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03/12/2008

イラク戦争:数字で見る最新情勢

ワシントンのシンクタンク『政策研究所』の外交問題ウェブサイトForeign Policy In Focusが、イラク戦争のコストを追跡報告するレポート『イラクの泥沼(The Iraq Quagmire)』を公開している。今回はこのレポートを雛形に、イラクの最新情勢を示す数字を以下に列挙してみた。


人的損失

So Wrong for So Long: How the Press, The Pundits--and the President--Failed in Iraq

米新聞業界紙Editor and Publisher社の編集人グレッグ・ミッチェル氏のメディア批評本『So Wrong for So Long: How the Press, The Pundits--and the President--Failed in Iraq』ブルース・スプリングスティーンが序文を書いている話題の書籍。

3,9734,000人:
イラクで戦死した米軍兵士の人数(2008年3月23日時点で4,000人超
2万9,203人:
イラク軍事侵攻開始から現在までに戦闘で負傷した米軍兵士の人数
3万1,325人:
戦闘以外の負傷、もしくは病気扱いになったイラク駐留米軍兵士の人数
7万人:
イラク・アフガニスタンの戦闘で聴覚障害を負った米軍兵士の人数
33万人:
2009年度に治療が必要となるイラク・アフガニスタン退役米軍傷病兵の人数(米退役軍人局の見積)
283人:
2001年のアフガニスタン侵攻から2005年末の間、アフガニスタンもしくはイラクに派遣された後に自殺した米軍兵士の人数。283人のうち144人が、戦地から帰還し軍を正式除隊した後に自殺している。
7,924人:
殺害されたイラク治安部隊兵士の人数
最低8万1,632人、最大112万人:
開戦以来今日までのイラク市民の推定犠牲者数
340万人:
イラク国内の難民数
220万人-240万人:
イラク国外に脱出した難民数
5,742人:
2008年1月24日までに米国が受け入れたイラク人難民数
15万5,000人:
イラクに駐留する米軍兵士の人数
2万5,595人(2004年11月)、1万8,000人(2006年)、9,895人(2008年):
『有志連合軍』の兵士数の変遷
74%:
イラクに駐留する米陸軍兵士のうち、2回以上の派遣を経験した者の割合
18万人:
イラクで活動する民間軍事請負企業従業員の人数
1人:
イラクで活動する民間軍事請負企業従業員のうち、暴力事件もしくは虐待事件で米国政府により訴追された人数
917人:
イラクで殺害された民間軍事請負企業従業員の人数

戦争費用

Three Trillion Dollar War

経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ教授と、元米商務省主席財務官でハーバード大学ケネディ・スクール教授のリンダ・J・ブリムスによる最新共著『Three Trillion Dollar War: The True Cost of the Iraq Conflict



5,260億ドル(約53兆8,297億円):
イラク戦争費用のうち、すでに支出した金額
2億7,500万ドル(約280億8,951万円):
1日あたりのイラク駐留費用
160億ドル(約1兆6,530億円):
1ヶ月あたりのイラク・アフガニスタン駐留費用
4,100ドル(約41万8,915円):
アメリカ国民1世帯あたりのイラク戦争負担金額
3兆ドル(約306兆5,240億円):
イラク戦争の長期的費用見積額(経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ教授による)

イラク国民の苦境

  • 現在、イラク国内の失業率は25-40%。(大恐慌時の米国失業率は25%)
  • イラク国民の70%は水道水が利用できない暮らしをしている。
  • イラク国民の80%が公衆衛生サービスのない環境で暮らしている。
  • イラク国内にある180の病院のうち、90%が基礎治療・外科治療設備を欠いている。
  • イラク国民の79%が有志連合軍の駐留に反対している。
  • イラク国民の78%が、総合的にみて事態が今後も悪化すると考えている。
  • 現在、アメリカ国民の63%が、イラク戦争に戦う価値はなかったと考えている。

(以上source: Erik Leaver and Jenny Shin, "The Iraq Quagmire: The Mounting Costs of the Iraq War," (Washington, DC: Foreign Policy In Focus, March 4, 2008)AP通信3月8日付報道"True Cost of War -- Staggering Number of Wounded Vets"AP通信3月8日付報道"Hidden Toll in Iraq -- 70,000 U.S. Soldiers Suffering from Hearing Damage"Angus Reid Global Monitor:Polls & ResearchThe Center for American Progress:"The Iraqi Refugee Crisis by the Numbers"

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12/06/2007

87歳の気骨:ヘレン・トーマスの怒り

ヘレン・トーマスは怒っている。かつてないほどに。

Helen Thomas

ホワイトハウス報道の最長老記者ヘレン・トーマス


Watchdog

ヘレン・トーマス最新著作『Watchdogs of Democracy?: The Waning Washington Press Corps and How It Has Failed the Public

レバノン系アメリカ人のヘレン・トーマス女史は、ケネディ政権時代から現在まで、ずっとホワイトハウス番記者を続けている87歳の名物ジャーナリストだ。ホワイトハウス定例記者会見では、いつも最前列に座って、大統領報道官がもっとも答えたくない類の質問をする。

2007年11月30日のホワイトハウス定例記者会見では、デイナ・ペリノ大統領報道官を相手に、いつもどおりの辛辣な言葉を浴びせた。二人のやりとりを以下に抜粋して翻訳する:

