。しかし実際には、アメリカ国内の薬物汚染拡大の一端を、米国政府自身が担っていたというわけだ。そのレーガン政権のドラッグ撲滅運動の責任者を務めたのは、当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュであった。

レーガンの選挙キャンペーン責任者として、イラン・コントラ事件の発端となる「オクトーバー・サプライズ」を仕掛けた元CIA長官であるブッシュ父は、CIA・コントラ組織のドラッグ密売ルートを承知していた事実も判明している。ブッシュ父が率いた「麻薬対策チーム」は、極端な表現をすれば、政府に承認されていない(ライバルの)ドラッグ密売ルートを撲滅することで、CIA-コントラのコカイン販売網を拡大していたことになる。

米政府の暗部を見事に暴いたゲイリー・ウェッブ氏は、図らずもブッシュ家の芝生を踏んでいたのだ。

サクラメント検視局のロバート・ライアン氏の発表によれば、ゲイリー・ウェッブ氏は顔面に2発の銃弾を浴びて自殺していたとのことである。自分の顔面を2回撃った?---ライアン氏は「2発の銃弾で自殺するのは異例なことだが、過去にも起きているし、実際充分起こりうるものだ」と説明している

そのとおり。全ては過去に前例がある。以下に、ブッシュ家の過去を探っている途中で自殺したジャーナリストの事例を挙げておこう。

  • 1991年8月10日:BCCIスキャンダル、オクトーバー・サプライズ等(どちらもブッシュ父関連事件)、INSLAW社疑惑(クリントン)の調査報道で知られるジャーナリストのダニー・カサラロ氏(Danny Casalaro)が、バージニア州マーティンズバーグのシェラトンホテルの浴槽で、死体として発見された。手首が10回ほど切られていることから、警察当局は自殺と断定。カサラロ氏はブッシュ父にまつわる最新暴露本「The Octopus」を執筆中であったが、自殺時に所有していたはずの調査資料、原稿は全て紛失していた
  • 2000年3月22日:ニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、マーク・ロンバルディ氏(Mark Lombardi)が、自宅ロフトで首つり死体として発見されたロンバルディ氏(享年48)はブッシュ家とビン・ラディン家、サウジ王家、BCCI他の関わる複雑な資金ルートを詳細に調査し、グラフィックアート作品として発表、展覧会を開催して物議を醸した異色のアーティストであった。(作品は書籍「Mark Lombardi: Global Networks」として販売されている)
  • 2001年7月18日:アーカンソー州スプリングデール郡のホテルの一室で、ジャーナリストのJ.H. ハットフィールド氏(J.H. Hatfield)が死体として発見された。警察当局の検死により、2種類の薬物過剰投与による自殺と断定された。ハットフィールド氏(享年43)は当時大統領候補として注目を集めていたジョージ・W・ブッシュの経歴を綿密に調査し、1972年にブッシュがコカイン使用で逮捕されていた事実をつきとめ、1999年に「Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President」(初版1999年刊行)(邦訳は「幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実」(青山出版社/2001年4月刊行、現在絶版)として刊行、ベストセラーとなるが、すぐにブッシュ本人の圧力により出版社が同書を回収し大騒動となった。(ブッシュは自らのコカイン使用疑惑について、結局今日まで事実を明確に否定できないまま、ひたすら疑惑への言及を避けており、「Fortunate Son」も出版元を変えて再刊されることになった)死亡直前、ハットフィールド氏はブッシュ家とビン・ラディン家のお金の流れを詳細にわたり調査中であったと見られている。(遺稿となった2001年7月3日の記事もそれを示している)

以上の事例を鑑みると、ゲイリー・ウェッブ氏の自殺は、“充分起こりうるものであった”と理解できる。

2004/11/24

「ダラスの秘密」byアリー・オサリバン

エルサレム・ポスト紙2004/11/21付け記事より。全文を以下に翻訳掲載。



ダラスの秘密(The secrets of Dallas)


by アリー・オサリバン

1964年4月7日、ニューオリンズ警察署所属の26歳の刑事が、前年11月に起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を調査するウォーレン委員会に召還された。

刑事の名はフレッド(後にイフライム)・オサリバン、私の父親だ。

父がリー・ハーベイ・オズワルドと知り合いであることは私もよく知っていた。二人は半ブロック離れた場所で育ち、学校ではホームルームの時間で同席していた。父は何年もの間、リーの前の席に居た。アルファベット順では、オサリバンという名は“オズワルド”よりも前だったからだ。

