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05/06/2008

シークレットサービスは大統領を護れるか

“黒人初のシークレットサービス・エージェント”が目撃した疑惑


1959年、イリノイ州の貧しい家庭に生まれたアフリカ系アメリカ人のエイブラハム・ボールデンは、アイゼンハワー大統領によってシークレットサービス・シカゴ支局要員に採用された。1961年、カリスマ的人気を誇る新大統領ジョン・F・ケネディは、ボールデンをホワイトハウス担当要員に起用した。黒人としては初の大統領警護要員の誕生であった。

だが、ホワイトハウス勤務を始めてまもなく、黒人のボールデンが直面したのは、同じシークレットサービス要員である同僚たちの、人種差別に根ざした嫌がらせとあからさまな敵意だった。大統領が南部を訪問する際、彼だけは他のシークレットサービス要員とは別の宿泊設備を利用させられた。

だが何よりもボールデンが懸念したのは、大統領を警護する立場にある同僚たちの、退廃した勤務態度だった。仕事中の飲酒、警護ポジションからの離脱等、そのいいかげんさは目に余るものだった。その怠慢ぶりを上司に報告すると、ボールデンはわずか勤務3ヶ月でホワイトハウス担当を解かれ、再びシカゴ支局に戻された。

1963年10月、シカゴ支局に勤務するボールデンらシークレットサービス要員の下に、FBIから緊急連絡が舞い込んだ。11月2日にシカゴを訪問予定のケネディ大統領を狙い、4人の“キューバ系反体制派”に属する暗殺者が、狙撃を計画しているというものだった。ケネディ大統領はシカゴ訪問を急遽延期した。シークレットサービス・シカゴ支局は容疑者を拘束したが、まもなく釈放した。11月18日には、フロリダ州タンパを訪問するケネディ大統領の車列を狙う暗殺計画の情報が舞い込んだ。

1963年11月22日、ケネディ大統領は、テキサス州ダラスを訪問中に狙撃され、死亡した。

1964年初旬、ウォーレン委員会の調査報告書に、シカゴとタンパの暗殺未遂の件が含まれていない事を不審に思ったボールデンは、ウォーレン委員会主任顧問J・リー・ランキンに連絡した。委員会で証言するためワシントンに向かったボールデンは、到着と同時に収賄の嫌疑をかけられ、逮捕された。シカゴ支局でシークレットサービスの捜査対象となっていたマフィア関係者が、ボールデンが賄賂を受け取ったと証言したのだ。ボールデンは有罪を宣告され、6年間服役する羽目になった。合衆国史上初の黒人シークレット・サービス要員は、同時に最初の政府内告発者となったが、60年代のアメリカ社会はボールデンに冷酷なままだった。

ボールデンを罠に嵌めるために偽証した人物、サム・デステファノは、1973年に殺された。サムを殺したと疑われる人物、リチャード・ケインも後に殺害された。二人ともシカゴの大物マフィア、サム・ジアンカーナの関係者であった。

1992年、ケネディ暗殺真相解明の世論が高まる中、米議会は「JFK法」を成立させ、暗殺事件調査記録の再評価を開始した。1994年、エイブラハム・ボールデンの件が議会で初めて証言された。議会はシークレットサービス側に説明を求めた。するとシークレットサービス本部は驚くべき回答をした。保存命令に反して、暗殺事件当時の調査記録のほとんどを既に廃棄したということだった。

1998年、アメリカ国民がモニカ・ルインスキー事件の推移に釘付けになっている最中に、議会の最終報告書が公表された。この調査過程で多くのCIA文書が新たに機密指定を解除されたが、未だ百万件以上の事件記録が機密のまま保管庫に眠っているという。(2017年に一部が機密解除予定)

2008年、72歳のエイブラハム・ボールデンは、回顧録『The Echo from Dealey Plaza: The True Story of the First African American on the White House Secret Service Detail and His Quest for Justice After the Assassination of JFK』を出版し、名誉の回復を求めて現在も活動している。


シークレットサービスの「過失」再開?

2008年2月20日、テキサス州ダラスで、民主党大統領候補バラク・オバマは遊説を行った。会場となったリユニオン・アリーナには1万7,000人を超える聴衆が集まった。会場入り口で、入場者の所持品検査と金属探知機による保安検査を実施していたダラス警察に対し、オバマ候補の警護を担当するシークレットサービス側から奇妙な命令が下された。「入場者の検査を止めろ」というものだった。入場者チェックを止めれば、会場前の混雑が解消され、入場者は早く着席できる、というのがその理由だった。連邦政府当局の命令に従い、ダラス警察側は所持品検査と金属探知を中止した。会場警護を担当した警察官は、匿名を条件に取材に答え「あんなに大勢が所持品検査無しで入場するのは不安だった」と話した。

ダラス警察の警護責任者は、「保安活動上の過失だった」としながらも、集まった聴衆は皆“フレンドリー”だったので問題はないと言い訳した。セキュリティサービス本部は疑惑を否定し、当初から入場者全ての検査をする計画ではなかったと説明している

シークレットサービス内部の人種差別問題は現在も続いている。2008年4月14日、ホワイトハウス警護を担当するアフリカ系アメリカ人のエージェントが、普段利用しているシークレットサービス専用訓練施設に、首吊り縄がぶら下げられているのを発見した。縄を仕掛けた白人エージェントには、まもなく上司から休暇命令が下されている。シークレットサービスでは、組織内部の昇進プロセスにおいて、人種に根ざした差別待遇が日常的に行われているとして訴訟が起こされ、黒人エージェント60人ほどが、差別経験を記した宣誓供述を法廷に提出している。首吊り縄事件は、シークレットサービス内部の人種差別に根ざした敵対関係の悪化を象徴するものと見られている。

2008年合衆国大統領選挙を前に、米民主党が初の黒人大統領候補を党代表に選出する公算はいよいよ高まっている。果たしてシークレットサービスはその不名誉な伝統を克服できるだろうか?

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03/31/2008

米炭そ菌事件:FBIが容疑者を特定?