ヘレン・トーマス:
「大統領は任期中に兵を撤退させるつもりはないんでしょうか?私の言ってるのは完全撤退のことですが」
デイナ・ペリノ報道官:
「ええと、5,700人が年内に帰還する予定ですから、兵の一部は撤退するわけです。大統領の意見は、兵員規模は戦地にいる司令官たちの判断次第なので、我々は司令官らと・・・成功裡に帰還できるように話し合います。」
ヘレン:
「なぜそんなことに?米国民が口を出す権利はないと?」
報道官:
「国民の意見はすでに反映されていますよ。国民は最高司令官として現大統領を選出したので、大統領は戦地の司令官の意見に従い決定を下すのです。」
ヘレン:
「アメリカ国民がそれに投票したとでも?」
報道官:
「国民は最高司令官として大統領を選出し、その大統領は戦地にいる司令官の提言に従い、5,700人の兵士を帰還させるのです。将来的にもっと帰還できることを望みますが、それはペトレイアス将軍の報告次第で、将軍の帰国は来年3月ですから。」
ヘレン:
「なぜ将軍次第なの?」
報道官:
「だから、彼が地上部隊の司令官だからですよ、ヘレン。戦況の変化を確認するのが彼の・・・」
ヘレン:
「じゃ、私達はあとどれくらいの人間を殺すつもりなの?」
報道官:
「・・・ヘレン、あなたが記者会見室の最前列に座ることができるのは同僚達の好意のおかげなのに、そのような主張をするとは実に嘆かわしいことですね。この記者会見室に入れることは名誉ある特権であり・・・我々アメリカ合衆国が、罪なき一般人を殺しているなどと示唆するのは、馬鹿げているうえに、非常に無作法ですよ。」
ヘレン:
「イラク戦争が始まってから現在までに、我が国が(一般市民を)何人殺したかわかってるの?」
報道官:
「何人かって?・・・ヘレン、我々は敵を追っているんですよ。無実のイラク国民が殺される事態に限っては、我が国はずっと遺憾の意を表してます。」
ヘレン:
「遺憾って?!そんなことしても命は戻ってきませんよ!」
報道官:
「ヘレン、我々は紛争地帯にいるんです。それでも、わが軍は、誰もが自由と解放、民主主義の機会を確実に得られるように、きわめて困難な任務を遂行しているんです。」
(以下略)

二人の険悪なやりとりは、以下のビデオでご確認いただきたい。ペリノ報道官の暗い視線も味わい深い。

辛辣な質問をするにあたって、ヘレン・トーマスは相手を選ばない。2006年3月21日、脚本ナシの質問を人一倍嫌うジョージ・W・ブッシュが特別記者会見の演壇に立ったとき、この最長老ホワイトハウス番記者は戦時大統領に言った

ヘレン・トーマス:
「私から質問させてください、大統領殿。あなたの決断したイラク侵攻は、多くのアメリカ国民及びイラク国民に死をもたらし、多くの者に生涯癒えぬ負傷を負わせました。開戦前の全ての大義、少なくとも公的に表明された大義は、結局のところ真実ではありませんでした。私の質問ですが、なぜあなたはそんなにも戦争をしたいと思ったのですか?ホワイトハウスに入ったその瞬間から、あなたの政権、あなたの政権の閣僚たち、諜報部門、それ以降・・・本当の理由は何ですか?あなたは石油が理由ではないと言いますが、石油獲得のためではなく、イスラエルのためでもないと・・・では、一体何が理由なのですか?」

2002年、マサチューセッツ工科大で講演を行った際に、若手ジャーナリストへのアドバイスとして、ヘレンはこう言っている:

「政治家を相手にインタビューするなら、彼らが公務員で、あなたが彼らの給料を払ってることを思い出させてやりなさい。常に道理に適った質問をしなさい。そして、諦めないで。必ず内部告発がありますから。国を救おうと努力する人は常に存在するんです。」

定例記者会見でヘレンと毎日対決していた相手の1人、スコット・マクレランもこの言葉には苦笑するに違いない。

それにしても・・・アメリカにはヘレン・トーマスがいる。アイルランドにはキャロル・コールマンがいる。ところが日本では・・・マスコミ業界の秘密結社、『記者クラブ』のおかげで、国民が憂鬱な真実を知って気を病むことがないように、あらかじめ業界側が報道を選別してくれているらしい。

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11/26/2007

マクレラン元大統領報道官が回顧録でブッシュ政権を批判

スコット・マクレラン大統領報道官

「私がここから逃げ出したくなったことがあるかって?そんなこと毎日考えてるさ!(笑)」

2004年3月9日、ホワイトハウス定例記者会見で演台に立ったスコット・マクレラン大統領報道官が思わず漏らした言葉。

前任者のアリ・フライシャーが強圧的な態度で不評だったのに対し、人当たりがソフトなスコット・マクレランは“テディベア”と呼ばれ、また苦しい嘘で記者の質問をはぐらかし窮地に追い込まれる毎日から“シンプル・スコティ”とあだ名が付いた。彼はテキサス州知事時代からブッシュを支えた側近中の側近の1人でもある。

母親のキャロル・キートン・ステイホーンは女性初のオースティン市長に選出された地元の名士で、2006年テキサス州知事選挙で保守系独立候補者として立候補した。その際、ホワイトハウスを去ったばかりのスコット・マクレランが選挙マネージャーを務めたが、ブッシュ大統領は共和党公認の現職リック・ペリーを推薦し、マクレランの母親は落選した。ちなみにスコット・マクレランの父親は、ベストセラー書籍『ケネディを殺した副大統領―その血と金と権力』の著者、バー・マクレラン氏。

ブッシュのホワイトハウスに勤務し、マスコミに嘘をつくことを日常業務としていた大統領報道官が回顧録を執筆した。書いたのは嘘?それとも真実?

