メイン記事へジャンプ

06/23/2007

マイケル・ムーア最新作『シッコ』公開前から大評判

現在、アメリカ合衆国にはマイクという名の要注意人物が3人いる。マイク・グラベル、マイク・ブルームバーグ、そして、日本にもお馴染みの“野球帽を被ったむさ苦しい男”マイケル・ムーアだ。

Sicko

今回はその、マイケル・ムーアの話題。彼の最新作『Sicko』日本語タイトル『シッコ』、今年8月公開予定は今年6月29日から全米で公開されるが、その前評判が凄まじい。特徴的なのは、前作『華氏911』と違い、今回はリベラル派はもちろん、かつてムーアに批判的だった人々からの支持も拡大しつつある事実だ。ワシントンで開催されたプレミア試写会にはダレル・アイシャ議員(共和党・カリフォルニア州)も姿を見せ、「医療危機問題は党派を超えた課題ですからね。」と作品を讃えた。前作に冷静だった政治批評家達からも、「ムーアのキャリア中ベスト作品」との呼び声が上がり始めている。

ムーアは、『シッコ』でアメリカの医療危機問題をテーマにしているが、作品中で取り上げるのは5,000万人近い医療保険未加入のアメリカ人だけではなく、民間の医療保険に加入しながら適切な保障が受けられなかった多くの中流層の人々の物語である。攻撃のターゲットは、医療現場で暴利を貪る医療保険業界と製薬業界、さらにそうした業界の横暴を許す政治家たちだ。ムーアはストレートに、民間医療保険業界は廃止すべきで、製薬企業には大幅な規制が必要と訴え、両業界から金を受け取って政府規制緩和に努める共和・民主両党の有力議員たち-リック・サントーラム、ヒラリー・クリントンらを批判し、カナダやイギリス、フランス他の先進国事例を引用し、国民皆保険制度の導入を主張する。

ムーアの批判に医療保険・製薬業界側が黙っているはずはなく、保守派シンクタンク各グループと協力して映画公開を前に着々と反論準備を進めているらしいが、おそらく今回の業界批判は抑えられないだろう。ムーアの主張に同意する国民は大勢いる。例えばウェブ動画最大手YouTubeはムーアに共鳴し、「医療サービス恐怖体験」「医療保険業者とのやりとり」の動画投稿を受け付けていて、投稿動画はどんどん増えている。全米で高い人気を誇る女性タレントのオプラ・ウィンフリーは自身のショーでムーアと対談し、公式サイトで専用意見投稿フォームを設けている。

医療業界以外で戦々恐々としているのは、どうやら2008年度大統領候補達らしい。ムーアは、民主党先頭集団(オバマ、エドワーズ、ヒラリー)らの医療制度改革案を「依然として医療保険業界を擁護する妥協案」として批判する。おそらくもっとも慌てているのは、映画の中で強烈に批判されているヒラリー・クリントンだ。かつて国民皆保険制度導入を試みたこの上院議員は、最近では医療保険・製薬業界から献金を受ける議員リストのトップに立ち、2008年大統領選にむけて、「我こそは医療危機問題にもっとも強い大統領候補」と宣伝している。この矛盾に彼女はこの先どう応えるつもりだろう?(もっとも、ムーアの“医療保険業界廃止プラン”に沿った医療制度改革を唱える民主党候補者は、プレミア試写会にも参加したデニス・クシニッチだけのようだが・・・)

『シッコ』にまつわる今後の反響については追ってカバーするとして、今回は以下に、英インディペンデント紙上に掲載された作品関連記事を翻訳して掲載。(文中リンクは訳者による)

シッコ?アメリカ医療システムの真実(Sicko? The Truth About the US Healthcare System)

by アンドリュー・ガンベル:英インディペンデント紙2007年6月4日付記事

マサチューセッツ州ケンブリッジに住むシンシア・クラインは、自宅で心臓発作に襲われても手順を心得ていた。救急車を呼んで、緊急時のためにあらかじめ処方されたニトログリセリンの錠剤を服用し、助けが到着するのを待った。

手順どおりなら、全てうまくいくはずだった。他の数千万人に昇るアメリカ人と違い、彼女は医療保険に加入していたからだ。救急チームはまもなく到着した。普段から彼女の心疾患治療を受け持っているハーバード・メディカル・スクール提携の民間付属病院は、目と鼻の先にあった。

問題は、そのマウント・オーバーン病院の救急病棟が、急患で溢れていたことだった。病院側は彼女の受け入れを拒否した。救急車はシンシアを近所にある別の病院に運んだが、彼女が必要とする緊急カテーテル治療は、そこでは行われていなかった。ボストン地区にある他の病院施設へも大急ぎで連絡したが、無駄だった。数時間後、シンシア・クラインは死亡した。

シンシア・クラインが死亡した地区は、アメリカで最も一流の医療専門家が集中する地域だった。それでもそのような事件が起きたのは、アメリカの崩壊した医療システムに原因がある。全くの無保険状態で暮らす国民が5,000万人ほどいて、さらに数千万人が、本来必要とする治療を承認されるために奮闘しているのだ。結果として、危機的状況に陥るまで疾患が治療されないままになる。患者達は救急病棟に急いで運び込まれるが、そこでは法律上患者を受け入れる義務があるので、医療システム全体を圧迫している。医者であれ患者であれ、右派政治家であれ左派政治家であれ誰でも、現状の医療システムは狂気の沙汰だと感じている。

テキサス州オースティンに住むエリザベス・ヒルザベックが双子を早産した時も、別の種類の狂気の沙汰に遭遇した。彼女もまた、医療保険に加入していた-銀行で良い仕事に就いている夫の保険である。しかし、双子を出産した時の彼女はわずか妊娠6ヶ月で、男児のパーカーは脳性まひを患った。医者は理学療法により男児に筋力をつけて歩行訓練できる機会を与えるよう薦めたが、マネージド・ケア業者側は費用負担を拒否した。