2001年秋、9/11同時多発テロ直後の米国で、生物兵器にも使われる炭そ菌の粉末が入った封書が、米民主党議員のオフィス他数ヶ所に送付され、封書に接触した5人が死亡、さらに十数人が感染した事件について、FBIが容疑者の絞込み段階に入っていることが米メディアで報道され始めている。(source:米フォックスニュース2008年3月28日付時事通信

フォックスニュースの入手した情報によれば、FBIは容疑者を4人に絞り込んでおり、そのうち3人はメリーランド州フォートデトリックにある陸軍感染症医学研究所に出入りする科学者で、1人は前司令官代理、もう1人は炭そ菌の専門家、1人は微生物学者であるという。

炭そ菌事件をめぐっては、事件発覚当初はオサマ・ビン・ラディンの関与が示唆されたり元国連査察官がイラク政府(サダム・フセイン政権)の関与を指摘するなど、デマや憶測が乱れ飛んだ。しかし最近は、フォートデトリックの研究所から盗み出された研究用の炭そ菌が犯行に使用されたという説が有力視されていた。

一方、事件への関与が疑われてから、フォートデトリック関係者の中には疑惑を払拭する発言もあった。同研究所のジョン・パーカー司令官は「陸軍感染症医学研究所に貯蔵されているのは液体状の炭そ菌であり、(事件で使用された)粉末状のものはない」と説明していた。しかし同時期の研究所内部では、事件で使用された炭そ菌が、研究所に貯蔵されたものと酷似していると、研究所に勤務する科学者たちによってかなりおおっぴらに議論されていたらしいことが、フォックスニュース側が入手した内部メールにより明らかになっているという。

フォックスニュースの報道内容について、FBI側は今のところ沈黙を保っている。

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01/12/2008

米マクラッチー紙報道:「北朝鮮のドル紙幣偽造」はガセネタ?!


まさか、そんなことがあるのだろうか??

米国の有力新聞マクラッチー紙が、2008年1月10日付紙面で大変なことを報道している。曰く、米国政府側が主張する「北朝鮮政府が米ドル紙幣を偽造している」という疑惑の情報源はかなり怪しく、噂の超精巧偽札「スーパーノート」は、実際のところ“ホンモノ”じゃないかというのである。同紙はこの報道で、大量の関連記事、資料を掲載して、疑惑を検証している。

マクラッチー紙といえば、例えばイランの核兵器開発疑惑について、米政府の国家諜報評価がそれを否定する1ヶ月前に、「ブッシュ政権の唱えるイラン核兵器開発の根拠は政府内でも疑問視されている」という暴露記事を、政府内部の諜報関係者の証言を元にサラリと報道してみせるなど、米国大手報道企業としては、特に外交政策分野で突っ込んだ報道姿勢を貫いているメディアとして知られている。特に同紙イラク支局はその正確さにおいて評価が高く、同支局女性取材チームは2007年度国際女性メディア基金の『勇気ある報道』賞を受賞している

問題となっているマクラッチー紙の1月10日付け記事:『U.S. counterfeiting charges against N. Korea based on shaky evidence(米国の対北朝鮮紙幣偽造嫌疑は曖昧な証拠に基づく)』を翻訳すると、以下のような感じである:


2年前、北朝鮮の独裁政権を徐々に孤立化させ、経済的にも追い込むために、ブッシュ大統領は北朝鮮政府がニセ米国ドル札を製造しているとして批判した。

「我が国の紙幣を偽造する者がいるならば、止めていただきたい。北朝鮮に対して我が国は積極的にそう伝える。我が国の紙幣を偽造するなと。」2006年1月26日、ブッシュはそう宣言した。

しかしながら、マクラッチー紙の10ヶ月に及ぶ3大陸を跨いだ調査で判明したところでは、ブッシュ氏の主張を裏付ける証拠とされるものは良く見積もっても曖昧であり、ニュース等で引用された北朝鮮からの亡命者の主張は疑わしく、おそらく偽証である。主要捜査機関であるスイス連邦犯罪警察は、北朝鮮の紙幣偽造技術を疑問視しており、偽造100ドル紙幣“スーパーノート”は、目に見えない一部の付加点を除き、ほとんど完全な紙幣であるとしている。

北朝鮮政府を巡る一連の紙幣偽造疑惑の情報源としてブッシュ政権が依存する情報源の多くは、米国他外国紙のために北朝鮮からの亡命者たちとのインタビューを手配した韓国在住の“北朝鮮専門家”達である。その報道は議会や調査関係者、ブッシュ政権幹部ら北朝鮮に圧力を加えようとする人々によって引用されてきた。

例えば、2006年7月23日付けニューヨークタイムズ・マガジン誌報道に引用された亡命者たちの説明によれば、北朝鮮が精巧な100ドル札“スーパーノート”を製造しているとされていた。

しかし、マクラッチー紙の調査によれば、そうした情報源を疑うに足る事情が明らかになった。いくつかの報道で引用された情報源の1人、自称化学者のキム・ドン・シクは、消息が不明となり、以前ルームメイトだったムーン・クーク・ハンの話では、キムはお金のために嘘を言っており、米国紙幣についての知識も乏しく、100ドル紙幣に印刷された人物の名前(ベンジャミン・フランクリン)さえ知らなかったという。

シークレット・サービス、米連邦準備制度理事会、米財務省はこの件に関するインタビューを辞退している。

米国政府の主張が国際社会で最初に考査されたのは2006年7月で、ブッシュ政権の要求によって、国際警察機構インターポールは中央銀行関係者、警察機関、紙幣産業関係者等を召集し、米国政府の北朝鮮政府に対する疑惑が説明された。

フランスのリヨンで開催されたその会議は、アメリカ政府の要求によって2005年3月にインターポールが公布したオレンジ警告に続くものだった。オレンジ警告とは、関係各国に紙幣製造機器や紙、インクを北朝鮮へ販売することを禁止させる呼びかけである。

しかし、60人以上の専門家を召集しながら、紙幣偽造取締を担当する米国の主要捜査機関であるシークレットサービス側は、証拠資料の詳細について提出しなかった。その代わりに持ち出したのは“諜報”で、召集された関係者に対してはブッシュ政権側の主張を信用してほしいと言うのみだった。

「笑ってたのか眠ってたのか憶えてないね」その会議に出席していた関係者の1人が、匿名を条件に取材に応じて言った。彼はシークレット・サービス側と実際に接触している人物である。

インターポールの事務局長はアメリカ人で、1993年から1996年までシークレット・サービスに勤務したロナルド・K・ノーブル。彼は、前職で得た機密情報について守秘誓約があるので、スーパーノートの詳細について話すことは辞退している。ノーブルによれば、シークレット・サービス側は、入手した情報について「その全てを自由に共有できるわけではない」と明言したという。