ブッシュ政権で2003年7月から2006年4月まで大統領報道官を務めたスコット・マクレラン氏が、現在執筆中の回顧録の中で、CIA工作員身元漏洩事件(ヴァレリー・プレイム事件、通称PlameGate)において、ブッシュ大統領が隠ぺい工作に直接関与したことを仄めかし、マスコミをにぎわせている

問題となっている回顧録のタイトルは『WHAT HAPPENED:Inside the Bush White House and What's Wrong with Washington』。同書から、版元によって公開された文章を翻訳すればこんな感じである:

世界最高の権力を持つ指導者たる人物が私に要求したのは、彼の代わりに語り、イラクで大量破壊兵器を見つけられないという大失敗の渦中で失われた信頼を取り戻す手助けをすることだった。そこで私は、ホワイトハウス記者会見室の演台に立ち、カメラのフラッシュを浴びながら、二人のホワイトハウス高官-カール・ローブとスクーター・リビー-の汚名を公的に晴らそうとしていた。

そこにはひとつだけ問題があった。説明は真実ではなかったのだ。

私は知らされぬままに嘘の情報を伝えていた。しかも、私が嘘を伝えるにあたって、政権内で最も高いポジションにある5人の人物が関与していた。ローブ、リビー、副大統領、大統領首席補佐官、そして、大統領本人であった。

United States v. I. Lewis Libby

The United States v. I. Lewis Libby』リビー裁判の全記録。CIA工作員実名漏洩事件捜査の全貌を知るに最適の書籍。


Hubris

Hubris: The Inside Story of Spin, Scandal, and the Selling of the Iraq War』プレイム事件を最もわかりやすく詳細に報告した書籍。


Fairgame

Fair Game: My Life As a Spy, My Betrayal by the White House』身元を漏洩されたCIA工作員ヴァレリー・プレイム本人の回顧録。最終的にCIAの検閲で黒塗りが入った。


The Politics Of Truth: A Diplomat's Memoir: Inside The Lies That Put The White House On Trial and Betrayed My Wife's Cia Identity

The Politics Of Truth: A Diplomat's Memoir: Inside The Lies That Put The White House On Trial and Betrayed My Wife's Cia Identity』ヴァレリーの夫、元駐ガボン米大使ジョセフ・ウィルソン氏の回顧録。湾岸戦争時に駐イラク米大使代理としてサダム・フセインと直接対峙し、父ブッシュから感謝された件など、読ませるエピソード満載。

果たしてマクレラン氏は真実を書いたのか?FBIのこれまでの捜査と、リビー裁判での検察側・弁護側の各証言で得られた情報によれば、ヴァレリー・プレイムの身元暴露作戦に主導的役割を果たしたのがチェイニー副大統領であり、ブッシュ大統領がそれに直接関与した疑いは濃厚だ。

そして、マクレラン元大統領報道官は、回顧録で本人が書いているとおり、ブッシュ政権のウィルソン夫妻攻撃作戦には直接加担していなかったことも捜査で明らかになっている。(前任者のフライシャー報道官は工作員名漏洩に加担していたが、法廷証言と引き換えに起訴を逃れた。)言われるままにコキ使われていたので、回顧録で反撃を試みたわけだ。

同事件では、CIA工作員名を最初にマスコミに漏洩したリチャード・アーミテージ国務副長官は起訴を逃れ(漏洩相手はワシントンポスト紙記者でベストセラー著作『攻撃計画(Plan of Attack)―ブッシュのイラク戦争』執筆に向け取材中だったボブ・ウッドワードだが、彼は結局ヴァレリー・プレイムについて書かなかった)、チェイニー副大統領の腹心であるI・ルイス・リビー副大統領主席補佐官が2件の偽証罪、1件の偽供述、1件の司法妨害により今年3月に有罪判決を受けた。リビー側が上訴を検討する中、7月にはブッシュ大統領自身がリビー被告の減刑を表明している。

リビー裁判に提出された証拠資料(副大統領デスクのメモ)によれば、2003年10月の時点でリビーは、ホワイトハウス定例記者会見でリビー補佐官が機密漏洩に関わっていないと嘘の弁明をするようにスコット・マクレラン大統領報道官に命令して欲しいとチェイニー副大統領に願い出ている。(着任したばかりのマクレラン報道官はカール・ローブとは知己があったが、リビーの件で記者対応するのは嫌がっていた)しかしチェイニーは「1人のスタッフのために大統領のクビを危険にさらすことはできない」と冷たく対応した。(捜査が進展すれば、ブッシュ大統領自身の関与が暴露されるとチェイニーは予測していた?!)哀れ、リビー副大統領補佐官はブッシュとチェイニーの保身のために生贄にされたのであった。有罪になってヤケクソになったリビーが、事件の真相をぶちまけないように、ブッシュは素早く減刑宣言をした・・・あるいは、せっかく米世論がイラン攻撃に夢中になっているのに、「イラク戦争の大義」という過去の出来事に再び注目を集めて欲しくないというところだろう。

注意すべきは、スコット・マクレランの回顧録が、本人の執筆途中でその一部を公開されたという事実だ。刊行予定日が来年4月であることを鑑みると、プロモーションには早すぎる。マクレランは、全てを書き上げる前に、ホワイトハウスの反応を見たかったのだろうか?今のところマクレラン本人はマスコミ取材を拒否しており、回顧録の一部を公開した真意は知ることができない。

漏洩事件で収監されそうになった元タイムズ誌記者マット・クーパーは「リビーとローブがマクレランを騙していることにいつもイライラしていたが、彼もそうだったんだね」と暴露を褒めている

宗教保守派を中心に急速に支持を拡大している共和党大統領候補マイク・ハッカビーは、意外にもブッシュ政権攻撃側にまわった。彼は言う。「自分がワシントン関係者でなくて良かったといえる事例だ。これは深刻な疑惑だが、私達には真相を知ることができない。この件は徹底した調査によって国民に真実を伝えるべきだ。」

イラク戦争侵攻前の大量破壊兵器問題の取材で悪名を馳せた元NYタイムズ記者ジュディス・ミラーは、プレイム事件ではリビーを庇って収監された唯一の人物。彼女は今回の騒動に関してこう言っている:「この政権じゃ、ワシントンで何が起きようが、私はもう驚かないわ。」