ケア業者側の常軌を逸した官僚的論理によれば、保険適用の対象は“リハビリ”療法であり、言い換えると、患者の失われた肉体的技術を回復させることであるという。パーカーの場合は歩いたことがないので、その理学療法は男児に新しい技術を訓練することになり、それゆえ適用外というわけだ。ヒルザベック夫妻は抗議し、意義を申し立て、一時的救済を得たが、結局医療費を支払うために家屋を売り払いトレーラー暮らしとなった。エリザベスの夫、スティーブンは、より高い給与を求め転職を考えたが、医療保険補償範囲に関する注意深い喚問を受けた後で転職を思いとどまった。ヒルザベック夫妻に、将来加入予定の医療保険担当者は陽気に尋ねた:「脳性まひの治癒はいつ頃になります?」脳性まひは克服できないとエリザベスが担当者に説明すると、担当者は彼女に独力で治療してくださいと伝えた。

アメリカ人なら誰でも医療にまつわる恐怖体験を持つか、そういう体験をした人が身近にいる。官僚的な電話対応や通知書、信用格付けへの不満、あるいは、高額な一連の検査を受けてから、即座に支払い能力を超える治療コースに繋がることを恐れ、ゆっくり悪化していく病状を無視する人々の話などである。

ひどい間違いが起きない場合でも、生き残るのは至難の業だ。

モンタナ州のメリッサ・アンダーソンは、個人事業主のために手頃な医療保険を見つけられなかった。常識化しつつある苦悩だ。2年前、息子のケイシーがてんかんで倒れた際、州に設けられたばかりの児童医療保険プログラムのおかげで彼女は助けられた。同プログラムは、貧困層ではないものの超高額な医療費を支払う財力のない住民向けに特別に用意されたものである。重大な治療の必要性がないため、メリッサ自身は未だに無保険のままである。

過去15年間、医療サービスを受けるための経済的手段を持たない貧困層-未だ重大かつ未解決のままだが-そうした人々に関する話題は少なくなっている。代わりに、医療サービスを受けられると期待された人々の恐怖体験話が増加している。中流層の人々-定職を持ち、職場で医療保険に加入できる人々-この問題も悪化しているが-あるいは、かつて手堅い医療保障を受けられた職業に就いている人々が、より退化した保障、さらに様々な理由で保障を削減される危機に瀕しているのだ。

この泥沼こそ、マイケル・ムーアが今月末公開の最新ドキュメンタリー『シッコ』で暴露するものである。ムーアは映画の大部分を割いて、保険企業や製薬企業を潤わせ、誰にとっても全く公正でない現状の医療システムには必然性も必要性もないと実証してみせる。ムーアの調査はフランス、イギリス、カナダに加え、未だ開発途上のシステムと見なされているキューバにまで及ぶ。

ムーアは残酷な話も披露する。映画の冒頭では、無保険の大工が、1万2,000ドル払って切断された薬指を接続するか、もしくは6万ドル払って切断された中指を接続するかという選択を迫られる場面が登場する。それからムーアは、珍しい病気を治療するために骨髄移植手術が必要になった夫を持つ病院職員に注目する。その夫婦の加入する医療保険会社は、移植手術が“実験的”であるとして費用負担を拒否した。職員の夫は死亡した。

ジョナサン・コーンの新刊『Sick: The Untold Story of America's Health Care Crisis---and the People Who Pay the Price』では、さらに多くの話が収録されている。ネレーン・フォックスというカリフォルニア女性も、医療保険会社から骨髄移植手術の費用負担を拒否された結果、乳癌で死亡した。ジョージア州では、或る夫妻の乳児が心臓停止に陥った際に、医療保険会社側の命令で45マイル(約72キロ)も離れた病院に連れて行かざるを得なくなった話もある。乳児は生き延びたが、迅速な治療があれば避けられたはずの永久的障害に苦しむことになった。ニューヨークでは、ブライアン・ジョーンズという名の乳児-事件当時、地元メディアで盛んに言及された新生児が、出産後24時間で病院を退院せよという医療保険会社側の要求により心臓疾患が発見されず死亡した。異常を発見できたかもしれない検査をあまりにも急いで実施したためだ。

アメリカの医療システムは極端な矛盾を抱えている。医療技術と疾病研究では、比類するものがない。アメリカの医者は世界各国の医者よりも高給であり、最高の医者たちが集まることになる。それでもなお、ほとんどではないにせよ、多くのアメリカ人はこうした恩恵を受けられない。実際、ニューヨークタイムズ紙で経済学者ポール・クルーグマンが指摘するように、研究とハイテック機材は、その利益を享受できる少数の富裕層と、ますます享受できなくなる大衆という不公正の原因のひとつとされている。「(医療システムは)一部の人にはより高額な治療を提供し、ついでに、それ以外の多くの人々をさらに遠ざける-少数に最先端治療を受けさせるために、大多数の基礎医療機会を奪っている。」クルーグマンは書いている。「このように、我が国では医学の進歩が多くのアメリカ人の健康にとって悪い事態になるという矛盾に直面しているのだ。」

利益追求型の医療保険企業によってシステムが運営されると、非効率で高額、さらに人間性まで奪われてしまう。アメリカ国民1人あたりの医療費負担額はフランスの2倍以上、イギリスの2倍半ほどになる。それでもなお、国民健康指標ではほぼ全ての面で他国を下回っており、おそらく最もショッキングな指標として乳児死亡率を挙げると、イギリスに比較してアメリカは36%も乳児死亡率が高いのである。

マネジメント・コンサルティング企業マッキンゼーの最新調査による試算では、民間医療保険業界の過剰な官僚制のコスト-ビジネスの発掘、苦情処理、客側の医療費負担請求を拒否する理由を説明するための“拒否管理専門家(denial management specialists)”の雇用等の費用は、年間980億ドル(約12兆929億円)に昇る。注目すべきはその金額の大きさで、マッキンゼーの試算によれば、医療保険未加入のアメリカ人全ての費用を合計してもその金額は770億ドルなのである。仮に合衆国政府が、製薬業界の不当に高額な独自価格設定を許すのではなく、医薬品の大量購入割引交渉をするならば、さらに660億ドルの節約になるという。