疑惑に関するもっとも決定的な反応は、2007年5月にスイスのBundeskriminalpolizei-偽造紙幣捜査を担当し、過去に米国財務関係者と緊密に活動したスイス政府機関からもたらされた。それによれば、スーパーノートの背後に北朝鮮が関与しているのは疑わしいとのことだった。

スイス警察機関の抱いた疑問の根拠は、1989年にフィリピンの目利き銀行家が発見して以来、押収された偽造紙幣の量がおよそ5,000万ドル分と少なく、紙や印刷のための機械を購入する金額にもならないということである。

スイス側がさらに疑問視するのは、北朝鮮にそのような高精細偽造紙幣を製造する高度な技術があるかどうかである。

「1970年代まで遡る印刷機を利用しているので、現在の北朝鮮は自国の紙幣すら酷い品質であり、この国が果たして高精度のスーパーノートを生産できるのか疑問視するのは当然である」スイス捜査機関は報告している。

さらに注目されるのは、印刷者が誰であれ、スーパーノートは少なくとも19種の版が存在しており、それぞれが合衆国側の刷版のわずかな変更と一致していることである。

「間違いなく世界でもっとも精巧な偽造技術だよ」ジェイムズ・コルビーは言う。彼は先ごろ引退したアリゾナ州前共和党議員で、シークレット・サービスの活動を監査していた。「どうやってこんなことができるのか、何が起きているのかわからない。北朝鮮がどうやってこのような高度な技術を手に入れることができるのかもわからない。非常に高度な技術なんだよ。」

これまで表沙汰になった証拠としては、2004年度に起訴されたショーン・ガーランドの件がある。彼はアイルランド共和国軍から派生したグループの指導者で、1990年代後半に、モスクワの北朝鮮大使館からヨーロッパへ、100万ドルを超えるスーパーノートを持ち込んだとの疑惑がもたれている。ガーランドは現在アイルランド共和国に在住しているが、アイルランド大使館の話によれば、米国政府は彼の引渡しを要求していないという。

米政府がどのようにして結論に至ったのかについて、北朝鮮に関する疑惑の普及を促した元米政府職員らの見方はそれぞれ異なっている。

国務省で北朝鮮の犯罪活動の詳細を収集していたデビッド・アッシャーによれば、彼のグループは紙幣偽造の証拠を見つけており、“諜報”に依存していたのではないと言う。

現在、ワシントンの保守系シンクタンクであるヘリテージ財団で調査員を務めるアッシャーは、詳細について明らかにしなかった。

しかしブッシュは、北朝鮮が偽造紙幣“スーパーノート”を製造している証拠について2007年8月8日に本紙が質問した際に、「諜報に関しては自由に話せる立場にない」と回答していた。

ブッシュ政権元高官で、北朝鮮に対する最も強硬な姿勢で知られるジョン・ボルトンは、本紙の取材に応えて、北朝鮮政府がスーパーノートを製造している物的証拠を目にしたことはないと語った。しかし彼は、北朝鮮がそうした偽造紙幣を流通させているという証言は、悪行の証拠として充分であると言っている。

米政府諜報機関のトップを務めた或る政府関係者の話によれば、彼は結論に至るに足る充分な情報を目にしていないという。

「独自に判断を下せるだけの諜報を目にしたことがなかった。」カール・フォードは言う。彼は、主として亡命者のニセ情報を元に、イラクの大量破壊兵器保有疑惑を唱えたブッシュ政権側と対立し、2003年度に国務省情報調査局長の職を辞した人物である。北朝鮮の疑惑について、ブッシュ政権側が詳細を明らかにすることを渋るのは「正当性が疑わしい」と彼は言う。

もうひとつの主要な証拠として、中国領マカオの小銀行が北朝鮮の偽造紙幣ロンダリングを支援したという疑惑が持ち上がったが、それもまた疑わしい。米財務省はバンコ・デルタ・アジア銀行をブラックリストに載せ、2007年3月に事実上銀行を閉鎖させることになる決定を下した。

しかし、国際会計監査企業アーネスト・アンド・ヤングがマカオ政府の依頼により実施した監査報告を本紙側が入手したところ、バンコ・デルタ・アジア銀行が関与した偽造紙幣事件はたったの一件だけであった。事件が発生したのは1994年で、偽造紙幣の流通元は北朝鮮ではなかった。銀行側は自ら偽造紙幣を発見し、捜査当局に通報していた。

マカオ政府は同銀行に対する制裁措置を解除したが、米財務省は“諜報”を理由に同銀行を引き続きブラックリストに掲載しながら、この銀行が北朝鮮に2500万ドル送金することを許している。

世界各国の銀行では今でもスーパーノートを押収しているが、ブッシュ政権はもはや公的に北朝鮮を偽造紙幣の件で非難することはせず、北朝鮮政府との核兵器計画交渉では議題に上ることもなくなった、と国務省関係者は語っている。

ブッシュ政権が嫌疑を撤回するのか、あるいは北朝鮮の核兵器計画を止める試みを脱線させないように、確固たる証拠の提示を避けているのかどうかは、疑問が残されたままである。

スーパーノートの流通元についても依然として謎のままだ。産業界の専門家、例えば米財務省印刷局の前局長を務めたトーマス・ファーガソンは、スーパーノートはあまりに精巧なので、米政府の印刷機械にアクセスできる何者かによって製造されたのではないかと言っている。

専門家の中には、イランが紙幣を偽造していると言う者もいる。他にも、ロシアや中国の犯罪組織が関与しているという専門家もいる。

偽造紙幣の件を扱った書籍『Moneymakers: The Secret World of Banknote Printing』の著者であるクラウス・ベンダーによれば、偽造された100ドル紙幣は、「もはやニセ札とはいえない。あれは本物と並行して違法に印刷された紙幣」とのことだ。

「もはや通常の偽札業者の能力を超えている」ベンダーは言う。彼の著作は、北朝鮮のスーパーノート製造はありえないと指摘した最初の文献である。「だいいち、あまりにも念入りで(しかも高額なので)偽造作業のコストに見合わないはずだ。」

ベンダーによれば、スーパーノートはあまりにも高品質で、頻繁に刷新されているので、それを製造できるのはCIAなどの米政府機関しかありえないという。

疑惑は論拠薄弱だが、先例はある。ジャーナリストのティム・ワイナーが著したCIAの歴史にまつわる新著では、CIAがソビエトの経済を弱体化させるためにいかにして偽札を流通させようとしたかについて詳細が書かれている。