ミラーの予測は当たるだろう。ブッシュ政権の内部にはまだまだスキャンダルが詰まっているはずだ。


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11/14/2007

ボストングローブ紙:イラク戦争費用で何が買えたか

「いずれ人々は今の時代を振り返って言うだろう:“信念を貫いた世代に感謝する。おかげで中東は自殺のない場所になった。”」

-ジョージ・W・ブッシュ、2007年11月11日の演説における発言

調査研究NPOの『全米優先計画(National Priorities Project)』の報告によれば、ブッシュ政権が要求する2008年度イラク戦争関連予算額は1,555億ドル(約17兆594億円)で、イラク侵攻以来の戦争費用は直接費だけでもおよそ6,115億ドル(約67兆1,211億円)に昇ることになるという。

6,115億ドルとはどれくらい凄い金額なのか?それだけの金があれば何が可能になったのか?・・・ボストングローブ紙は以下のように書いている:


  • マサチューセッツ州で最も建設費が高い高校(ニュートン・ノース高校、建設費1億5,460万ドル:約169億8,399万円)を4,000校建設できた。
  • 全米の公共事業で現在もっとも高額といわれるボストン中央幹線道路建設プロジェクトの費用が150億ドル。イラク戦争費用はこれの40倍を超える。
  • 米国民全体で1日あたりおよそ3億8,470万ガロンのガソリンを消費している。11月初旬の時点でガソリンの平均小売価格は1ガロンあたり3ドル。イラク戦争費用分のお金があれば、全ての米国民におよそ530日分のガソリンを無料提供できた。
  • 米国内の総登録自動車数は1億3,656万8,083台。その全車輌をエタノール車に改造したとしても、総額は682億ドル。(改造費用は1台500ドル)
  • イラク戦争費用6,115億ドルは、ハーバード大学なら1,400万人分、マサチューセッツ・ボストン大学なら5,300万人分以上の授業料にあたる。
  • ブッシュ大統領は、議会が承認した貧困家庭の児童向け医療保険予算案(費用350億ドル)に対して大統領拒否権を行使したが、イラク戦争費用はその17倍以上の金額。
  • ボストン・レッドソックスが松坂大輔と交わした契約額は6年で5,200万ドル(約57億1,812万円)。イラク戦争費用分の金があれば、松坂大輔マニア(Dice-K mania)を7万年ほど維持することができる。
  • 世銀の報告によれば、1年あたり540億ドル費やせば、2015年までに地球全体の飢餓・栄養失調を撲滅することが可能で、さらに全世界の児童に1年間の初等教育を施すために必要な費用は300億ドルであるという。これら費用を鑑みると、イラク戦争費用分のお金があれば、世界中の貧困層に7年分の食料支援と教育支援を提供できた。

松坂大輔がボストンに7万年も滞在することはないだろうが、アメリカが先導する「テロとの戦い」に関わるコストの話は、日本人にとって決して他人事ではない。日本政府の発表によれば、2001年12月からの5年11ヶ月間で、インド洋における海上自衛隊の給油活動で投入された日本国民のお金は約570億円。これだけのお金があれば、7万人以上のお年寄りに1年分の年金を支給でき、33万人以上の社会人に対して国民年金支払いを1年間免除できたかもしれない。(年金受給額を年額79万2,000円、国民年金月額保険料を1万4,100円とした場合。)

内政よりも国際貢献が大事?そうかもしれない。しかし、インド洋での給油活動で戦争難民が減少するという話は聞かないし、各国軍艦船への給油に220億円使う一方で、パキスタンでの給水活動に使ったお金はたったの700万円。同時期に個人資産を猛烈に増やした石油企業CEOよりも、日本国民のほうがケチだと、『国際社会』は考えるのだろうか?

日本の福田首相は、16日からホワイトハウスで開催される日米首脳会談を前に、ワシントンポスト紙のインタビューに応じた。その際、中断されたインド洋での海上自衛隊による補給については「継続する以外に選択肢はない」と主張している。しかし首相は、「日本国民には私と私の政党以外に選択肢はない」とは言わなかった。なんと謙虚な人物!


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08/15/2007

イラク駐留米軍:狙撃兵の従軍拒否宣言

英国の医学雑誌LANCETに掲載された研究によれば、米軍のイラク侵攻以来、イラク国民の総犠牲者数は100万人に達しようとしている

アフガニスタンではすでに419人の米兵が戦死した。イラクでの米軍戦死者数は3,666人、そのうち3%は自殺が占めているという

英デイリーメール紙の試算によれば、イラク戦争の戦費は米軍・英軍合わせて1秒間に2,000ポンド(約47万円)以上のペースで増え続けている

2008年度のアメリカ大統領選候補者のうち、ヒラリー、オバマはいずれも米軍のイラク駐留について“撤退”ではなく“中東再配備”を主張する。オバマは米国はパキスタンに単独攻撃を仕掛けるべきと主張し、ヒラリーは核攻撃も選択肢から外してはならないと発言して憚らない。民主党トップ集団にとって、どうやらブッシュ政権はソフト過ぎるらしい。

一方でイラク駐留米軍の即時全面撤退を支持するのは、民主党ではビル・リチャードソン候補、デニス・クシニッチ候補、そしてマイク・グラベル候補、共和党ではロン・ポール候補のわずか4人。悲しいことに、アメリカでは戦争を批判するとアウトサイダー扱いされてしまう。

ド根性大統領候補マイク・グラベル
は「ベトナムでの米軍兵士の死は無駄ではない。兵士に謝罪せよ」という批判に応えて、こんなことを書いている

「・・・南ベトナム陥落後、アジア全土に共産主義が拡大するという不吉な予測は実現しなかった。共産国であっても、アメリカ合衆国とベトナムは今や最も良好な貿易関係を築いている。ホーチミン市に行けば、バスキン・ロビンスのアイスクリームを買うことも出来る。