驚いたことに、アメリカ合衆国ではビル・クリントン政権以来、医療問題に関して真剣な議論が行われていなかった。クリントン大統領は、妻のヒラリーから相当影響を受けて、1994年に医療システム改革を試みて失敗した。しかしそれも、2008年度大統領選挙が白熱するにつれ変わるかもしれない。アメリカ国民5,000万人(うち1,000万人は児童)が無保険状態なのは誰でも認識しており、文明社会としては受け入れ難いのだ。

アメリカに古くから存在する自由市場主義的な議論-医薬品の“社会化”は神を恐れぬ共産主義への坂道を下る最初の一歩になるという主張も、もはや正しくない。機能する民間医療保険体制がないために、結局政府が総治療コストの50%ほどを支払う羽目になっているからだ。貧困層はメディケイドと呼ばれる政府プログラムに依存し、高齢者はメディケアと呼ばれる政府プログラムに依存している。そして、米医療システム全体でおそらく最も効率の良い部分は、退役軍人向けの国民保険サービスの一種、復員軍人援護局である。

19世紀のロンドンやパリで、金持ちや中流層に影響を及ぼし始めてようやく当局がコレラに注目したように、アメリカの医療システム危機は、その不公正さに苦しみつつある上層部に押し寄せ始めたのだろう。

なによりもまず、企業経営層は、従業員向け医療保障のコストが上昇し続ける事態に閉口している。スターバックスはコーヒー豆の仕入れよりも多くの費用を従業員向け医療保険に支払っている。インドや中国等の低賃金国で価格競争にさらされている国際企業にとって、従業員向け医療保険費の高騰はますます受け入れ難い問題になっている。

ウォルマートの経営者であるリー・スコットが、ウォルマートの労働環境に対する厳しい批判で知られる米サービス業界労働組合と一致協力し、国営の全国民向け健康保険システムを2012年までに確立するよう働きかけているのも、そういう事情によるものであろう。この闘争は困難なものになる。これまでのところ、医療保険業界と製薬業界は、多数の議員に選挙資金を提供し、残酷なまでに手際よく自らの利権を守ってきている。クリントン夫妻が1994年に敗北した理由のひとつは、こうした業界側のロビー活動によるものだ。システム改善のためには並外れた政治的勇気が必要になる。

そうこうしている間も、シカゴで修道女をしていたマリオン・ビンダーの体験談のような狂った物語を、我々は聞かされることになる。彼女は或るカソリックの病院に心臓発作で二晩入院したが、慈善事例に値しないとして病院側から治療費1万1,000ドル(約136万4,804円)支払うよう訴えられたのだ。障害を持つお年寄り宅に住み込みで働くビンダーは、入院申込書に保険未加入と記入したが、少なくとも本人の話によれば、病院側はともかく治療を受け持つと請合ったという。

途方もない官僚制との行き詰まる闘争から1年で、裁判官は即座に彼女の支払い義務を免除すると決定した。幸運な結末である。ビンダーは言う:「この体験は屈辱的でした。罪悪感にさいなまれました。まるで犯罪者扱いされたように感じます。」彼女は生きていて、うまくやっていけそうだが、このシステムでは誰もが彼女と同じ救済が得られるわけではない。
(以上)

| | トラックバック (6)

04/10/2007

SFクロニクル紙:「保険未加入の患者、肋骨骨折で治療費が1万2,000ドル超」

先日も伝えた通り、2008年大統領選挙に向けて、アメリカでは二つの大きな争点が浮上している。イラク戦争と、医療システム危機だ。今回は、アメリカ医療システム危機の具体的な事例をうまく伝えるサンフランシスコ・クロニクル紙に掲載されたコラムを翻訳して掲載。

保険未加入の患者、肋骨骨折で治療費が1万2,000ドル超

by デビッド・ラザラス:サンフランシスコ・クロニクル紙2007年3月30日付けコラム

我が国では医療保険に加入していない国民が4,700万人いる。リッチモンドに住むジョーイ・パーマーもその1人だ。

ジョーイは、保険未加入状態がいかに高くつくかを思い知ることになった。軽微なオートバイ事故で肋骨を骨折した後で、サンフランシスコ総合病院の1万2,000ドル(約143万2,098円)を超える請求書に襲われたのだ。

「こんな金額、払えるわけないよ。」32歳のパーマーは私に言った。「俺はホームレスじゃないけど、こんな大金、今すぐには無理だ。こんな金額誰が払えるっていうんだ?」

サンフランシスコ総合病院管理業務部長のイマン・ナゼーリ・シモンズは、パーマーに同情すると言った。

「私達のせいじゃないんです。」彼女は言う。「システム全体がいけないんですよ。崩壊してるんですから。その改善のために、どうしたら道理に適ったやり方で治療を提供できるようになるのか、詳しく調べる必要があるんです。」

パーマーの物語は、合衆国の暴走する医療費をめぐる広範な問題と、数百万のアメリカ国民に独力で生き延びるよう強いているそのシステムを実証している。

それはまた、地域や相手を問わず手の届く金額の医療サービスを保障する公的制度の重要性を明確に示している。それこそ、カリフォルニア州を含め現在の大統領選挙キャンペーンの中核を占める政策課題の最終目標なのだ。

「先進国中、国民皆保険制度がないのは我が国だけです。」都市研究所の上級調査員を務めるスタン・ドーン氏は言う。「しかも、我が国の医療費は他の先進国と比較して最も高額なのです。」

経済協力開発機構の最新統計によると、アメリカ合衆国では2004年度の国民1人あたりの医療保険平均額は6,102ドル(約72万7,849円)であった。

カナダでは国民1人あたり3,165ドル(約37万7,546円)、フランスでは3,159ドル(約
37万6,785円)、オーストラリアでは3,120ドル(約37万2,133円)、イギリスでは2,508ドル(約29万9,191円)である。一方で、合衆国国民の平均寿命はこれらの国より短く、乳児死亡率は高い。