高精度の偽造紙幣を限定的に使用することで、諜報機関や捜査機関は、腐敗した社会体制や、テロリストグループ他の不法活動、支払い、資金の流れを把握することもできるという。

「当然ながら我々はそのような主張に対するコメントはしない。いかに馬鹿げた主張であってもね。」CIA広報担当官マーク・マンスフィールドは回答した。
(以上)


さて、これまで北朝鮮のドル紙幣偽造疑惑については、米国では政府発表によって、日本国内ではフィクション小説等によって、「北朝鮮なら偽造してるだろう」という漠然とした印象、あるいはそれが事実であるという認識が持たれていたように思う。しかし、もしも今回のマクラッチー紙による暴露が事実であれば、ブッシュ政権側は北朝鮮の不法行為疑惑について、イラクの大量破壊兵器疑惑と同じように、裏づけ調査をほとんどせず、曖昧な“証拠”を根拠に超高精度偽造ドル紙幣“スーパーノート”の実在を唱えていたことになる。その場合、米国政府の目標は、ドル紙幣偽造疑惑の真偽について白黒つけることではなくて、「北朝鮮がいよいよ危険なことをしている」という悪印象をメディアを通じて広範に伝達させることにあったのだろうか?だとすれば、偽造疑惑を描いた“フィクション”のベストセラー化は、何を意味するのだろうか。

しかし一方で、マクラッチーの今回の報道の信憑性はどうか?今回のスクープが、米国政府の信頼性を損なうために北朝鮮政府によって仕組まれた印象工作だとすれば?・・・もしそうなら、この馬鹿げた騒ぎのために、北朝鮮政府はスイス政府機関を抱き込んで、アメリカ政府の掲げる“証拠”に疑義を唱えさせたことになる。(そういえば、北朝鮮の核施設建設にはスイスの大企業が絡んでいるし、その企業の重役はラムズフェルド国防長官だったという事実がある。)また、北朝鮮非核化交渉のプロセスで、北朝鮮側が対応を遅らせている最中に、米国新聞大手がこうした報道を大々的に行うというタイミングもまた、非常に興味深い。

まあともかく、米政府は北朝鮮がドル紙幣を偽造している疑いがあると言い、マクラッチー紙は偽造疑惑はガセである疑いがあると言い、専門家はそりゃ偽造じゃなくてホンモノだと言う。一方で日本政府の対応は?・・・かねてより福田首相がブッシュ大統領に約束したとおり、日本政府は11日に補給支援特措法を成立させ、インド洋での自衛隊による給油活動再開を決定した。年金問題で国内が騒然としている最中に、えらくあっさり最優先事項に昇ってしまっていたらしい。

結局のところ日本政府は、米国政府の絡む様々な政策について、その中身を一切問わず、どうすれば手放しで支援できるかを24時間365日、年末年始を問わず考えているのだろう。しかしこれではまるで、日本政府は米政府政策の“広告代理店”みたいなものだ。その内容物や表示内容が偽装された米政府発の外交政策を、中身も調べずに商品として大量販売し、消費者たる国民はそれを食べて少しづつ健康を害していく。そしてある日突然、しばしばメーカー側の内部告発によって、消費者はその偽装に気づくのだが、すでに食べてしまったものは返品できないという事実に愕然とすることになるのだ。

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11/30/2006

リトビネンコ事件:主要登場人物をまとめてみる

元ロシア連邦保安庁(FSB)中佐、アレクサンドル・リトビネンコ氏の変死事件はあまりにも衝撃的だったが、その後の事件調査の展開も実に複雑で、情報が錯綜しており、今後の展開も全く予測がつかない。

リトビネンコ氏周辺の人々は、プーチン露大統領を暗殺犯として批判しているが、死に至る過程がこれほど派手に報道された事件を指して暗殺というには少々違和感があると言わざるをえない。それに比べると、今年10月7日に自宅前で射殺体として発見されたロシア女性ジャーナリスト・ポリトコフスカヤさんの事件はまさしく『暗殺』だった。この二つの事件を同列に並べようとするPR企業側の努力と、それに素直に従うメディア報道の単調さには目を見張るものがあるが、二つの事件の背後にある犯行動機はかなり性質が異なるように思われるし、手法も全く異なり、事件の影響力もまるで違っている。(今回の事件では、ロシアの資源マフィア筋が“商品”を使って仇敵に復讐したようにも見える。)

二つの殺人事件の大きな共通点は、どちらもプーチン大統領にとって大変気まずいタイミングで発生したということだ。女性ジャーナリストの射殺体が発見されて2日後、プーチンはEU指導者との非公式ミーティングに出席しなければならなかった。そして今度は、フィンランド首都ヘルシンキで開催されたEU指導者会議に出席している最中に、リトビネンコ氏の死が世界中で報道されている。冷酷非道な独裁者プーチンにとって、政敵を暗殺するなど朝飯前だろうが、合衆国の天然残虐二世大統領と違って、秘密工作だらけのKGBを駆け上ってきたプーチンには頭脳があるはずだ。FSB要員の亡命と反抗を本当に恐れているなら、黙って亡命者達の資金源を絶つのがより合理的且つ効果的ではないか。

今やロンドンは放射性物質への恐怖で大騒ぎになっている。航空機もホテルもお店も街角でも毒物捜索の最中である。爆弾テロ事件以来、スコットランドヤード側の捜査体制も強化されているので、実行犯の特定は可能だろう。さらに世界中の大手メディアが、プーチンの出身組織がいかに冷酷無比な殺人集団であったかをわかりやすく特集してくれている。このもようを連日テレビで観ながら、果たしてあの陰気なプーチンが手を叩いて喜んでいるだろうか?