30年間もの無用な流血の結果、5万8,000人ものアメリカ人が殺害され、数万人が手足を失くし精神を病んで帰還した。自己を犠牲にして祖国に尽くした兵士達には敬意を表すべきだ。しかし、彼らの英雄的行動が戦争そのものの無益さを軽減したわけではないことも認識すべきである。現在、イラクで同じ過ちを繰り返すことで、我々は退役軍人や戦地の兵士たちに対して非常に酷い仕打ちをしている。なぜ我々が再び同じ過ちを繰り返しているのか問うてみるのは公正ではないのか?」


テレビに登場すれば怒鳴ってばかりのマイク・グラベルだが、しかし戦争に対する彼の主張は沈黙を通じてさえ広範に知らされるべきだと強く感じる。

過去の戦争を理解し反省するために、私達がすべきことはたくさんある。

現在の戦争を終結させるために、私達にできることはたくさんある。

未来の戦争を避けるために、私達にできることは必ずある。


混迷するイラクでは、米軍兵士による従軍拒否の声もよく聞かれるようになった。今回はある狙撃兵の物語を以下に翻訳して掲載。

私の経歴

VIP警護・狙撃兵から反戦への道程

by 陸軍州兵所属特技兵エレオネイ“エリ”イスラエル:2007年8月9日付Courage to Resist掲載文


2ヶ月前、私は人生を永遠に変える行動を起こした。1人の兵士として、連合軍訪問事務局警護員として、イラクで1年間従軍し250以上の戦闘任務を経験した陸軍狙撃兵として、私は占領軍の一員として従軍し続けることを拒否した。後悔はない。これは私の来歴だ。現在、クウェートでこの文を書いているが、うまくいけば今週中に米国に帰還するまでの“待機中”の身。先週、営倉から出され、今月中にも陸軍から除隊となる予定だ。これから『抵抗する勇気(Courage to Resist)』、『反戦イラク退役軍人会(Iraq Veterans Against the War)』などのイラク戦争反対運動陣営に加わるつもりだ。

人生の中で、私をここまで導いたのは何だったのか?


最初の入隊

1999年春、18歳になった月に、私は米国海兵隊に入隊した。

13歳以降、実の両親とほとんど会わないまま、私はケンタッキー州の保護監督下で育った。成育支援を得られなかった私は浮浪児となり、浮浪児らしく振舞った。

16歳になるまでに、私はドラッグの深みにはまった。9学年の前期以来学校に行かなかったので、あらゆる面で足りなかった私は、しかし生き抜くための知恵と、潜在的な野心と、強気の態度で生きていた。

新兵徴募所に入ってから、海兵隊に入隊するためには、一定の大学履修単位がない限り、高校卒業資格か一般教育修了検定が必要であることを知った。自分が16歳で、8学年しか修了していないと告げると、再度会うことも期待せずに、担当者達はすぐに私を退けた。

彼らは間違っていた。

私は一般教育修了検定に合格しただけでなく、地元の大学で一期を修了した。1年半経過して18歳になった1999年3月に、以前と同じ新兵徴募所に行き、以前と同じ担当者と話をして、一般教育修了検定証書と大学の成績書を見せながら、初めて真の誇りの感覚を感じた。

パリス・アイランド(海兵隊新兵訓練所)に到着して13週後、私は永遠に変わった。私は分隊長として栄えある昇進を果たして訓練を卒業し、海兵隊員として輝かしい経歴への道を順調に進んでいた。

そして、2001年9月11日を迎えた。


祖国のために再入隊

9/11以降多くの人々がそうしたように、私も再び兵役に就きたくなった。新兵訓練の年月の後、私は祖国に対し何かもっと多くの責任を負ったように感じていた。私は大統領や上官らが真実を伝えていると信じていた。自分自身も高潔であると信じていた。不道徳な行いや過ちに自ら進んで手を染めることは絶対ないと自認していた。

2004年に私は再入隊した。今度は陸軍州兵部隊だった。

その頃は、“世界規模のテロとの戦い”に従軍している者は、自分達のやっていることを信じて従軍していると思っていた-契約上の事情や、新兵不足のための留任で従軍を強制されているとは思いもしなかった。戦場を経験した後、今では私が間違っていたと感じている。2006年、私はイラクに派遣された。

イラクでは、私はJVB要員だった。連合軍訪問事務局(Joint Visitors Bureau)で、“中将以上の階級保持者”と“それに相当する文官”を警護するのが任務だ。副大統領、国防長官、統合参謀本部議長、それら階級に相当する“連合各国”の重要人物たちの警護も含まれた。私はそれら特別任務のための訓練をあらかじめ受けて、遠征の大半をそうした“世界規模のテロ戦争”に関わる重要人物たちの一団と共に過ごしてきた。

JVB要員であっても、基本的に私の任務は歩兵だった。JVBの仕事がないときは、“捜索と哨兵”任務や他の歩兵任務に動員された。したがって、JVB要員であっても、“陣地外”での様々な任務-“狙撃監視”や家宅捜査等の任務を負った小隊の狙撃兵として、当番にあたっていた。

任務の最中の活動については“自己防衛”の名の下に正当化されると判断していた。しかしながら、そうした見方は間違っていたと悟るようになった。私は占領する権利のない国に居て、人々の生活を脅かし、アメリカ人の場合なら住居や人々に対して求められるはずの威厳と敬意の基準もないまま活動していた。


殺人

私は“巻き添え被害”から家族を護ろうとした人々を殺害し、命を奪ってきた。イラクの少年らが“アル・カイダ”のような集団に加わるのは、米国の浮浪児たちが“Cribs”や“Bloods”のようなギャングに加わるのと同じだ。それは自己防衛のためであり、威厳のためであり、抵抗のためなのだ。

父親やいとこが我々によって“偶然”殺害され、戦車が近所を通るたびに母親や親戚が泣き叫ぶのを見てきた若者たちにとっては、オサマ・ビン・ラディンが誰であろうと知ったことじゃない。我々が攻撃する“民兵”は、政府を信用しない近所の武装監視集団と何の違いもない。我々も政府を信用できなかったが、権力を与えてしまった。