しかし、それらは単なる統計の話。アメリカの医療システム危機を語るなら、実際に人と話してみたほうがいい。パーマーの話は多くを物語っている。

9月19日、パーマーはバイクに乗ってサンフランシスコのプレシディオを走っていた。夕方頃、パーマーはリッチモンドの自宅に帰るために、金門橋方面に向かっていた。

突然ブレーキがロックし、バイクが滑走した。パーマーはガードレールに激突した。体は酷く振り回されたが、ケガはたいしたこともないようだった。

一部始終を見ていた通行人が助けを呼んだ。まもなく救急車が駆けつけた。

パーマーは救急医療士に、肋骨を傷めた感触があり、たぶん骨折しているだろうが、それ以外はOKだ、と説明した。自分の収入レベルを考え、自宅があり、治療費を抑えられる可能性のあるコントラ・コスタ郡で治療を受けたいと説明した。

パーマーは富裕層向けヨットの装飾を専門とする建具職人だ。昨年の収入はわずか7,500ドルで、親類の援助で暮らしているという。

パーマーによれば、救急医療士は彼が身体内部の損傷に耐えられるか懸念し、すぐに近所の病院で治療を受けるよう薦めたという。そこで、彼は救急車で、市内唯一の外傷センターであるサンフランシスコ総合病院に運び込まれることになった。

パーマーは幸運だった。救急車は連邦政府機関であるプレシディオ消防局から来たので、救急サービスに課金されることはない。民間の救急車サービス企業を呼んだ場合、パーマーはおよそ700ドルから1,000ドルの費用を請求される可能性があった。

一方で、パーマーが知らなかったのは、救急医療士が病院側に事故の被害者を運ぶと無線連絡してすぐに、サンフランシスコ総合病院側が、通常の手続きに則り、職員達に外傷警報を発令していた事実だ。

基本的に、そうした事態では医者と麻酔医に待機するようポケベルで連絡され、その連絡だけでパーマーには4,659ドル(約55万6,165円)が課金されたのだ。まだ彼が病院に運ばれる前の出来事である。

実際の病院での体験は、控えめに言っても悪夢だった。様々な検査のために血液が採取され(その内最安値の検査で44ドル、最高値の検査が107ドル課金される)、レントゲン写真も撮影された(423ドル課金)。

その後、パーマーによれば、彼は“酷い幻覚を見ている最中の”麻薬中毒患者が居る患者室に置き去りにされた(2,070ドル課金)。どこか別の場所へ移動してもらうよう願い出たが、空いている部屋がないと言われた。結局、パーマーは廊下で移動ベッドの上に収まった。

そこで彼は5時間待たされた。

パーマーの請求書によれば、待ち時間の間、痛みを抑えるためにヴァイコディン(鎮痛薬)を2度投与されたことになっている(22ドル課金)が、本人によれば薬をもらっていなかったという。

「ようやく職員を見つけたので病院を出てもいいか尋ねたんだ。」彼は言う。「その人の話では、CTスキャンの結果待ちということだった。俺は“CTスキャンなんて受けてないよ”と言ったんだ。結局、連中は俺を検査者リストに入れ忘れてたことがわかったんだ。」

そこで、パーマーはCTスキャン検査者リストに加えられた。そしてまた1時間待った。

ついにCTスキャン検査を受けて(3,334ドル課金)、その後再び一連のレントゲン撮影をすることになった。パーマーの話によると、最初に受けたレントゲン撮影は明らかに失敗していたということだ。

「ようやく医者と向かいあった・・・もう午前2時だ・・・で、医者が言うには、確かに肋骨が骨折しており、いくらか筋肉も損傷を受けたらしかった。」パーマーは回想する。「それだけだ。診察終わり。」

それからすぐに、退院用紙を持った事務職員がやって来て、パーマーに署名を求めた。

「彼女は支払いをどうするか尋ねてきたんだ。」パーマーは言う。「俺は彼女に、医療保険に入ってないと言った。彼女は俺を見て、誰か訴える相手がいるかどうか尋ねてきた。」

数週間後、パーマーは病院の料金として1万1,082ドル(約132万1,870円)、医者の料金として922ドル(約10万9,976円)の請求書を受け取った。

パーマーの医療体験は高額で時間のかかるものだったが、珍しいことではない。多くの国民が、アメリカ医療施設で“救急”医療を受けた際の同じような(同じくらい高額な)経験を挙げるだろう。

「我が国では、医療というものが、大金を稼ぐことが出来るチャンスのように捉えられているんです。」都市研究所のドーン氏は言う。「医療の目標とは人の健康状態の改善にあるべきなんですがね。」

パーマーの冗長な病院滞在について、サンフランシスコ総合病院のナゼーリ・シモンズは、治療記録を見る権利がないのでコメントできないと言った。しかしパーマーが許可を与えたので、彼女はパーマーの請求内容について検討することができた。

「医療市場全体をみれば、この請求内容が突出してることはありません。」ナゼーリ・シモンズは言う。「他所の病院の請求内容に比較して並外れていることもないですね。安いくらいです。」

そうとも限らない。例えば外傷動員料金(Trauma activation charges)は、ベイ・エリアの病院では一般的に2,000ドルから7,000ドルと多岐にわたる。マリン総合病院では、1万2,636ドルという高額ぶりである。

ナゼーリ・シモンズによれば、サンフランシスコ住民なら低所得者向けにスライド制料金が適用されるとのことだ。しかしパーマーの場合、コントラ・コスタ郡の住民なので、その制度は適用されない。

「無保険で年収1万ドル以下なら、支払いは要らないのです。」ナゼーリ・シモンズは言った。「しかし、それが適用されるのは市内とサンフランシスコ郡に住む人だけです。」

請求書を受け取ってから、パーマーは病院に高額請求について苦情を言った。ナゼーリ・シモンズはパーマーの請求に従い請求内容を見直し、「外傷動員料金を免除することにしました。」