母親の実家には、委員会への協力に際してジャクリーン・ケネディから父宛てに送られた感謝の手紙がある。事件について父は滅多に話さなかったが、1人の人生を偉大なる冒険へとつなぐ断片的な情報だけは残されている。

ダラスで発生したケネディ暗殺は象徴的な事件だった。事件発生時、自分が何処に居たかを誰でも記憶することになったが、同じように、もう1人のジョン---ジョン・レノンが射殺された時もそうだったし、 イツハク・ラビン(イスラエル首相)が土曜の夜に暗殺された事件もそうなった。

しかし、JFKに関しては、我々は陰謀の存在を信じている。というよりは、一体どうやって、1人の狙撃者が、ほとんど不可能ともいえる距離から、走行中の車列の中の、合衆国大統領を暗殺することができたのか?

私の父は、いつも事件の背後に多くの秘密があると仄めかしていたが、JFK暗殺計画と黒人公民権運動主導者のマーティン・ルーサー・キング・JR暗殺---1968年にテネシー州メンフィスで、白人至上主義者ジェームズ・アール・レイに射殺された---はどちらもニューオリンズを基点にしていると語っていた。

1960年代のニューオリンズには多くの謎があったが、ニューオリンズ警察署の情報指揮官である私の父は、それをリングサイドで観察していたわけだ。

私の父とオズワルドの関係は、オズワルドが高校時代に民間空中哨戒部隊で活動していた頃、行軍訓練チームに勧誘した件も含んでいる。

「オズワルドはいつも直立不動で、いつでも出動の準備ができていると言わんばかりに、視線は前方をまっすぐ、胸を張っていたので、訓練チームで一緒にやれると思ったのです」ウォーレン委員会で、父は話した。

「彼ならやりとげそうでした・・・まあ、小隊に入ったら優秀なリーダーになれそうな、良い印象を持ちました」

スタンフォード大学図書館の地下で、委員会での父の証言を読んでみると、委員会が父に、デビッド・フェリーと呼ばれる人物---ニューオリンズでよく知られた、マフィアとつながりがある同性愛者----とオズワルドとの“関係”について質問している部分を見つけた。

「記憶をはっきりさせようとしています」父は委員会で話した。「知ってること、聞いたことを、はっきりさせようと務めていますが」

「ちょっと混乱しているのです。本当は憶えていないはずなのに、憶えているかのように感じることがあるでしょう?」

おやおや、その頃の親父はまるで青二才の、罪のない人物みたいに見える。

結局、父はフェリーを思い出した。フェリーは最初“未成年者との反自然性交犯罪”で訴追されていたが、暗殺事件の直後に“オズワルドの活動”に関係していたとして逮捕されていた。

「続けて」委員会のメンバーの1人、ウェズリー・リーベラーに促されて、父は詳細を語りだした。

そんなわけで、父と他のニューオリンズ署の刑事は、暗殺事件直後に、空港へフェリーの乗る飛行機を調査するために向かった件を話した。そうした調査は父達が率先し、刑事たちはフェリーが何らかの形で暗殺事件に関わっているのではと考えていたという。

「我々は空港で、彼の機が飛行可能かどうか調べるつもりだった。フェリーがオズワルドをダラスに送り込んだと思っていたからだ。しかし飛行機は飛べる状態になかった。タイヤは磨り減り、機材は紛失しており、塗装は剥げていた。」

「もしかしたら飛行機を借りたのではと考え、調べたが、フェリーに飛行機を貸す会社はなかった」

明らかに捜査は行き詰っていた・・・しかしそれでも、ニューオリンズ地方検事ジム・ギャリソンは、後にフェリーを(オリバーストーンの映画「JFK」ではジョー・ペシが印象的に演じたが)暗殺事件の重要容疑者として、殺人事件後3年以上に渡り、疑惑の渦中に追い詰めていくのだ。

ギャリソンはJFK暗殺を“同性愛者の衝動殺人”としてとりかかり、やがてさらに広大なCIAと反カストロ組織、軍需産業による共同計画と見なし、フェリーがその中で重要な役割を果たしたと宣言していた。1967年2月に死亡する直前まで、フェリーは全ての嫌疑を否定していた。(訳注1