我々自身の犠牲は、彼ら同様悲惨だが(実に悲惨である)、イラク国民にもたらされた大虐殺の前では影をひそめてしまう。

イラクでの“成功”は、連合軍側の犠牲者の“減少”の問題ではない。我々が全社会に負わせた虐殺が終わり、威厳と主権が回復されたなら、それは成功だろう。

同盟軍兵士の10倍から20倍の割合でイラク国民は死亡し続けている。バグダッドだけでも、5年と9,500億ドル(約112兆683億円)を費やしてもなお、国民は電気と水道が数週間も一度に停止する事態に悩まされている。一方で、我々はしばしば戒厳令を布いて誰も脱出できなくしている。若いイラク人少年が憎悪に満ちた視線で私を見つめていた際、その瞳の中に自分を見たとき、私はもうこれ以上占領軍の役割を正当化できないと悟った。

この戦争の不正を遠方から見ることが出来て、勇気と信念をもって抵抗している兵士達が羨ましい。政治的野心に反して道徳的信念を重視しようとする兵士たちを批判する声もあるだろう。肝心なのは抵抗することだ。最初から兵隊にならない道を選択したにせよ、入隊してから必須基準の高潔さに欠けると悟ったにせよ、真実を悟った時が立ち上がる時なのだ。私にとってその時は、イラクでの1年間の戦闘任務が残り3週間になった時に訪れた。道徳的信条はタイミング知らずだ。


抵抗

私は指揮官に自分の考えを伝えた。最初の話し合いの時から物事がうまくすすまないことはわかっていた。私は上官に、我々がイラクに居ることは不法であると説明した。私はこれ以上この戦争政策を信じられないので、良心的参戦拒否を申請したいと話した。端的に言って、イラク国民に対する戦闘的役割に対して、私はもはや良心をもって加わることはできなかった。

私の口から言葉が出るとすぐ、人生は変わった。過去1年間味わったことのない平穏を心に感じた。自分が正しい決断をしたとすぐにわかった。しかしながら、私は強引に武装解除され、監禁され、家族とも弁護士とも面会を遮断された。

私は作戦室の小屋に違法に監禁され、24時間監視され、2週間後正式に命令拒否罪を宣告されるまで、トイレにも監視がついた。その後1週間は、罪を認めるまで(他に選択肢がなかった)監禁されたままだった。それからすぐにクウェートのアリファン基地に送致され、陸軍刑務所に30日間服役した。つい先日刑務所から出され、今の私は“名誉以外の”除隊にむけて“追放”される過程にある。後悔はない。

上官に信念を伝えてから、そして私が真剣で、脅迫しても無駄と彼らが悟ってから、彼らは“情報戦”になるのを見込んでいた。

私にはMySpaceや他のオンラインネットワークを通じて多くの反戦派の友人を得ており、彼らを通じて私が虐待された件が世間に知れ渡ることになり、その情報は文字通り一夜で世界中を巡った。それに気づく前、私は曹長のオフィスに呼ばれ、自分達の名前がネット中に知れ渡っていると怒鳴られ、罵られた。彼らは、自分達について何と言われているか-私に対する扱いが不公正で、私の良心的兵役拒否申請を拒絶している件-について否定しようとせず、ただ単純に暴露について怒っていた。


軍の反撃

次の日、私は自分がOPSEC(作戦保安上)懸案事項に“指定”されたと説明された。理由はなかった。彼らは敵意と“見せしめ”作りに夢中になって、私の評判と信頼性を没落させる方法を探っていたのだ。

彼らはニセの“相談報告”を数ページ偽造し、私の軍歴を過去に遡って信用失墜させようとした。そうした報告をした前歴がないという事実からそれら非難は虚偽性が明白だったので、彼らは嘘が“もっと必要”になった。

上官らは私のMySpaceアカウント、電子メールアカウント、その他全てのユーザー名とパスワードを繰り返し開示するよう要求した。拒否すれば“嫌疑が追加される”と脅迫された。

彼らは私の電子メール、ブログ、その他全てを読もうとしていた。何か見つけようとしていたのだ。私が機密を漏洩したような事実が見つけられないか彼らは必死で探していた。彼らは私に罪を着せ、可能な限り私の信頼性を損ねようとし、なんとかして私の違法な収監を正当化しようとしていた。

2週間後、私を“情報漏えい”で告訴できないと悟った彼らは、ようやく“一連の命令違反”で私を訴追した。それには戦闘任務への拒否だけでなく、“行進休めの姿勢をとらなかった”とか“任務に遅れた”とかの馬鹿げた嫌疑も含まれた。想像してみてほしい。

結局のところ上官は、もしも私がすぐに全ての罪で有罪を認め簡易軍事法廷に出廷するなら“減免してやる”と提案した。選択肢は明白だった。彼らに協力して、刑務所で30日間過ごして、人生を取り戻す。もしくは、それから2ヶ月間を極度に密閉された制限区域に戻され、機会あるごとに部隊の皆に“戦争に反対したらこういう目に会うからな”と見せしめにされるかのどちらかだ。

とりあえずは、彼らに勝ったと思わせてやるとしよう。

自由

やがて真実は明らかになり、誰もそれを隠すことはできない。イラク占領は大惨事だ。毎日それが続くにつれ、アメリカもイラク国民もより危険になると私は確信している。

戦争に異議を唱え、軍に抵抗したことは、疑う余地もなく私のこれまでの決意の中で最高のものだった。私は正しく抵抗し、ボーナスとして自由を取り戻した。もしかしたら今から10年後には、現在軍隊内部で抵抗する人々が、真実を話し行動した最初の人々として迎えられることになるかもしれない。今でも、たとえこの紛争の隅々まで知るアメリカ人の大半が簡単には納得していないとしても、私のような考えを持つ者は1人ではないと気づかせてくれる多くの仲間がいる。