それで請求額が4,659ドル削減された。それでもパーマーは、本人の弁によれば実際の治療時間は15分程度なのに、8時間の病院滞在で7,000ドル以上の負担を強いられることになる。

「あのような状況になったのは不運だといえます。」ナゼーリ・シモンズは言った。「しかし、個々の病院に何ができます?病院側が費用を負担せよとでも?」

彼女が言うには、他の先進国にあるような政府が運営する同様の制度では、まちがいなく費用を抑えられるし、(制度内で貧窮化することなく)誰でもサービスを受けられるようにできるとのことだ。

「国民皆保険制度があれば、ジョーイ・パーマーのような患者でも、他所の郡だからといって冷遇されることもないんです。」ナゼーリ・シモンズは言った。

パーマーとしては、病院の請求に対して可能な限り支払いを完済するよう努力するしかないとのことだった。それから、もしうまくやれるなら、国を出るつもりだという。彼は真剣にフランス移住を考えている。

「あちらで病気になったとしても」彼は思いをめぐらせた。「どの病院にも行けるし、大金がかかることもないだろうな。」

静かな不信が込められた口調で、彼はそう言った。
(以上)

| | トラックバック (4)

03/05/2007

アメリカ医療システムの危機:医療難民、カナダに越境

ニューヨークタイムズ紙が今月始めに発表した世論調査によれば、大半のアメリカ国民は政府負担の国民皆保険制度の導入を切望しており、そのために税金が上昇しても止むを得ないと考えていることが判明している。しかも、イラク戦争以外に合衆国が直面している国家危機として、医療問題が移民問題を抜いて国内最大の政策課題となっている。

つまり、2008年度大統領選挙時には、今のところイラク戦争(イラン戦争含む?)と医療危機が二大争点となると見込まれている。

現在、アメリカ国民のおよそ4,700万人が医療保険未加入で、その内900万人が児童である。市民団体『Families USA』の調査によれば、怪我で入院した子供が無保険の場合、保険に加入している子供に比較して病院で死亡する確率は2倍高く、高度な治療やリハビリも少なくなるというショッキングな報告もある。(病院業界は調査内容に問題ありと市民団体を批判している。)

収入が少なく民間医療保険に入れないアメリカ人がケガや病気で医者にかかる場合、連邦政府が提供する貧困層・高齢者向け医療扶助・支援制度(メディケア・メディケイド)の適用を受けることになる。しかし財政悪化と、それに追い討ちをかけるイラク戦争の泥沼化により、ブッシュ政権下で貧困層への支援打ち切り姿勢はいよいよ鮮明になった。ブッシュ大統領の2008年度連邦予算案では、貧困層向け医療保障予算を今後5年間で78億ドル(約9,100億円)削減し、さらに児童向け医療保険制度も大幅削減するとしている。もちろん、社会福祉削減で浮いた予算は戦争準備金へ・・・ということで、ブッシュの提案する国防総省予算は前年比11%増加となっているワシントンポスト紙の言うとおり、「レーガン政権以来最大の国防予算、イラクとアフガニスタンの戦費はベトナム戦争を超えた。」

2000年から2005年の間に、アメリカでは無保険者が680万人増加し、政府の規定する「深刻な貧困層」は26%増加したという。職に就きながら政府の食糧支援制度(フードスタンプ)を受け取る人も急増している。(いわゆる『ワーキング・プア』層のことで、例えばオハイオ州では6年間で倍増している

これだけ貧困層が増えると、いくら世界一裕福で明るいアメリカをハリウッド映画で宣伝しても、効果は低いだろう。ユニセフが最近発表した児童の成育環境ランキングで、アメリカは先進国21カ国中20番目だ。(最下位はブレアのイギリス。なにしろハリー王子は訓練をサボってるのにイラクに行かなきゃならないし、ブレア首相はワイセツなポーズをとったオクスフォード時代の写真を公開されてしまう国である)

そんなわけで、アメリカの医療危機をわかりやすく説明しているテッド・ロール氏のコラムを以下に翻訳して掲載。


2億5,000万人が保険に加入、それでも困窮
それ以外の人には医療危機

by テッド・ロール:2007年1月17日Common Dreams掲載

ケチで入らない人もいる。月額500ドル以上の医療保険に入る代わりに、医者にかかる都度に医療費を払うほうが結局安上がりという賭けに出る者もいる。しかし、保険に入っていない4,700万人のアメリカ人のほとんどは、お金がなくて保険に入れないのだ。国家的スキャンダルより尚悪いことに、この国の破綻した医療システムは国際的恥辱だ。ヤケクソになったアメリカ国民数十万人が、他の工業国で一般化している社会福祉システムに寄生するために国境を越えている。

「お前らアメリカ人にはもうウンザリだね!」ニューヨークの北方、国境沿いにあるカナダの或る病院で、緊急治療室の医者が俺の友人に向かって言った。階段から落ちて腕を骨折した友人は、彼女の運転する車に乗って、マンハッタンから8時間かけてケベックにやって来たのだ。

カナダから見りゃ、俺たちはまるきりメキシコ人だ。

1993年の、クリントン夫妻が保険業界の利益を守るためにややこしくした法案を実現し損なって以来はじめて、存在しないも同然の医療システムを幸運にも修正する機会が巡ってきた。民主党は二つの公約を掲げて議会を支配するに至った。イラクからの撤退と医療システム修正だ。中間選挙の2週間前に実施されたUSAトゥデイ・ABC放送共同世論調査によれば、アメリカ国民の80%が膨大な医療費に不満を訴えている(60%はきわめて不満と回答している)。

実際、膨大な金額だ。2006年、企業が従業員向けに負担する4人家族向け医療保険の掛け金は平均で年額1万1,500ドル(約134万3,395円)で、時給8ドルのフルタイム労働者の年収よりも高い。アメリカ人はこのムカつく医療システムに年間2兆ドル-国防予算の4倍-を支払っている。さらにその費用は年々上昇し続けていて、上昇率はインフレよりも2倍から3倍早い。