ケネディー暗殺陰謀論者達は、数年間に渡り私の父の元に立ち戻ったが、それは1970年代まで続いた。

目を閉じると、親父が若い警官だった頃が想像できる。髪は古臭い短髪で、クリスマスツリーを放り出して、メノラ(ユダヤ教で使う燭台)に火を点し、シオンの国へ旅立つ以前、まだアイリッシュ系カソリックの魂を持っていた頃だ。

私の父はカソリックのケネディに票を投じた。JFKの死は多くの人々の心を傷つけ、不意をつき、自分が何を成し遂げ、何になれるのかについて、多くの人々に考えさせることになった。

父はそうした影響を受けた1人であった。証言を聞けば、彼がいかに憔悴していたかがわかる。

「事件が発生してから、相当考えてみたんですが」残念そうにしめくくるべく、父は委員会で証言している。「助けになりたいと思っても、何も思いつかないんです・・・思いつく事が何もない」

私が成長するにつれ、父がよく話してくれたのは、人々の目に触れないところでJFK暗殺事件にはさらなる秘密があるということだった。しかし父は詳細について話してくれなかったし、私も話を聞きだそうとはしなかった。親しい友人のような存在だったが、父はいつもプライベートな部分を持っていた。私が知る限り、父ほど秘密を隠し通す人物を見たことがない。

かつて、父の机の引き出しから、父の名前と写真で作られたレバノンの免許証を偶然発見したことがある。彼はそれを払いのけ、知らないほうが身のためと私に話した。それ以上首を突っ込まないように、私は育てられた。

しかし、時が過ぎ、脳梗塞で記憶がダメージを受けはじめる前に、私はもっとJFKについて父から話を聞きだすべきだったと思う。

そんなわけで、41回目の記念日が近づいたある日、私は父に電話して、もう一度だけ聞いてみた。

「41年!もうそんなに経ったのか」ミシシッピの介護施設から、国際電話の回線を通じて、信じられないとばかりに口ごもりながら、父は話した。

「JFKを殺したのは誰だったの?」果たしてアメリカの最も複雑な謎に新たな光明をもたらすことになるかどうか考えながら、私は父に率直に聞いてみた。

「リーだよ」父は言い聞かせた。「彼に決まってるじゃないか」

「それだけ?」

「まあ・・・手を貸した人物については、私自身も疑がっている事がある」

その時、看護婦が父の電話を切ってしまった。




訳注1:
ニューオリンズ地方検事ジム・ギャリソンが、実際にJFK暗殺事件容疑者として起訴したのは、デビッド・フェリーの背後に居た企業家クレイ・ショー(後にCIA工作員と判明)であった。ギャリソンの追求を受けたフェリーは、裁判前に自宅で“自然死”した。JFK暗殺事件の核心に最も近づいたとされるギャリソン検事の捜査については本人の著作「JFK―ケネディ暗殺犯を追え」(ハヤカワ文庫NF)に詳しい(映画JFKの元となった著作)。

2004/08/05

ケネディ暗殺の録音テープ、デジタル解析へ

ニューヨークタイムズ2004/08/03付記事より。

米国の暗黒の歴史の始まりとなったケネディ大統領暗殺事件の調査に新展開。以下に記事を全文翻訳して掲載。
しかし、よりによって大統領選挙の年になぜこんな・・・?



ケネディ暗殺の録音テープ、デジタル解析へ

BY マイケル・ジャノフスキー(MICHAEL JANOFSKY):ニューヨークタイムズ

ワシントン、8月2日---これから1年後には、アメリカの歴史上最も苛立たせるミステリーのうちの1つがついに解決されるかもしれない:果たして、リー・ハーヴィー・オズワルドは単独で暗殺を実行したのか?

ローレンス・バークレー国立研究所の科学者達が、ディジタル走査装置を使って、1963年11月22日にダラスで発生したジョン・F・ケネディ大統領の暗殺の瞬間の現場音声を収めた唯一の録音テープを複製する作業を開始している。

音声テープは、警察オートバイに取り付けられていたマイクロホンを通して、ケネディを乗せた乗用車の行列がディーレイプラザ(Dealey Plaza:大統領が暗殺された場所)を移動する際に録音された。音声は警察本部の速記用口述録音機のベルト上に保存されたが、数十年間にわたる科学的な分析によれば、どれだけの人々が現場で大統領暗殺を実行したかについて決定的な事実を提示できなかった。