・・・とりあえず、現在までの報道を元に、以下に主要な登場人物についてまとめてみた。どの人物も、実に興味深い経歴の持ち主ばかりだが、米軍侵攻後のイラクで活躍したPR企業が、今回の事件でも活躍している件はもっと注目されてもいいだろう。他にもSISMI、ユコス石油、ブッシュ家等、見慣れた名称があちこちに見え隠れするが、これらはもちろん偶然の産物である。

ところで、今回の事件に使われたとされるポロニウム210は、製造・入手きわめて困難と当初報道されていたが、サンフランシスコ・クロニクル紙の報道によれば、ネット通販で誰でも購入可能ということだ。極めて少量のポロニウム210なら、ケース付きで1個69ドル、宅配便で配達OK!詳しくはユナイテッド・ニュークリア・サイエンティック・サプライ社へどうぞ。


アレクサンドラ・リトビネンコ
ロシア人の元情報将校。イギリスに亡命中。プーチン政権批判で知られる人物。11月1日、ピカデリーのスシ・バーでイタリア人マリオ・スカラメラ氏と会食し、その後ロンドンのミレニアム・メイフェア・ホテル内バーで知人と茶を飲み雑談をして、その他各所に立ち寄った後で帰宅。夜になると体調不良を訴え、後に入院、「毒を盛られた」と話した。入院後に髪が抜け落ちやせ衰えるなど症状は悪化していき、2006年11月23日午後9時21分にロンドン中央部のロンドン大学付属病院緊急治療室で死亡した。(享年43歳)
経歴:1988年にKGB防諜部に入隊し、後にFSB(ロシア連邦保安局)部長に昇進。1991年頃から組織犯罪対策とテロ対策に専任し、1997年にはFSBの極秘班である組織犯罪対策班に移動。1998年、FSB上司をロシア富豪ベレゾフスキー氏暗殺を企てたと公的に告発し、職権濫用罪で9ヶ月間収監される。釈放後の2000年にイギリスに亡命し英国市民権を得て、家族と共にロンドンに在住していた。2003年に初の著作「Blowing Up Russia」を出版。
英タイムズ紙11月26日報道:「ロシア保安界の専門家、アンドレイ・サルダトフ氏の証言:“リトビネンコは通常のFSB要員ではなかった。彼は組織犯罪対策班に所属した。これは特殊な班で、しばしば犯罪組織とのつながりを批判されている。”」英BBC11月24日報道:「諜報専門家グレンモア・ハーベイ氏は友人リトビネンコ氏についてこう語る-“彼は内部調査班を率いて、ロシア諜報組織内の汚職を捜査していた。その頃から多くの敵を作った”」
死亡前のリトビネンコ氏の暴露した情報には、「アルカイダ副官アイマン・アル・ザワヒリは911テロの1年前にダゲスタンでFSBの訓練を受けていた」「プーチン首相は小児性愛者」という怪情報があり、リトビネンコ氏自身は亡命後にイスラム教徒に改宗したとの情報もある。いずれも真偽のほどは不明。
イスラエル・ハーレツ紙11月25日報道によると、リトビネンコ氏は数ヶ月前にイスラエルに行き、ユコス石油元CEOのレオニード・ネフツリン氏にロシア政府の機密ファイルを手渡したという。ファイルの中身はユコス石油に関するプーチン政権の策謀を示す内容で、すでにスコットランドヤードの手中にあるとのこと。
マリオ・スカラメラ
イタリア人の防衛コンサルタントで、学者。核物質の流通に詳しく、イタリア下院で冷戦時代のKGB工作活動を調査する議会特別調査委員会(ミトロキン委員会)の相談役を務める。リトビネンコ氏とは、ロシアの核物質密輸ネットワークの調査で協力関係にあった。11月1日、ロンドン・ピカデリーのスシ・バー「Itsu」でリトビネンコ氏と会食をした際に、同僚からの警告メールを見せながら、リトビネンコ氏と共に暗殺される危険について話した。スコットランド新聞Scotsman.com11月20日報道:「イタリア国内報道によれば、スカラメラ氏はイタリア情報・軍事保安庁(SISMI)要員で、CIAとコロンビア諜報局のために活動したこともあるという。」)
アンドレイ(セルゲイ)ルゴボイ
元FSB要員で、現在ロシア国内で保安企業を経営している。リトビネンコ氏とはFSB時代に同僚だったが当時は互いを知らず、1996年にボリス・ベレゾフスキー氏の所有するテレビ局ORT社の警備責任者を務めた際に知り合ったという。(ボリス・ベレゾフスキー氏はリトビネンコ氏の雇い主でもある。)英テレグラフ紙11月25日報道によれば、「ルゴボイ氏が暗殺犯であるという中傷の大部分はベレゾフスキー氏の周辺から派生している」
ドミトリ・コフチュン(Dmitry Kovtun)
アンドレイ・ルゴボイ氏のビジネス・パートナー。11月1日、ロンドンのミレニアム・メイフェア・ホテルでルゴボイ氏と共にリトビネンコ氏とお茶を飲んだロシア人。経歴不明。
アレクサンダー・ゴールドファーブ(Alexander Goldfarb)
ベレゾフスキー氏の設立した団体の責任者を務めるロシア移民。リトビネンコ氏がロシアで収監された頃に知り合い、リトビネンコ氏をトルコ経由でイギリスに亡命させた人物。リトビネンコ氏入院から死亡後の現在まで、リトビネンコ事件の広報担当窓口を務めている。
ボリス・ベレゾフスキー(Boris Berezovsky)
応用数学博士。ソ連崩壊後、急速に民営化が進んだ90年代ロシアで最初の大富豪にのしあがった人物で、プーチン政権以前にはロシア政界黒幕と言われた人物。最近では、プーチン政権転覆を企てたと告白している。
朝日新聞11月26日報道:「ベレゾフスキー氏はエリツィン前大統領時代に安全保障会議副書記などを務め、政権に強い影響力を持った。だが、プーチン政権下では、国有資産の横領容疑などで訴追を受ける一方、大統領を強権的と批判。03年に英国に政治亡命した。リトビネンコ氏とベレゾフスキー氏は、多数の死者を出した99年のモスクワでのアパート爆破事件を「ロシア連邦保安局の仕業」とそろって主張するなど、密接な関係にあった。」
ベレゾフスキー氏は、合衆国大統領の弟ニール・ブッシュの経営する教材企業イグナイト社に出資者として参加しており、ブッシュ家とは知己があるといわれている。
ティモシー・ベル(ベル卿Lord Bell)
英PR業界最大の大物で、サッチャー政権誕生を支えた広報専門家。英国政界究極のスピン・ドクターと呼ばれる人物。今回の事件で、リトビネンコ氏遺族・ゴールドファーブ氏・ベレゾフスキー氏側のPR戦略を担当しているベル・ポッティンジャー・コミュニケーションズ社(Bell Pottinger Communications)の会長を務めている。リトビネンコ氏の入院後の映像はこのPR企業が配信している。他にも、米軍のイラク侵攻後、イラク民主化キャンペーンを4ヶ月580万ドルで受注し、フセイン体制崩壊後初のイラク国民選挙キャンペーンを担当している
ジョン・ヘンリー博士(John Henry)
容態悪化後のリトビネンコ氏の中毒症状について最初の診断を下した毒物専門家。2004年ウクライナ大統領選挙で、親ロシアのライバル陣営に毒を盛られたと主張するユシチェンコ氏の症状をダイオキシン中毒と診断した件で世界的に知られている。
(補足)ウクライナ大統領選ではユシチェンコ支持派国民によるオレンジ革命が話題になったが、このキャンペーンの背後には米国務省の支援があったといわれる。2004年12月26日にユシチェンコの大統領就任が確実となった次の日、ユシチェンコ陣営の選挙資金担当者が自宅で死体となって発見された。2005年には、当時のCIA長官ポーター・ゴスがユシチェンコ大統領と非公式に面会している
アナトリー・キーロフ(Anatoly V Kirov)
ロンドン駐在のロシア大使館員。死亡直前のリトビネンコ氏が、「私を狙うロシア諜報要員」と名指しで批判した人物。公式には2005年10月末にキーロフ氏はロシアに帰国しているが、リトビネンコ氏は容態悪化直前にもキーロフ氏に監視されていると語っていた。(豪サンデータイムズ紙11月27日報道
パオロ・グッザンティ(Paolo GUZZANTI)
フォルツァ・イタリア党(党首はベルルスコーニ前首相)所属のイタリア国会議員。冷戦時代のKGB工作活動を調査する議会特別調査委員会(ミトロキン委員会)委員長を務めており、委員会にはコンサルタントとしてマリオ・スカラメラも所属している。死亡したリトビネンコ氏には調査協力を依頼した関係で知り合い。
英タイムズ紙11月27日報道:「グッザンティ氏によれば、リトビネンコ氏はFSB時代の上司アンドレイ・トロフィモフ将軍から、“イタリア首相ロマノ・プロディはロシア諜報部員だからイタリアに行くなと警告された”と語ったという。しかし、死後に公開された伊リパブリカ紙のインタビューで、リトビネンコ氏は“プロディ氏の名前など話題にしたことはない”と語っている。」