助けが必要な人への支援策を敬遠しがちな共和党員でさえ、事態に気づき始めている。共和党中道派のアーノルド・シュワルツェネガー加州知事は、カリフォルニア州に住み保険に加入していない75万人の児童(不法移民含む)向けに、医療保険を提供すると提案して支持を拡大し、さらにその保険を大人にも拡大するとしている。ニューヨークタイムズ紙が社説で言うように、「児童を先にもってきたのは得策である。というのは、子供は総じて健康で、保険料も安いからである。」

世界最高の金持ち国家で、数千万人の市民が自己破産寸前で生きているなんて酷すぎる。抵当流れの25%は高額な医療費が原因というのはご存知?

しかも、二番目の問題として、誰も話したことのないさらに大きな医療スキャンダルがある。2億5,000万人の、幸運にも医療保険に加入できているアメリカ人も、無保険者に比べてそんなに良いわけでもないのだ。

労働者や雇用者は月額平均で465ドルを医療保険会社に支払っているが、保険会社側は契約上のあらゆる怪しい策略を使って支払い要求を斥けている。加入前の病気?適用外です。保険プラン内の医者に診てもらうために数時間ドライブするのが苦痛?じゃあ自分で払ってくださいね。高額な専門医に観てもらわなきゃいけないくらい異常な症状?ダメですよ。慢性の症状には長期的なケアが必要だと思われるかもしれないが、保険担当者にとっては単に支払い拒否の口実を与えるに過ぎない。

どんなことでも運はある。しかし見込みでは、控除額は支払額を上回るだろう。

支払い要求を拒否する合法的な言い訳を思いつかなかった場合でも、保険会社はやっぱり支払いを拒否する。保険会社側は賭けに出るのだ。請求する客のほとんどは、複雑なボイスメールのたらい回しや、不可解なウェブサイト、果てしない待ち時間を前に途方に暮れて、あまりにも弱気になって保険支払い拒否に抗う正当な主張を諦めるだろう。保険会社は、単にあなたに消えて欲しいだけなのだ。

眼科と歯科の問題まで話すのは止めとこう。どちらも保険プランに加える雇用者は減る一方だ。おいおい、目と歯はそんなに重要じゃないってのか?

医療保険を新兵募集の目玉にしている軍隊でさえ、傷病兵の看護任務は果たされていない。2005年12月、ブラッドリー・ブラウン初等兵は、背中の痛みを訴えてオクラハマ州シル基地の陸軍軍医に診察を依頼した。ブラウンがサウス・ベンド・トリビューン紙に語ったところによると、「軍医は抗炎症非ステロイド薬としてナプロキセンを処方し、X線検査のため静脈に染料を注射した。」

それから2週間後、ブラウン初等兵はインディアナ州の緊急治療室に運び込まれ、IgAネフロパシー(腎症)と急性尿細管壊死の患者として命を落としかけていた。二つの症状の原因は「複数あるが、内二つはX線検査用に静脈注射された染料と、抗炎症非ステロイド薬であった。」ブラッドリーは腎臓移植を要求したが、彼を放り出しておいて入院中の給与支払いを拒否した陸軍側は、要求を拒否した。「どうしてこんなことが許されるのか」母親は怒り、軍側の処置の結果として吃音と記憶障害になった息子を助けるよう陸軍側に要求している。「完全な健康体として息子を入隊させたのに、台無しにされてしまった。」

俺の個人的な医療体験では、いくぶん些細な問題だった。左手のイボだ。かかりつけの皮膚科の医師は、そのイボを液体窒素で切除して、150ドル(約1万7,502円)請求してきた。保険適用を請求すると、保険会社は支払いを拒否して簡潔に言った。「非必須処置でした。」それから1時間半待たされて、手紙を3通書かかされ、ようやく血の通った保険担当者と当該の問題について電話で話し合うという特典にありついた。俺は聞いた。「イボを処分しちゃいけないってのは、お宅のポリシーなのか?」

保険会社の担当者は、ベッキーと名乗る女性で、丁寧だが頑固だった。なにしろ、会社は彼女が無神経になるように金を払っているのだ。

「このような処置は必須ではありません。」彼女はそのように答えた(らしい)。

「俺の理解したことを確認すると」俺は説明した。「お宅の主張は、客がイボを抱えたら、イボと共存すべきってことか?」

「そういう意味じゃありません。」

「じゃ、どういう意味だい?」

「その支払い要求は非必須として拒否されたのです。」

「あんたの会社の保険が適用されるイボの切除法ってのは一体存在してるのか?」

まわりくどい議論の後、彼女はついに折れて、どのようなイボであろうと、切除には患者の費用負担しかないことを白状した。

「イボで死にそうだったと言ったらどうなる?」本当の話だ。大学時代、胸にイボが出来た。それから20時間後、俺は緊急治療室で、好奇心一杯の医者達がボンヤリと超殺人イボを見守る中で輸血を受けた。そのイボは動脈に穴を開けて、ガールフレンドの部屋の壁に血を撒き散らした。幸いにも、そして共和党にとっては不幸なことに、俺は起き上がって助けを呼べたわけだ。

ようやく彼女に居場所を尋ねることができた。「私はバンガロール(インド)に居ます」彼女は言った。

「とにかくね、ベッキー、イボが出来ないようにしてみろっての。」

解決策は明白だ。医療保険を国営化すること。医者と看護婦は連邦政府の職員にすること。病院は治療の場にすべきで、企業が株主のために利益を稼ぐ場所にしないこと。公的医療制度がそんなに過激だというなら、医療費を政府負担にすればいい。その場合、鍵となるのは、医者と患者の両方から搾取する保険会社を廃業させることだ。

とどまるところを知らないほど企業化された医療保険業界の貪欲さには驚かされる。ユナイテッド・ヘルス・グループ社は現在フォーチュン500社ランキングの37位にいるが、2006年度の純利益は33億ドル(約3,851億円)で、前年比28%の上昇だ。ウェルポイント社の純利益は25億ドル(約2,917億円)で、前年比157%上昇。あなたの給料が28%アップしたのはいつ頃だったっけ?157%?まさしく血のにじむような金だ。保険未加入者や治療不完全のアメリカ人の死で、一体どれほどの利益がもたらされているのか?