1964年に、大統領暗殺に関する連邦政府の調査---ウォーレン委員会は、オズワルドが単独で、プラザ上にあるテキサス歴史図書館ビルから、3発発砲して、暗殺を実行したと結論づけた。しかし、15年後に事件を調査した上院委員会は、暗殺時の射撃は4発であり、その内3発はテキサス歴史図書館ビルから、1発は別の位置から発射されたという結論に達し、多くの陰謀説が展開されることになった。

古い78回転のレコードのように、速記用口述録音機は、針を使用するために、分析のために繰り返し再生されるうちにベルトが破損していった。1990年には国立公文書館の所有となり、技術者たちは、それ以上の機械的な手段による採録を避けていた。

暗殺の秘密を握る速記用口述録音機のベルト

JFK暗殺の秘密を握る速記用口述録音機のベルト

その後、保護主義者たちには、手ごわいながら歴史的に重要な課題が残された:古いプラスチックベルト上の音をどういう方法で採録するか、また、採録が可能となったとき、銃弾の発射数を示す明白な証拠が得られるのか?

米国国立公文書館の公文書保管人であるレスリー・C・ワッフェンは、音声の採録が可能であるだけでなく、デジタル解析によって音声分布を記録し、余分な雑音を除外した銃声だけを抽出できると信じているという。

「これは大事ですよ」ワッフェン氏は言う。彼のチームは音声の録音ベルトだけでなく、エイブラハム・ザプルーダーの撮影した、暗殺の瞬間を捉えた音声なしのカラー8ミリ映像のオリジナルを保管している。「私が専門家を呼んだのはそういうわけです。デジタル解析は専門家の薦めによるものです」

6月の国立公文書館諮問委員会の後、その業務はバークレー研究所のカール・ハーバーとヴィタリー・フェイデフに引き継がれた。彼等は壊れやすいエジソン・シリンダーやLPレコードの解析に、デジタル光学カメラを使って音声を採録する技術を持っている。解析作業は、速記用口述録音機のベルトの溝を電子的にスキャンし、音声パターンをデジタルイメージに転換するプロセスが含まれる。

転換作業が完了すれば、ワッフェン氏曰く「玉葱の皮をむくように綺麗に、録音された層に辿り付く事ができる」という。その時には、狙撃が何発だったのかが判明することになる。

暗殺事件からは多くの陰謀説が派生し、マフィア説、フィデル・カストロ説、リンドン・ジョンソン説、ロシア人説、あるいは映画監督オリバー・ストーンによって提示された「軍産複合体説」などが生まれ、政府高官や捜査当局、歴史家をおおいに悩ませる問題となっている。

ウォーレン委員会の報告書に対抗する最も執拗で有力なセオリーは、第二の狙撃者が、自動車パレードの上方、後に「草深い丘(grassy knoll)」という名称で知られることになる草の生えた丘の稜線から狙撃したというものである。このセオリーは1979年の議会調査以来広範囲に普及しており、論拠の一部は速記用口述録音機のベルト上の録音と映像との比較、及びディーレイプラザでの実射試験に基づいている。

その調査は、4発発射されたという証拠を提示し、初弾、第2弾、第4弾は図書館ビルから発射されたもので、第3弾は草深い丘(grassy knoll)から発射されたものであると示した。

しかし3年後に実施された音響分析により、国立科学アカデミーは、銃声とされる音は単なる雑音と結論づけた。それ以来、速記用口述録音機は再生されていない。

国立公文書館が速記用口述録音機の所有者となってから、2つの難問が持ち上がった:何をするべきか?そしてどういう方法で正確に証拠を捕捉し、公開すべきか?

その難問は何年も解決されぬままだったが、新技術により、これまでのベルトを傷める危険のある手法に代わり、証拠を捉えることが可能であることが明白になった。

諮問委員会は、もしも音声の増強ができない場合、国立公文書館に音声の正確な複製を提供するよう結論している。委員の話では、複製は研究者達に渡されることになる。

「国民は知りたがっている」1989年にディーレイプラザの図書館ビル内に作られた「6階博物館(the Sixth Floor Museum )」の学芸員、ゲイリー・マックは言う。「ウォーレン委員会では単独犯、上院委員会ではオズワルドともう1人犯人がいることになっている。ずっと疑問は解決されていない」

ワッフェン氏の話では、解決は時間の問題だという。

「科学者たちは狙撃時の音声を25年から30年に渡り研究し、それぞれ別の結論に至っている」彼は語る。「しかし、最新の技術で、もっと良い再生音を手に入れて、どちらが正しいか結論を出せるだろう」