真実を求めよう。そして立ち上がろう。

(以上)

イラク従軍拒否軍人への支援を行っている反戦団体:
Courage to Resist
Iraq Veterans Against the War

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06/15/2007

テリー・ジョーンズ:『これぞまさしく機会の地』

「今後、国民とメディアには、イラクや世界中で兵役に就いている人たちの事など、もっと重要な話題に関心を持つよう望みます。」

-パリス・ヒルトン、再収監の際の声明文より(source)

今回は、モンティ・パイソンで知られるテリー・ジョーンズの最新コラムを以下に翻訳。以前のコラムに比較するとかなりストレートに、傭兵企業の問題を取り上げている。

英インディペンデント紙の報道によれば、イラクで活動する傭兵はおよそ4万4,000人といわれる。特に英国人傭兵は2万1000人を超え、英国駐留軍のほぼ3倍の規模になる。イラク駐留各国軍の兵站等、後方支援業務も担う企業も多く、それらを含めた民間軍事要員の総数は12万6,000人以上とみられている。傭兵の活動は正規軍の管理下にないので、しばしば現地で正規軍と衝突し、銃撃事件を起こすなど、治安悪化の隠れた要因になりつつある。

コラム中に登場する傭兵企業ブラックウォーター社は、米海兵隊、米陸軍その他世界中から特殊部隊出身者を集めて傭兵サービスを行う業界最大手。ワシントンにも関わりが深く、例えば元CIAビンラディン追跡チーム責任者で、現在ブラックウォーター社の副会長を務めるコーファー・ブラックは、共和党大統領候補ミット・ロムニーの選挙対策チームに加わっている

これぞまさしく機会の地

死と破壊のある処には利益が生まれる-イラクで活躍する保安企業はあまりにもよくわかっている

by テリー・ジョーンズ:英ガーディアン紙2007年6月12日付けコラム

Terry Jones's War On The War On Terror

テリー・ジョーンズの辛辣なコラム集:Terry Jones's War On The War On Terror(テリー・ジョーンズの“テロとの戦い”との戦い)スティーブ・ベルの風刺画も満載。

昨日、ゴードン・ブラウンはイラクで「事実調査視察」に出向いた。次期首相にとって、必ずしも全てが陰鬱に見えることはないだろう-もしも彼が、ブラックウォーター社について「事実調査視察」を行ったとすればなおさらだ。ノースカロライナ州の同社は、イラクで活躍する民間軍事企業の中でもっとも利益率が高く、イラクが実は機会の地であることを証明する企業である。ブラックウォーター社のゲイリー・ジャクソン社長曰く「2004年度に600%という驚異的な成長率」を果たしたらしい。さらにジャクソン社長は言う。「市場規模は数十億ドルで、ブラックウォーター社は未だその表面をなぞったに過ぎない。」そんなわけで、もしもゴードンが、あるいは我が国の誰か別の者が、イラクにおけるあぶく銭競争にありつきたいなら、ブラックウォーターの道筋を辿るのがよさそうだ。

まずなにより、ブラックウォーター社を創業したエリック・プリンスがそうであったように、数十億ドルの資産を残してくれる父親を見つける必要がある。次に、その資産を使って人を銃撃することを専門とする企業を立ち上げる。もちろん、その企業理念としては“あらゆる地域で治安、平和、自由、民主主義を守る”と主張する。もっとも、企業パンフレットには、マシンガンを手に住居に突入したり、ヘリコプターから銃撃する男たちの写真を満載し、5段階の訓練コースを提案する:基本軍事訓練、上級軍事訓練、戦場狙撃、高角度狙撃(屋根から人間を銃撃する)、そしてもちろん、ヘリコプター銃撃訓練だ。

このような暴力沙汰から金を稼ぎ出すとなると、いかに理想主義的なスローガンで飾ってみても、道徳的には少々危ういものに見えてしまうので、エリック氏同様に、キリスト教再生派(born-again Christian)となって共和党に大金を寄付すれば申し分ない。ネイション誌の報道によれば、1989年以来、エリック氏と彼の妻は共和党に27万5,550ドル寄付しているが、民主党への寄付はゼロだ。90年代前半にエリック氏が経験したように、ホワイトハウス実習生になれば、最適なポジションに充分な友人を作ることもできるだろう。ブラックウォーター社のイラクにおけるCPA(連合軍暫定当局)警護業務のように、異様ともいえる競争入札なしの契約獲得も夢ではない。

同僚と金を稼ぐとなれば、快適であるに越したことはない。例えば、警備業務が1日あたり600ドルなら、クウェート・リージェンシー・ホテルに請求する金額は815ドル。ラーレー・ニュース&オブザーバー紙の報道によれば、リージェンシー・ホテルはさらに上乗せした費用を軍事サービス会社ESSに請求する。さらにESS社はケロッグ・ブラウン&ルート社に請求書をまわし、ルート社はさらに利益を上乗せして膨れ上がった請求書を国防総省に送りつける。ヘンリー・ワックスマン上院議員の話によれば、彼がその請求書の明細を調べるのに2年かかったということだ。

支出を抑える手法でも、ブラックウォーター社に学ぶのがよいだろう。2004年3月14日、ブラックウォーター社はリージェンシーホテル、ESS社を相手に、個別の保安業務に関して最低でも“2台の装甲車輌でESSの活動を支援する”と指定する契約を交わした。しかしブラックウォーター社は、契約書の中から“装甲”という文字を削除して、150万ドルを節約することにした。

この件が思いがけない事態を生んだ。ブラックウォーター社から4人の職員がファルージャに派遣された際、2台の車輌は暴徒に襲われた。4人は殺害され、バラバラにされた死体が橋にぶら下げられた。この事件は、ブラックウォーター社の人気を害するどころか、米軍の支援を得ることにより同社の業績を証明することになった。マーク・キミット陸軍准将は明言した:「俺たちは戻ってくる・・・犯罪者どもを仕留めてやる・・・徹底的に、圧倒してやる。」その結果、米軍はほとんど街を破壊してしまった。