これら強欲な存在は石油企業よりも悪い。公共交通機関のある都市に引っ越すこともできるし、ガソリンを無理して買う必要もない。しかし、ブラウン初等兵は何が何でも腎臓移植が必要なのだ。この国は小国じゃない。それくらいの余裕はあるはずだ。
(以上)

| | トラックバック (2)

05/30/2006

ポール・クルーグマン:「私達の病める社会」

NYタイムズ紙に5月5日付で掲載された経済学者ポール・クルーグマンの連載コラムを以下に全文翻訳して掲載。(文中リンク・注は訳者による)

クルーグマンがコラムで嘆くように、米国の医療システムは党派に関係なく問題視されており、その改善政策案は2008年度大統領選挙の争点のひとつになると思われる。世論調査によれば、2004年度選挙でブッシュに投票した有権者の内62%が、大統領と議会が現在の医療危機に対応できていないと感じているという

一方、戦争費用により膨れ上がった財政赤字の削減に取り組むことになったブッシュは、軍事関連では相変わらず太陽系最大の支出を目指しているが、国内医療向け予算については今よりもっと小さな政府を目指すことにしたらしい。ブッシュ政権の2007年度予算案では、国内貧困層向けの各種医療サービスや疾病対策支援予算---例えば、先住民族向け医療サービス、田舎向け医療器具補助、アルツハイマー対策啓蒙活動、さらにはスーパーマン役で名声を博したクリストファー・リーブ夫妻の設立したリーブ財団(クリストファー・アンド・ディナ・リーヴ麻痺資源センター)向け予算まで全額カットされている(クリストファー・リーブ氏は2004年に死去し、妻のディナ・リーブさんも2006年3月6日に肺がんで亡くなった。ブッシュ大統領が予算案を公表したのは2006年2月6日で、ディナさんが死亡する一ヶ月前だった。)

私達の病める社会(Our Sick Society)

by ポール・クルーグマン:ニューヨークタイムズ紙2006年5月5日掲載

アメリカ人であることは健康に悪いことだろうか?米国医師会学会誌に掲載された最新研究によれば、そういうことになる。

アメリカ国民の健康状態に何か重大な間違いがあることはもはやニュースでも何でもない。世界各国と比較してみれば、アメリカ合衆国が何らかの奇跡的偉業を達成したことは明らかだ。我が国では、国民1人当たりの医療費負担額が世界最高であるにも関わらず、カナダや日本、その他ヨーロッパの大半の国々よりも短い平均寿命と、高い乳児死亡率を誇っている。訳注1

しかし、この驚くべき悲惨な成績をもたらす正確な原因は判然としていない。富裕な国としては珍しいことに、我が国では国民全体への医療保険提供をやり損なっているが、それはアメリカ人の粗末な健康状態にどの程度影響しているのだろうか?人種と社会階級のもたらす影響は?アメリカ的生活の影響はどうか?

『合衆国と英国における疾病と不都合』という最新研究でも、これらの疑問の全てに回答されているわけではない。しかしこの研究報告には、国民を不健康にする原因が、アメリカ社会の何かにあるという有力な証拠が示されている。

同研究の著者は、55歳から64歳のアメリカ国民における糖尿病や高血圧などの有病率を、イギリスのそれと比較している。イギリスとの比較は、アメリカの問題を際立たせるために選択されたわけではない。イギリスでは、国民1人当たりの医療費負担は合衆国と比較して40%程度で、周辺各国、特にフランスと比べて、その医療サービスシステムは概して劣っている。さらに、イギリスは食生活や生活スタイルの健康度においても特筆すべきものがない。

それにも関わらず、同研究では、「アメリカ人はイギリス人よりもはるかに病的である」と結論づけられている。例えば、アメリカの中年層が糖尿病に苦しむ確率はイギリスの中年層に比較して2倍。これだけでも十分衝撃的な発見である。

さらに衝撃なのは、人種・社会階級を問わず、アメリカ人であるというだけで健康が損なわれていると思われる事実である。

社会階級が全く無関係であるということではない。(同研究では、非ラテン系白人への調査に限定したことで人種的要因が排除されている。)実際、どの国においても、健康と富裕には強い相関関係がみられる。しかし、アメリカ人の不健康ぶりは桁外れなので、アメリカの富裕な3分の1は、イギリスの下流な3分の1よりも不健康であるとのことだ。訳注2

どういうことだろう?医療保険に加入できないことの多いアメリカの低所得層にとって、それが不健康の要因となっているのは確実である。訳注3イギリスでは、全ての国民が政府の提供する医療保険に加入できるからだ。しかし、アメリカでも富裕層はほぼ全員が医療保険に入っている。

では、研究上「行動上の危険要因」と呼ばれる類の、悪い生活習慣についてはどうだろう?固定観念は正しい。イギリス人はアメリカ人よりもすこぶるアルコール好きで、アメリカ人はイギリス人よりも強烈に肥満に陥りやすい。しかし、統計に基づく解析によれば、悪い生活習慣がもたらす両国の格差は僅かである。

結局、研究を行った学者達は、相対的に富裕なアメリカ人でも不健康であるという事実に当惑している。だが私は、ここでいくつか可能性のある解釈を提示してみたい。

まず第一に、医療保険は優れた医療サービスを約束するわけではないということだ。例えば、糖尿病をめぐるニューヨークタイムズ紙の報道で指摘されているように、一般的に保険企業は病気を予防するための手当てについては支払いたがらないが、予防し損なった後で必要になる切断手術のような非常措置には支払う傾向にある。イギリスの全国民保険サービスは、民間の医療保険企業よりも広範且つ長期的視点に立って運営されており、限られた予算にも関わらず、実際にはアメリカ合衆国の医療システムよりも多方面に渡る医療サービスを提供できている可能性がある。