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11/21/2006

英ガーディアン:『CIAはロバート・ケネディを暗殺したのか?』

昨夜、英BBC放送ニューズナイトで、映像ドキュメンタリー作家シェイン・オサリバン氏の取り組んでいるロバート・ケネディ暗殺事件調査レポートが放送された。同レポートでは、事件現場に3人のCIA工作員が居合わせた疑惑を調査し、暗殺の背後にCIAが関与した可能性を示唆している。作品のプロモーションであるとしても大変興味深いので、英ガーディアン紙にオサリバン氏が書いたコラム以下に全文翻訳して掲載する。(ちなみに、最新のケネディ暗殺研究本『Ultimate Sacrifice: John and Robert Kennedy, the Eplan for a Coup in Cuba, and the Murder of JFK』では、ューバに利権のあるマフィア各組織が、カストロ体制転覆を本気で計画していたケネディ兄弟を懸念し、暗殺を主導したという説が展開されている。詳細は同書の公式サイト上で説明されている。)

CIAはロバート・ケネディを暗殺したのか?(Did the CIA kill Bobby Kennedy?)

1968年、実兄ジョンと同じように、ロバート・ケネディはホワイトハウス入りするかに見えた。しかし6月6日、彼は暗殺された-1人の銃撃犯によって。しかし、シェイン・オサリバンは、暗殺に3人のCIA工作員が関与したことを示す証拠を掴んだと言う。

by シェーン・オサリバン:英ガーディアン紙2006年11月20日寄稿

一見すると、事件は即時解決したかに思われた。1968年6月5日、ロバート・ケネディはカリフォルニア州民主党予備選挙で勝利し、ホワイトハウスの座を巡り現職リチャード・ニクソンと対決するはずだった。深夜過ぎに、ロサンゼルスのアンバサダーホテルで勝利演説を終えて、混雑する食堂で厨房スタッフと握手を交わしていると、“病的な、極悪な笑み”を浮かべて食器棚から降りてきた24歳のパレスティナ人シーハン・シーハンが、8連発リボルバーでケネディを銃撃した。

ケネディが食堂床に倒れ死亡すると、シーハンは単独犯として現行犯逮捕された。彼はシャツのポケットに殺害動機を示す物品を所持しており(ケネディによるイスラエルへの武器輸出計画を伝える新聞切り抜き)、自宅には有罪の証拠となるノートを隠していた。しかし、司法解剖報告書には、シーハンの銃撃がケネディを殺したのではない事実が示唆されていた。目撃者達は、シーハンがケネディの正面から数フィート離れた場所に凶器の銃を発見したと証言したが、致命傷となった銃弾は背後から至近距離で発射されていた。さらに、食堂からは他にもシーハンの銃から発射できる以上の弾痕が発見され、第二の銃撃犯の存在が考えられた。シーハンのノートには奇妙な言葉が無機質に繰り返し綴られていた-『RFKは死ぬべきだRFKは殺されるべきだ-ロバート・F・ケネディは68年6月5日までに暗殺されなければならない』-さらに、催眠状態での尋問では、シーハンはケネディ暗殺を記憶していなかった。彼が思い出したのは「コーヒーを求める女の子に導かれ、暗い場所へ連れて行かれ」その後マフィアの男に首を絞められたという。国防精神科医達の結論によれば、シーハンは銃撃時にトランス状態にあり、催眠によって暗殺を指示されたのではと示唆された。

3年前、私はロバート・ケネディ暗殺に関する映画の脚本を書き始め、第二の銃撃犯説と「Manchurian Candidate」(洗脳による暗殺を扱った映画)の物語に夢中になった。事件を調査しているうちに、三人のCIA工作員が暗殺に関わっていることを示す新たな映像と写真を発見した。シーハンの単独犯行という公式の結論は信用していなかったので、「暗殺調査」という地下世界を調査し始めると、恐るべきヤキナ族インディアン、デビッド・サンチェス・モラレスに行き当たった。

モラレスはCIA工作界の伝説的人物だった。彼をよく知るトム・クラインズによれば、南米でモラレスを歩いているところを見たら、クーデターが発生しつつあると思え、とのことだ。1973年の深夜、友人と議論の最中にケネディが話題になると、モラレスは饒舌になり、こう口走った:「俺たちがあのクソッタレを仕留めた時、俺はダラスに居て、あの馬鹿を仕留めた時にはロサンゼルスに居たんだ。」この言葉により、60年代の暗黒世界とケネディの死を巡る旅へと私は導かれることになった。