殺害された4人の遺族は原因究明のためにブラックウォーター社を訴えることにしたが、その状況でさえ同社は利益をはじき出そうとしている。先週金曜日、ブラックウォーター社は死亡した4人の遺産に対し1,000万ドルの賠償請求を起こした。遺族側の弁護団によれば、「遺族を黙らせて法廷から追い出す」ための訴訟ということだ。

まあ、そういうわけで、イラクで金を稼ぐとなると、我々が想像するよりもはるかに多くの手法があるのだ。ブラックウォーター社のような企業は、それを示してくれる。
(以上)

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05/30/2007

メモリアル・デイ:自問する米軍兵士たち

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Photo: John Moore / Getty Images)写真コメント:「2007年5月29日:メアリー・マクヒューは亡くなった婚約者ジェイムズ・リーガンを追悼。特殊部隊所属のリーガン三等軍曹は2007年2月にイラクでIEDの爆発により殺害された。前年のメモリアル・デイ以来、イラクで戦死した兵士の墓は1,000人分ほど増加している。」


戦没将兵記念日(メモリアル・デイ)となる5月28日、全米各地で様々な戦没者追悼行事が行われた。

統合参謀本部議長ピーター・ペース大将はCBS放送に出演し、「9/11テロでは米国人3,000人以上が殺されました。それ以来、自ら犠牲となって戦死した人数はそれを超えようとしています。」と発言した。ペース大将は9ヶ月ほど前にもCNNの取材で同じようなことを言っている:「9/11テロから5年が過ぎようとしています。わが軍の兵士で自ら命を捧げた人数はテロで殺された人数に迫ろうとしています。」

実際、イラク・アフガニスタン両戦地での戦死者数は2006年9月の時点で9/11テロ犠牲者数を越えていた。ピーター・ペース大将がCBS放送に出演していた時点で、9/11テロの犠牲者数は2,996人、米軍兵士戦死者数は少なくとも3,452人だった。戦死者が日毎に増えている事実を米国民に知って欲しくなかったペース大将が、意図的に視聴者をミスリードしたのかどうかは定かでないが、戦争犠牲者への無関心が拡大しているのは事実だ。イラク国民の犠牲者数については、もはや推定数でさえ滅多に報道されなくなった。

戦死者の増加に対する懸念を抑えるために、国防総省は報道規定を以前よりさらに厳格化した。戦死した兵士の名前や顔写真、経歴や従軍事情を記事にするためには、書状による同意書を前もって当人と交わすことが必要になった。戦闘任務に出動する直前に、従軍記者は兵士達に「死んだら記事にしていいか?」と同意書を取り出すわけだ。駐留軍兵士にとって、ジャーナリストは死のメッセンジャーに見えることだろう。

そうした米政府の“戦争情報最小化”努力により、戦地の兵士が伝える苦悩の言葉はメディアの片隅に追いやられているが、今回はハーバード大学のジャーナリズム支援組織『ニーマン報道基金』の公式サイト上に掲載された駐留軍兵士の寄稿文を以下に翻訳して掲載。(文中リンクは訳者による)


兵士は絶望的に自問する:我々はなぜここに居る?

by ドナルド・ハドソン・JR

バグダッド、5月12日:---私の名前はドナルド・ハドソン・ジュニアといいます。実戦部隊に所属して3年になります。私がバグダッドのロイアルティ前線基地に駐留してから4ヶ月半が経過しています。

私がこの地に派遣されたのは、いわゆる“兵力増派”の第一弾によるものですが、今のところ反乱勢力の暴動鎮圧には何の効果もありません。スンニ派とシーア派の暴力の台頭をずっと目の当たりにしてきました。この国は7世紀以来続く内戦の真っ只中にあるのです。

この国は現在でも我々の駐留を求めていないのに、なぜ我々はここに居るのでしょう?なぜ我が国の大統領は個人的課題に没頭し、実際の戦地で何が起きているのか留意しないのでしょうか?

或る出来事の話をさせてください。5月10日、市場から合同保安基地に防壁を移動する車列の護衛任務に私は就いていました。いつもの夜と何も変わらない状況でしたが、今回は私の車列で簡易爆発物(IED)が爆発し、トラック一台の装甲に穴を開けました。たちまちトラックは炎につつまれ、運転手は制御を失いトラックは通りに面した建物に突っ込みました。私は車列の先頭車両を運転していて、爆破された車輌は6台のうち5台目の車輌でした。無線で聞けたのは、6台目の車輌に乗る戦友の叫ぶ声で、5台目の車輌の火災が酷く消火器が足りないということでした。私は車輌の向きを変えて、コンクリート防護壁を通り過ぎ、急いで燃えている車輌に向かいました。現場まで30メートルの場所に停止し、運転席から降りて消火器を取り出し、燃えるトラックまで走って行きました。トラックに向かう途中で何か叫んでいる戦友とすれ違いましたが、聞こえませんでした。運転席のドアを開けると、即座に炎があふれました。ドアの中に向けて消火器を噴出すると、ルームメイトの足が見えました。彼はそのトラックに乗って射撃手をしていたのです。運転席の向こうに転がる足には火が燃え移っており、一方で友人の体はトラック奥にありました。消火器が尽きたので、トラックの中に乗り込み彼を助け出そうとしました。後部座席にある友人の頭までたどり着き、彼の肩を掴んで運転席から引っぱり出そうとしました。友人の頭を先にしてようやくトラックから引っ張り出しました。彼の顔は焼けただれ、足も酷く負傷していました。彼を担架に乗せて救命に最大限尽くしました。彼が息を吸おうとしているのがわかりました。まだ脈があり、呼吸してい