もうひとつの原因は、アメリカ人はあまりにもよく働くので、過剰なストレスを抱えているという可能性だ。フルタイムで働くアメリカ人の年間平均労働日数は46週。イギリス、フランス、ドイツの労働者の場合、フルタイム勤務でも年間平均労働日数はたったの41週にすぎない。過去にも指摘しているが、法的規制や組合の力により労働時間短縮が実現されているヨーロッパの経済よりも、我が国の仕事中毒経済は、国民が誇り高く主張する「家族の価値」に対してはるかに破壊的なのである。

働きすぎに加えて、最小限の社会的セーフティ・ネットしかない我が国の経済は、国民の健康を家族同様に損なっているのかもしれない。これは単なる提案である。確実に分かっていることは、アメリカ的人生は、2001年当時のホワイトハウス広報官アリ・フライシャーの有名な言葉を借りれば「恵まれている(a blessed one)」かもしれないが、国民の健康にとっては、深刻なほど悪い何かがあるということだ。
(以上)

訳注1

米国における医療システム問題の概要シンクタンク・アメリカ進歩財団の資料から抜粋)


The Medical Malpractice Myth

The Medical Malpractice Myth「医療ミス訴訟が多いのではなく、あまりにも医療ミスが多すぎるのである。医療ミスで毎年1万人ほどの患者が死亡しているが、被害者のほとんどは訴訟を起こしていない」(source)アメリカ医療システム問題の本質を抉る話題の書籍。

  • アメリカ合衆国全体で医療サービスへ支払われる金額は年間1兆7,000億ドル(約190兆円)で、米国内総生産(GDP)の15%以上を占めている。医薬品の購入金額も世界一で、1人当たり728ドルを医薬品購入に費やしている。
  • ブッシュ大統領の任期中に、医療保険に加入していないアメリカ国民は620万人増加し、現在ではおよそ4,600万人が無保険。このペースが続けば、2010年に米国民5,200万人が無保険になると予測されている。州別で最大の無保険者を抱えるのはカリフォルニア州(無保険者710万人)で、テキサス州(同590万人)が2位。
  • 米国では労働者の医療保険料は2000年から現在までに73%上昇している。保険料の高騰に伴い、米国内中小企業の半数は、従業員向け医療保険の提供を止めている。
  • 米国民1人当たりの医療費負担額は、国民全保険制度のある他の先進国と比較して約2.5倍高く、2003年度は1人当たり年間5,635ドル(約62万9,681円)。民間の医療保険に加入してもカバーされる範囲はかなり限定的で、一端医者にかかると借金漬けになることも多く、アメリカでは自己破産の半数は高額な医療費が原因となっている。
  • アメリカの医療保険業界では巨大資本による市場支配が進行していて、例えば、294の都市部の内166都市で、地域保険市場の50%以上を1社が支配する事態となっている。こうした競争原理による市場の寡占化が、民間保険料の高騰を招いている。(米国系保険業界のCMを大量に配信する日本国内放送各局-或る外資系保険企業などは、小泉純一郎が首相に就任した2001年から、日本市場のテレビ広告予算を前年比の4倍に増加させたという・・・そうした日本の大手マスコミは、米国の保険業界の実情について、広告以上のことは我々日本人にあまり教えてくれないようだ。)
  • アメリカ国民の長寿度は世界で34番目と比較的短命。日本人の平均寿命は82歳、アメリカ人の平均寿命は77.2歳。(経済協力開発機構(OECD)加盟国全体の平均寿命は77.8歳。)
  • 米国では年間9万8,000人が単純医療ミスで死亡しているとの報告もある。米国の病院経営におけるコスト削減主義(利益至上主義)はしばしば医療現場の品質低下や医療事故を招いており、例えば2005年のワシントンポスト紙報道によれば、アメリカ国内にある病院の大半が、使い捨て仕様の医療器具(カテーテル等)を、節約のため別の患者に何度も使いまわす習慣があるという。こうした事情もあって、米国の医療サービスレベルは世界ランキング中37番目。
  • 米国の乳児死亡率は2002年度に増加に転じ、死亡率は新生児1,000人中7人であった。米中央情報局(CIA)の公表している世界乳児死亡率ランキングによれば、乳児死亡率が世界で最も低いのはシンガポール(新生児1000人あたり2.29人)で、日本は4番目に低く(同3.24人)、世界一富裕な先進国であるアメリカ合衆国は42番目である。保守系アメリカ人が批判しがちなキューバの乳児死亡率の低さは40番目で、この医療課題に関する限り米国はキューバに劣っている。ちなみにアメリカでは、黒人や先住民族の乳児死亡率は、白人に比較しておよそ1.5倍から2.5倍高い。

訳注2
この調査では、調査対象となった55歳から64歳までの非ヒスパニック系白人男女を、所得別に富裕・中流・下流の3つのグループに三等分している。アメリカ人の場合、週間世帯収入が322ドル以上635ドル以下を中流家庭、イギリス人の場合は、週間世帯収入が127ポンド以上241ポンド以下を中流家庭と設定している。クルーグマンの引用するとおり、アメリカでは富裕層の8.2%、中流層の11.8%、下流層の17.4%が糖尿病。対するイギリスでは、富裕層の4.4%、中流層の6.7%、下流層の7.3%が糖尿病で、アメリカの富裕層よりもイギリスの下流層は健康ということになる。(source:Disease and Disadvantage in the United States and in England

訳注3
2002年から2003年の間に、55歳から64歳のアメリカ人の内、医療保険未加入状態を少なくとも1ヶ月以上経験している人の割合は20%以上であった。(source:Young And Uninsured

| | トラックバック (3)