1959年当時のモラレスの写真を調べながら、エル・ゴルド(肥った奴)と呼ばれるキューバ人が暗殺報道フィルムに映っているかどうか確認した。15分ほど経過したところで、ケネディの演説が終わって銃撃が始まる間の一瞬、会場の後ろに立っている彼を見つけた。30分ほど経過した部分で、もう一度彼は映し出された。暗い会場に浮かぶ彼の横で仲間とおぼしき鉛筆髭の男がメモをとっている。

モラレスに関する初期調査の情報源は、1963年当時CIAのマイアミ拠点であったJM-Waveに所属した元陸軍大尉ブラッドレイ・エイルズで、彼は工作責任者のモラレスと一緒に、カストロ体制に対する破壊活動のためにキューバ人亡命者達を訓練していた。ウィスコンシンの片田舎にエイルズが居ることを知り、モラレスともう1人の怪しい人物の写真をメールで送った。銃撃直後に食堂から演説会場に入り、小さなコンテナを掴んで、ラテン系の仲間に案内され出口へ向かう男だ。

エイルズは即座に反応した。彼は、1人がモラレスで、もう1人はゴードン・キャンベルであると95%確信があると言った。キャンベルはモラレス同様1963年当時にJM-Waveに勤務しており、JFK暗殺直前にエイルズ配下で工作員として働いた人物だ。

私は脚本の仕事を放り出して米国に飛び、展開しつつある物語のドキュメンタリー撮影のため証人達へのインタビューを行った。エイルズ本人に会うと、モラレスとキャンベルについて確認し、デビッド・ラバーンを紹介してくれた。彼はフリーの工作員で、1961年当時ピッグス湾侵攻部隊に関わっており、RFK暗殺時のアンバサダーホテルに居た人物だ。ラバーンはモラレスとキャンベルの知り合いではなかったが、銃撃当時にホテルのロビーで話す二人の姿を見ており、ケネディ陣営の護衛だと思ったという。また、ロバート・ケネディが暗殺される以前、キャンベルを警察署傍で何度も目撃したとも話した。

これは妙だ。CIAは国内を管轄としておらず、モラレスは1968年当時ラオスで勤務していた。当時は大統領候補にシークレットサービスの警護はなく、ケネディの護衛は武器を持たないオリンピック10種競技チャンピオンのラファー・ジョンソンとフットボール選手のローゼイ・グリエだった。とても暗殺専門集団にはとても見えない。

警察捜査のマイクロフィルムを探っていると、キャンベルの別の写真と、銃撃直前にアンバサダーホテルの演台に立つ第三の人物の写真を見つけた。一見するとギリシャ人で、ジョージ・ヨアニデスかもしれないと思った。ヨアニデスはJM-Waveで心理作戦を指揮した人物で、引退後の1978年に突然呼び出されて、ジョン・F・ケネディ暗殺事件の再調査を行った下院特別調査委員会でCIA連絡係を務めていた。

コーネル大学で弁護士を務めるエド・ロペスは、かつて法学研究生として下院特別調査委員会でヨアニデスと面識があった人物である。我々は彼を訪ねると、写真の人物がヨアニデスであると99%確信があるという。写真の出自を教えると、彼は驚くこともなく言った。「連中がやると決めたら、やるだろうね」

我々はウェイン・スミスに会うためにワシントンに行った。スミスは国務省職員として25年勤務し、1959年から60年にかけて駐ハバナ米大使館でモラレスと知己のあった人物だ。演説会場の映像を見せると、彼は即座に反応した。「これは彼だよ。モラレスだ」スミスは1975年当時ブエノス・アイレスで開催されたカクテル・パーティの場にいたモラレスを思い出し、ケネディの死は起こるべくして起こったと言った。モラレスがそこに居た合理的な理由は?ケネディの護衛のため?スミスは笑った。モラレスはケネディの護衛にしたくない最悪の人物だと彼は言った。モラレスはケネディ兄弟を嫌悪しており、1961年のピッグス湾侵攻時に空軍の支援をしなかった件でケネディ兄弟を非難していた。

CIA本部に近いホテルの一室でクラインズと会見した。彼はカメラ前で話したがらず友人の同席も認めず、少し苛立っていた。クラインズは“デイブ”(デビッド・モラレス)を憶えていた。ビデオに映った男はモラレスに似ているが、彼ではないという。「この男は肥りすぎだし、モラレスはもっと前かがみで歩き、ネクタイは緩めている」私には、映像の人物は前かがみで歩いているし、タイも緩めているように見える。

クラインズによれば、ヨアニデスもキャンベルも知っているが、映像に映っているのは別人だという。しかしエイルズがJM-Waveに蛇を持ってきて秘書たちを怖がらせた件を懐かしみ、スミスがモラレスを確認した件については動揺しているようだった。彼は我々の調査を阻止しようとはせず、他に助力となる人物を示唆した。或る事情通のジャーナリストは、クラインズは「誤魔化し」をしていて、正直に意見を言っているとは思えないと警告した。

ロサンゼルスを離れる時、移民局職員にケネディ暗殺の話を書いていると説明した。彼女は、ロバート・ケネディ暗殺を扱ったエミリオ・エステベスの新作映画の予告を見ていた。「誰が殺したと思う?私はマフィアだと思うわ」私が答える前に彼女は言った。

「1人の人間の仕業にはとても思えないね」私は控えめに答えた。

1978年、下院特別調査委員会で証言する直前に、モラレスは心臓発作で死亡した。ヨアニデスは1990年に死亡した。80歳前半のキャンベルは今も何処かで生きているかもしれない。これら3人の人物について得られた証言を考えると、CIAとロサンゼルス警察は彼らの当日の行動について説明する必要に迫られるだろう。ロペスは、CIAは3人を知る人物全員に事実を確認し、3人がCIAの作戦任務中であったかどうか明らかにすべきで、もし任務外なら、なぜその夜彼らが現場に居たのか明らかにすべきだと信じているという。

本日(11月20日)はロバート・ケネディの81回目の誕生日になるはずだった日だ。世界は彼のような思いやりある指導者を求めている。彼の暗殺の背後に闇の組織があったのなら、調査すべきだ。
(以上)

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03/12/2006

ハーグの不気味な連続死

2006年2月28日、オランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷で、被告・ミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領の弁護士は、クリントン元米大統領を証人として出廷させるよう要求し、こう言った:

「元アメリカ合衆国大統領という立場のクリントン氏は、ミロシェビッチ氏の拘束に関わる一連の出来事に関してユニークな知識をお持ちのはずだ。」
弁護士らの話によれば、ミロシェビッチ氏はクリントン元米大統領に証人として出廷を求める手紙を送ったが、クリントン氏から返事は来ていないとのことだった。ハーグの米国大使館からミロシェビッチ氏側には、合衆国元大統領の出廷を拒否するとの回答が2005年末に伝えられていた

さらにミロシェビッチ氏側は、コソボ爆撃を実行した元NATO司令官ウェズリー・クラーク氏、ブレア英首相、シュレイダー元独首相の証人出廷を請求していた。裁判官は被告側の要求を全て拒否した。

そして3月、戦犯法廷は思わぬ方向に急転回した。

2006年3月5日---合衆国大統領に対する証人出廷請求の話題が公的に報じられてから6日後---ミロシェビッチ氏の元同僚で、旧ユーゴ国際戦犯法廷での追加証言を控えていたミラン・バビッチが、ハーグ刑務所内で死体となって発見された。ミラン・バビッチは2004年に13年の刑を言い渡され、すでに服役中であった。オランダ政府当局者は自殺と報告しているが、自殺の方法等詳細は不明のままである。

そして、3月11日---ミラン・バビッチの“自殺”から6日後、今度はミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領が獄中で死亡した。死の前日、ミロシェビッチ氏は「刑務所内で毒を盛られている」と言い、ロシアでの治療を希望していたという。ミロシェビッチ氏側弁護士はロシア国内での検死を要求しているが、裁判所側は弁護士の要求を拒否し、検死はオランダ国内で行うとしている。

旧ユーゴ国際戦犯法廷は、ミロシェビッチ氏の死により終了となるでしょう・・・戦犯法廷広報担当のアレクサンドラ・ミレノフは言った

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12/19/2004

CIAとコカイン密売の関係を暴露したジャーナリストが「自殺」

「いいか、ジョージ。私は捕虜達を捜し続けるが、米国政府が世界中に麻薬を流通させて、違法な武器取引をしているという件をなんとしても暴いてやるぞ。私が捕虜達を助けられないとしたら、わが国の工作員達が堕落しているおかげだ」

("Well George, I go in looking for prisoners, but I spend my time discovering the government has been moving drugs around the world ands is involved in illegal arms deals. I can't get at our prisoners because of the corruption of our own covert people.")

----1987年、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュが、テキサスの大富豪ロス・ペロー氏に、ベトナム戦争捕虜の調査の進行具合を尋ねた際、ロス・ペロー氏が怒って父ブッシュに言い放った言葉(ペロー氏は私費を投じてベトナム戦争捕虜の救出活動をした異色の大統領候補)


2004年12月10日、ジャーナリストのゲイリー・ウェッブ氏が、カリフォルニア州サクラメント郡の自宅で、頭を銃で撃ちぬかれた死体として発見された。サクラメント警察検視官はウェッブ氏の死亡について、拳銃自殺であると断定している。

事件を最初に警察に通報した引越し業者の証言では、ウェッブ氏の自宅玄関ドアには「どうか中に入らないでください。911へ連絡して救急車を呼んでください」と書かれたメモが貼り付けられていたという

ゲイリー・ウェッブ氏(享年49)をジャーナリストとして最も有名にしたのは、『80年代の米国で、ニカラグアの反政府組織コントラが資金調達のため米国内のドラッグ密売ルートを開拓し、CIAはそうしたコントラの犯罪活動(コカイン密売)を極秘裏に支援していた結果、コカインが米国で大流行することになった』という一連の調査報道であった。この衝撃的なレポートは1996年にサンノゼ・マーキュリーニュース紙上で連載され、米国内は騒然となった。

しかし、NYタイムズ、LAタイムズ、ワシントンポスト他アメリカの大手メディアはウェッブ氏の調査報道を「信頼性に欠ける」として一斉攻撃し、米政府もCIAに対する疑惑を否定した。ついには記事を掲載したサンノゼ・マーキュリーニュース紙自らウェッブ氏の報道の信頼性を否定し、ウェッブ氏を追い出しにかかった。

政府・同業者・同僚からの攻撃に逃げ場を失ったゲイリー・ウェッブ氏は調査を中止してサンノゼ紙を辞職、その後主要メディア上での活躍の場を失った。(後にウェッブ氏は一連の調査を書籍「Dark Alliance: The CIA, the Contras and the Crack Cocaine Explosion(影の同盟:CIA、コントラとクラック・コカイン大流行)にまとめあげた。)

ところが、1998年3月に行われた下院情報調査委員会で、CIA監査官フレッド・P・ヒッツ氏は、米国内でドラッグ密売に関わっているコントラメンバーとCIA工作員の関係を証言し、議員達は仰天することになる。さらに委員会で問題となったのは、1982年から1995年の間、CIAと司法省の間で、「お互いの不正を調査しない」密約が交わされていたという事実であった。FBI、CIA他政府機関は、コントラによるアメリカ国内ドラッグ密売ビジネスを黙認していたわけである。(密約の背景には、1981年の大統領令第12333(レーガン大統領発布):ニカラグア・サンディニエスタ政権転覆を目的としたCIA工作活動の承認があった)

つまり、ゲイリー・ウェッブ氏の調査報道は真相に迫っていたのである

80年代、レーガン政権は「ドラッグとの戦争」を宣言し、ドラッグ密売ルート撲滅運動を推進していた。しかし実際には、アメリカ国内の薬物汚染拡大の一端を、米国政府自身が担っていたというわけだ。そのレーガン政権のドラッグ撲滅運動の責任者を務めたのは、当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュであった。

レーガンの選挙キャンペーン責任者として、イラン・コントラ事件の発端となる「オクトーバー・サプライズ」を仕掛けた元CIA長官であるブッシュ父は、CIA・コントラ組織のドラッグ密売ルートを承知していた事実も判明している。ブッシュ父が率いた「麻薬対策チーム」は、極端な表現をすれば、政府に承認されていない(ライバルの)ドラッグ密売ルートを撲滅することで、CIA-コントラのコカイン販売網を拡大していたことになる。

米政府の暗部を見事に暴いたゲイリー・ウェッブ氏は、図らずもブッシュ家の芝生を踏んでいたのだ。

サクラメント検視局のロバート・ライアン氏の発表によ